影武者 豊臣秀吉 21 家康vs治五郎 4
徳川家康と江戸・関東の様子が次第に明らかになります。誰かに視察に行って貰おうと思いますが、魅力的なキャラがいないかなぁ?
唐津の大望閣
1592年(天正20年)10月12日
家康は 肥前名護屋の旅館・大望閣のロビーにいる。時刻はちょうど正午である。徳川の宿舎が手狭になったので名護屋城の東750m先の大望閣に宿をとった。
日頃から家臣に厳しく倹約を言っていたが、同宿している上杉景勝、伊達政宗の女遊びが恐ろしい。
せっかく京都総合病院での検査で唐痘(梅毒)が陰性だったのに寝起きを伴にする彼らに感染されては叶わぬ。宿舎にまで遊び女を連れ込んでいる。
それと10月8日の会食の翌日、秀吉の使いの者から大望閣の割引券が届いた。「旅行に行う割引券」である。7日間までの滞在なら泊まり賃が半額になり、さらに唐津で使える商品権が一泊200文(1万円)貰える。家康は10月10日から7泊の予定でセミダブルのシングルルームに宿泊している。とはいえ元々の泊り料金が一貫と600文(8万円)なので実質3万円になる。
家康は倹約家だが領国の関東は潤っている。そして、信長の領国のように金が金を産むバブルや、秀吉のような巨額の借金による大戦争をせずに社会基盤整備に金を使っている。これは東夷国の徳川財団(徳川宗家19代当主:徳川家広氏)の力添えが大きい。
徳川家康は金が有っても質素倹約を心がけている。見習いたいが筆者には倹約する金がない。余談である。
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家康の前に1人の女性が現れる。九州を取り仕切っている豊臣秀吉の側室の茶々である。九州は戦時特例により信長より秀吉に徴税権が与えられている。
茶々は家康に軽い目配せをしてからエレベーターに乗る。三階の北側の部屋が家康の部屋である。家康はエレベーターに乗るのは不味いと思い、階段を使って三階に上がる。
部屋の前で茶々が長居すると誰かに見られて煩らわしい事になりかねないので慌てるが廊下には居ない。
家康がドアを開けると茶々がデスクの椅子に座っていた。
茶々:「合鍵貰っちゃたぁ。」
秀吉の側室の特権を使ったようだが軽率と言える。
茶々:「矢倉寿司の握り寿司買って来たぞ。一緒に食べよう。」
茶々は10貫入りの並握りを二折、細巻を一折、窓際の小さなテーブルに並べた。
茶々:「ちと、狭いのう。」
徳川家康:「某、1人にては十分で御座います。」
茶々:「そこなる電気湯沸器で茶を沸かすか。」
徳川家康:「便利な物に御座いますな。」
茶々:「東国には電気がないのか?」
徳川家康:「有りますが城一つの灯りが精一杯に御座います。」
茶々は江戸の事をもっと知りたかったが、またの機会にした。今日は密偵に来たのではない。
茶々は並握りが好きである。値段も比較的安いし、タコやイカ、卵焼きが好みである。さりとて庶民には手の出ない値段である。細巻きも寿司屋のは海苔がパリッとして素人では真似が出来ない。
茶々:「近頃、肩が凝ってやれぬ。ちと揉んでくれぬか?」
徳川家康:「某がですか?茶々様のお身体に触れるのは如何がかと思いますれば。」
茶々:「何を言っておる。そなた、和洋漢方に通じており、経穴(人体のツボ)にも詳しいと聞く。治療の一環じゃ、遠慮いたすな。」
徳川家康:「わかりました。それでは服を脱いで、そこなる寝台にお伏せなされ。」
茶々:「全部脱ぐのか?」
徳川家康:「取り敢えず上着を脱いで襦袢になりなされ。」
茶々は秋物のジャケットを脱いでシミーズ(スリップ)姿になった。
徳川家康:「なんと、絹の襦袢をお召しですか?爪など立てて綻びをつけたら一大事にございます。」
茶々:「判った、下着だけになる。」
茶々はサッサとスリップを脱いだ。ブラジャーはして来なかったので小さなスキャンティだけになった。
徳川家康:「では、まずは肩から。」
家康は最初は軽く肩をほぐしツボを押す。次第に背中に周り、家康の指は見事に経穴(ツボ)を捉え、茶々はウットリする。
徳川家康:「茶々殿は冷え性や便秘、月のモノは如何かな?」
茶々:「いえ。特に障りは無いと思いますが。いえ、冷え性など心当たりは有りますし、他の事も多少あります。」
