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関ヶ原 異聞1 序章
やはり異世界転移物は戦乱が必須である。戦闘機にミサイルに機関銃に戦車となれば関ヶ原合戦である。
ただし日本政府の歴史不介入政策で身動きが取れない。
設定が悪かったかもしれない。
1595年7月
豊臣秀次が切腹して果てた。連座で20人以上が切腹した。そして眷属39人惨殺された。
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秀次は死に当たって、数々の書状を残したが、秀吉に宛てた物はもちろん、家臣家族にすら一切残っていない。
さらに居城の八幡山城、関白として政務をとった聚楽第の建物は解体され、基礎さえも掘り返えされ、何一つ残っていない。
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ただし、伝令による口伝によって北政所(秀吉の正室おね)に伝わりし和歌が1首のみ残っている。後世に捏造された物ではない。
「こうこおいしかも つきのせには露と消えにし。」
かなり意味不明な和歌である。
関ヶ原の西軍の主要な武将は
小西 宇喜多 小早川 大谷 石田 島津 加藤 毛利
であり、いささか関連が有るかもしれない。