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影武者 豊臣秀吉 13 嘉藤治五郎

嘉藤治五郎と茶々の事が気になるし、豊臣秀頼の出生の秘密も気になる。しかしとんでも無い話が湧いてきた。次回は話は「関ヶ原」となるが序章である。

1592年7月22日 大政所死去

1592年8月15日 加藤治五郎が秀吉と不二家で会う

1592年8月30日 村上水軍 村上景子名護屋に来る

1592年11月初旬 茶々受胎

1593年8月3日 豊臣秀頼誕生

1593年11月18日 露梁海戦

1593年12月初旬 肥前名護屋城にて戦評定

1595年8月20日 豊臣秀次死去


※少し年号を訂正した。全て西暦(グレゴリオ暦)とする。


― ― ― ― ―

1592年8月30日

村上景子(きょうこ)が新秀吉の(検分)を受けて肥前:名護屋城3階の謁見(えっけん)の間に森蘭丸と一緒に帰ってきた。


茶々:「秀吉は如何であった?あの者が村上景子殿に不躾(ぶしつけ)

行いは無かったか?蘭丸殿。」


森蘭丸:「いや、(いささ)かなりとも左様の()は御座らん。村上殿の素性の検分を()り行った為に、かように刻限を使いし事、申し訳御座いません。」


茶々:「んっ、検分?村上殿は素性確かな者、なに(ゆえ)じゃ?、蘭丸殿、何故(なにゆえ)止めなんだか?」


茶々はギクリとした。誰がどちらの検分をしたのだろうか?よもや影武者・嘉藤治五郎の素性が露見したのでは有るまいか?

まあ、それなら嘉藤治五郎なる者を切り捨てれば良いだけである。秀吉本人は勿論存命であるゆえ(さわり)りはない。


村上景子:「茶々様、蘭丸殿には粗相(そそう)は有りませぬ。我が望んで執り行なった事に御座います。」


茶々:「そうで有るか。では刻限も迫っておる故、村上水軍の出兵について話をいたそう。小型戦闘艇の双刃(そうとう)の剣の手配で有るが・・・・・・。」


村上景子:「はあ、左様に御座います・・・・・・。」


(いささ)か話が噛み合わないが、茶々が朝鮮への派遣水軍の全容を把握していたのには仰天する。


これは茶々が幼少時代より、力無き者は死する事を身にしみて学んだ事による。さらには織田信長同等の天賦の才が有り、東夷国(現代日本)より学びし事は医療、軍事、歴史、化学など極めて多岐に及ぶ。

ただし、東夷国の女性の風俗や習慣についての知識はかなり極端である。


対して村上水軍の頭目・村上景子は、先程の新秀吉の(検分)の余韻に浸っており、茶々の言葉が頭に入って来なかった。

-------

1582年初旬に唐津〜名護屋間、1584年には唐津~名護屋間が開通している。博多までの開通式は秀吉軍撤退と論功行賞のもつれにより質素な物だった。


ただし、この64話では1592年8月30日である。朝鮮の役が始まって4カ月の話であり時系列が相前後する事をお許し願いたい。

この時点では加藤清正軍の豆満江(ずばんこう)でのヌルハチ軍との会戦での敗退は伝わっていない。ミッドウエー海戦の大本営発表より酷い。余談である。


唐津は好景気に沸いていた。いわゆる戦時特需である。多額の資金が豊臣秀次の聚楽第から流れていた。秀次の資金源は秀長から受けし蓄財と、信長の税制改革による富裕層の金余りによる信託投資である。

さらにイスパニアとの奴隷貿易など好景気の要因は数えればきりがない。そしてかかる繁栄は現代日本の技術流入が最大の要因といえる。転移から10年8カ月が過ぎていた。

-------

唐津の料亭「花菱」:千利休と来たのが(1591年3月)である。その年の4月21日に利休は切腹して死している。脳卒中による気管切開が、いつの間にか切腹になっている。当時の切腹死は名誉な事であった。

1年と4月余りが経過しているが、茶々は頻繁に(花菱)を訪れている。店にとっては上客中の上客である。

ただし素性は隠している。無論、店主は感づいているが余計な詮索はしない。


茶々:「(きょう)子さん、て言って良いかしら。」


村上景子:「ええっ、茶々殿、構いませぬが何故(なにゆえ)に御座いますか。」


因島村上水軍の頭目である村上景子は、美貌の女人(にょにん)であるが頭目ゆえ喋り方が街中の料亭では似つかわしくない。素性がバレても構わないが、何かと煩わしくなる。


茶々:「それそれ、、茶々では困るな・・・・そうだ、菊子、(きく)ちゃんと呼べ。(わらわ)其方(そなた)(けい)ちゃんと呼ぶ。」


茶々の本名は、浅井茶々および浅井菊子であるが、側室ゆえに豊臣菊子と名乗る訳にはいかない。

村上景子も(きょうちゃん)より(けーちゃん)が呼びやすいので短くするとそうなる。


村上景子:「(きく)ちゃん、に(けい)ちゃん。依存は御座らん。」

― ― ― ―


茶々:「(けい)ちゃん、さぁ〜、あの(ひで)ちゃん、どう思う?」


村上景子:「秀ちゃんと申しますと、如何なる方かと?」


茶々:「んっ!秀吉じゃ、秀ちゃんで良かろう。」


村上景子:「凄まじき方と存じます。」


茶々:「凄まじき?とは凄まじきド助平か?」


村上景子:「左様に御座います。菊ちゃん殿。」


茶々はタメ口を諦めた。


茶々:「して、あの者じゃが。いゃ、秀ちゃんだが。」


村上景子:「嘉藤治五郎様にございますか?」


村上景子は事もなげにさらりと言った。


茶々:「何と!・・・・いや、あの者は我が主、豊臣秀吉備前守なるぞ。嘉藤治五郎とは如何なる者ぞ。」


村上景子:「菊ちゃん殿、これは失礼いたした。我は九分九厘、嘉藤殿と思いましたゆえ、申し訳ござらん。」


茶々:「九分九厘?・・・さすれば1厘は秀吉本人と申すか。」


絶妙の切り返しである。流石は当代一流の女傑である。いや、女傑となるのは、(しば)し先の事である。


村上景子:「菊ちゃん殿、勿論、1厘は本人に間違い無きと存じます。」


どこで聞き耳をしている者がいるか判らない。無論、盗聴器の懸念も有るが、しかと認めぬ限り押し通せばよい。さらに影武者如き戦国時代では当たり前の事である。


茶々:「さにあるか。いや、そんなもんか。さて、料理の前に食前酒を飲もう。かの国のシャンパンじゃ、安い酒なれど我は新鮮で好きじゃ。」


茶々は一本2貫400文(12万円)の安物のシャンパンのコルク栓をジュポンと抜いた。



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