(流石に生理や便秘とは言いにくい)
徳川家康:「人体には会陰と申す場所がありまして、押すのでなく。軽く周辺から揉みしだくのが良いと心得ております。」
茶々:「やってたもれ。」
徳川家康:「宜しいですかな。ではそれなる腰巻きを取りなされ。」
茶々は言われるままに下着を取り全裸になって仰向けになり、会陰を晒した。会陰は女性器と肛門の間にあるツボである。家康の手が触れる。茶々の全身に電気が走る。
茶々:「そこなるとこを、そのようにするのか。」
徳川家康:「女子にとって大事なツボなれば、我は、この術にて、多くの子女に恵まれました。種が良くても畑が悪ければ子はできません。」
茶々:「流石、天下一の子沢山やの、なるほど、そうで有ったか。」
徳川家康:「さてさて、不思議な事も有りますな。茶々殿は先に亡くなられし鶴松様をお産みになったが証がござらん。まるで生娘の如き女陰をしておられる。」
茶々:「判るか、鶴松は我が子で有って我が子に非ず。借腹の正栄の子じゃ。」
徳川家康:「いゃ、ちと判りかねますが、余計な詮索は無用の事にて御座います。」
茶々:「どうだ、家康殿、わが田畑は子が生まれる身体になるか?もっとも秀吉に子種なくば耕しても徒労なるがな。」
徳川家康:「いういえ、茶々様は良き田畑をお持ちです。少しばかり耕せば、良き子を授かるは必定と存じます。されど・・・・・。」
茶々:「されど、なんじゃ。」
徳川家康:「やはり種を撒かねば子は出来ませんし、他人の畑を耕すなど、この家康、無意味な事は致しません。」
徳川家康は今の秀吉が影武者だと知っているが、子種が有るかは知る由も無い。
茶々:「む、無意味と申すか。ならば、そなたが種付けを致たさば良かろう。妾は子が欲しい。妾も25歳になる。そなたの子が欲しい。」
流石に誰でも良いとは言わない。
徳川家康:「なにゆえ我が子を欲しがりなさる。先日の森蘭丸様などお似合いと思うたが。」
茶々:「あの者は信長のコレじゃ。」
茶々は右手の甲を自らの左頬に添えた。今で言うトランスジェンダーであるが、オ◯マと言ってはならない。
徳川家康:「なるほど、して、種付けの見返りはなんとします。」
一言で言えば(徳川家康)である。絶世の美女が自分の子供を産んでやるといい。眼の前に据え膳を用意しているのに見返りを要求するとは、何たる男か?
茶々:「み、見返りとな。妾では不足か?」
徳川家康:「いゃ、いゃ、我も言葉が過ぎたようじゃ。茶々様ほどの美形に、かような物言い。失礼つかまつった。なれど解せぬゆえ、ちと悪さをしたまでじゃ。許されよ。」
茶々:「さもありなん。昨日、今日、会ったばかりのそなたに、子が欲しいなど、信じろと言う方が無理じゃ。すまなんだ。だが、流石、当代一の種付け馬じゃ、子作りの妙技、しかと味わったぞ。」
徳川家康:「恐悦至極、家康痛み入りました。ところで茶々様、いつまでその格好ですか?」
何が恐悦至極か痛みいったか知らないが、茶々は両足を大きく開き両手で大腿を抱えていた。会陰を晒したままの姿だが、現代日本ではマングリ返しとかM字開脚と言われる。
茶々:「どう致そう。なんか妙に落ち着くんだが、あっ、これは東夷国に伝わるヨガと申すもので身体に良きと聞くぞ。」
徳川家康:「そういえば、女人が子を産む時、安産に繋がる姿勢とも言われます。」
茶々:「何と、流石は、日本一の種馬、家康殿、今暫くこのままで良いか。」「ヒッ・ヒッ・フー」「ヒッ・ヒッ・フー」
徳川家康:「あの〜、やっぱり入れて宜しいですか?」
流石の徳川家康も長い単身赴任で溜まりまくって股間の一物が際限なく怒張してしまったようだ。
茶々:「うむ、入れたけば入れるが良い。ただし中に出しては駄目だぞ。」
中出し禁止にしたのは茶々の意地である。徳川家康は自慢の一物を茶々の女陰に深々と埋めた。
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(後述)
茶々が徳川家康の子を孕もうとしたのは、「未来の記憶」を払拭出来ないかとの思いによる。
「未来の記憶」は大坂の陣での悲劇である。
また、豊臣秀頼出生の秘密など遺伝子検査の無い戦国時代に判るハズがないが、本小説では茶々が奔放な性格だったとして話を進める。