影武者 豊臣秀吉 19 家康vs治五郎 2
なかなか凄い話になってきました。やはり転移物はこうでなくてはなりません。
方広寺梵鐘
(略)・・国家安康 四海施化 万歳伝芳 君臣豊楽 子孫殷昌・・(略)
歴史上名高い事件の梵鐘の銘文の抜粋である。家康を呪詛したとして大坂の陣の契機となったが、銘文の解釈については五山の僧や林羅山で建立時から解釈が2分されている。
また、大仏再建は秀頼と徳川の共同事業で、徳川もかなりの労力を注いだ。との記述もある。
以上、Wikpediaよりの極めて短い抜粋であるが、興味のある方はみて欲しい。
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1592年(天正20年)10月8日
唐津の料亭「花菱」
前日、秀吉と家康の面談後「花菱」に予約の電話をしたが、食材が無いと断られた。やはり当日では高級料亭は難しい。なお「花菱」の電話番号は局番無しの3桁(874)である。この番号は加入者が874人いた訳でなく語呂合わせである。この話をすると長くなるので割愛するが、当時も(電話はでんわ)と揶揄されていた。
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(ようやく本題である。)
豊臣秀吉:「皆の衆、今日はよう来てくれたニョー。」
妙な方言であるが、影武者・秀吉は勉強不足である。これでは直ぐにバレそうだ。よって普通に話す事にした。
豊臣秀吉:「今日のお品書きは・・先付が胡麻豆腐・雲丹 前菜が合鴨ロース・・・、お造りに煮物に台の物に・・・主菜が丹波牛のすき焼きかステーキになっておる。どちらにするか?」
本多忠勝:「某は両方が良きに存じます。某の分は特盛にてお願いいたす。」
豊臣秀吉:「儂は並盛でいいが・・やはり両方食したい。」
仲居が注文をとって厨房に伝えると少し騒がしくなった。どうやら他の客の食材をまわすらしい。茶々は上客中の上客である。
茶々:「さて、料理の前に食前酒を飲もう。かの国のシャンパンじゃ、安い酒なれど妾は新鮮で好きじゃ。」
本多忠勝:「安い酒に御座いますれば、某は一瓶戴きとう御座います。生来の酒豪ゆえ。」
テーブルには人数分のシャンパンが並べられた。仲居は返品できぬように一本2貫400文(12万円)のシャンパンの全てのコルク栓をシュポン、ポン、ポン、ポン、ポンと抜いた。今日の会食者は5人である。」
言い忘れたが会食者は、秀吉、茶々、森蘭丸、家康、本多忠勝、である。
家康と茶々の顔がやや引きつっている。先が思いやられるようだ。
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徳川家康:「もはやかれこれ20年以上前になるのう。秀吉殿が殿をなされし事、我ら命拾いいたした。かたじけのう御座る。改めてお礼申す。」
無論、金ヶ崎の退き口の話である。これに秀吉が殿を務めたのは史実であり疑いようがない。しかるに徳川家康については江戸期(1610年)に成立した(松平記)に始めて記載されている。
豊臣秀吉:「儂も・・上様も・・命からがら逃げおおせた。・・・」
秀吉は徳川家康の金ヶ崎の退き口での動向を言明するのを避けた。家康は少し含み笑いをして当時を懐かしんだ。やはり両者とも只者ではない。後の世で影武者を含めて三英傑と呼ばれる事はある。
家康には既に秀吉が影武者との確信が有った。だが、この場で公にする気はない。いや、影武者だろうが関係ないかも知れないと思いだした。
徳川家康:「まぁ、昔話はよう御座います。今宵は大いに飲んで食しましょうぞ。」
本多忠勝:「左様で御座います。飲んで食しましょう。ところで先程のシャンパンと申す酒ですが、なんとも美味い酒にて御座いますが、拙者には水のようにて、今少し強い酒がよいと存じます。」
既に1本12万円のシャンパンの空瓶4本が本多忠勝の前に並んでいた。茶々が慌てて頼んだのはブラックニッカ クリアー 2.7リッター 37°のウイスキーである。
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茶々:「酒がはいって暑うなりました。少し厚着をしましたゆえ外套を脱いでも構わぬか?」
茶々が薄手の春秋物のジャケットを脱いで森蘭丸に渡した。蘭丸は折りたたんで「花菱」の仲居に頼んで個別ロッカーにしまってもらった。
森蘭丸:「茶々様、、また、、それに御座いまするか。」
茶々:「何を申すか蘭丸、このドレスは先日届いたばかりじゃ。初めて袖を通すものじゃ。」
本多忠勝:「チャチャチャチャ茶々様、、その長襦袢は、〇×△□にてそうろう。」
茶々:「んっ、これなるは超セクシーV字シースルー超ミニ ワンピース ワンポイントコスプレ衣装 キャバ嬢 可愛い タイト ミニスカート(コピペ)と申す。カノ国より仕入し物じゃが、値段以上に送料が高い。さらに納期が1カ月以上かかる。困った物じゃ。」
茶々のドレス
四品目【焼き物】は玄界灘で捕れた河豚の一夜干しを焼いたものである。
徳川家康:「これなるは河豚で御座るか?某は河豚は毒が有るゆえ遠慮したく存じます。」
本多忠勝:「ならば、某が残らず毒見いたそう。なに、この忠勝、今まで戦にても矢傷ひとつ受け申さん。そのような美味なるもの、河豚の毒にても我が身にかすり傷ひとつ付ける事まかりならんと存ずる。」
豊臣秀吉:「家康殿、食に毒とは聞き捨てならんが、ここなる物は、修行したる調理人にてテトロドトキシンや寄生虫の類は心配御無用に御座る。」
なぜか秀吉は手をパッパ、パッパと開いたり閉じたりしながら話す。
茶々:「あっ、家康殿、忠勝殿、妾が明日、京都総合病院の唐津分院にて人間ドックを予約しておくゆえ、参られよ。後日、連絡致す。少しばかり時がかかるが、是非にも受けられよ。」
徳川家康:「あっ、某は先般、京都総合病院にて診断を受けました。寄生虫、唐瘡(梅毒)、マラリア、結核、何れも陰性でした。この時代の者とは思えぬと、医師が驚いておりました。さらには血糖値、中性脂質、何れも大事無いとの事でした。」
茶々:「家康殿、妾を謀 るで無いぞ。後ほど京都総合病院に問い合わせるゆえ、しかと心得えよ。」
茶々は、その手の事には恐ろしく厳しい。カルテも簡単に取り寄せる。戦国時代には個人情報保護法はない。
茶々:「ところで家康殿、そちらに行って酌なとして良いか?」
徳川家康:「勿論、良うございます。有難き幸せにて候。」
茶々が診断書の事を聞いて安心したようだ。家康の左側に忠勝がおり、茶々は家康の右側に座る。忠勝が羨ましそうにするが2人の間に入る事は絶対にない。検査して無いならバイキンである。
茶々:「家康殿、ささ召し上がれ。」
茶々が超セクシーV字シースルー(略)ミニスカートで家康に寄り添い麦酒を注ぐ。
五品目【蒸し物】
松茸の土瓶蒸しに松茸炭火焼
森蘭丸:「これも、美味なる物、松茸などそこら中に生えておりますが、料理の仕方でこれ程になるとは。」
茶々は家康と対面の席に戻り土瓶蒸しを美味しそうに食べる。作法は知らないが食べる姿が美しく、何より料理が栄える。美女とは得な存在である。
茶々:「ささっ、家康殿、お飲みなされ。」
土瓶蒸しと焼松茸を食べ終わった茶々が再び家康の傍らに行く。今度は家康にしだれかかる。
徳川家康:「茶々殿、ちと近過ぎませぬか?」
茶々:「かの国では夫の友人を饗すは妻の役目に御座います。いけませぬか?それとも茶々がお嫌い?」
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料亭「花菱」主人:「本日の丹波牛のすき焼きとステーキで御座いますが、些か趣向を変えて鍋を囲みての食事と致しますゆえ席を整えますまで、暫しお待ちください。」
やはり会席で「特盛」は難しかったようだ。
座が整うまでの間も茶々は家康に寄り添っていた。些か度が過ぎた服装と接待である。
茶々:「家康殿、妾に子種をくれまいか?」
家康の耳元で茶々が密かに呟いた。家康は当然驚いた。子種とは何たるか?家康は考えた。言葉通りな訳はない。
徳川家康:(おそらくは長く子が出来なかったゆえ、いや、鶴松がいたではないか?儂を受胎の神とでも思っておるのか?確かに儂は子作りは長けておる。)
料亭「花菱」主人:「ささ、準備ができ申した。今宵は会席などと堅苦しい事はやめて、皆様で鍋を囲みましょうぞ。」
豊臣秀吉:「これは如何なる事、料亭の主人が堅苦しいとは笑ってしまうわ。いや、楽しきかな。楽しきかな。」
少し底が湾曲した鉄鍋に牛脂が敷かれ、まずはステーキ肉が惜しげも無く並べられた。少し火が通ったのを、山葵醤油で食し、次に薄切り肉が並べられ、これも少し火が通ったところで割下が注がれ溶いた生卵に浸して食した。
その後、白菜、ネギ、しらたき、豆腐が並べられ、松茸や春菊、追加の肉も惜しげも無く入れられた。
豊臣秀吉:「本多忠勝殿、今宵の食事は如何であるかな?たんと楽しまれたであろう。良きかな。良きかな。まだ香の物が有るゆえ腹を開けときなされ。」
本多忠勝:「・・・・・ウマ・・・・・ウマ」
本多忠勝は秀吉に返答せず、一心不乱に食っている。おそらく半分以上が忠勝の腹に入っている。ウイスキーのペットボトル2.7リッターも半分になっている。
それにしても豊臣秀吉のみならず、主君も来客も無視するとは困ったものである。
(後書き)
方広寺梵鐘の話をするつもりだったが次回とします。どうも茶々様がいると話が横道にそれてしまいます。