豊臣秀次事件 異聞 2
老獪なる小早川隆景、関白・豊臣秀次が手玉に取られます。
小早川隆景
(1595年6月 京都聚楽第)
小早川隆景:「早速のお目通り、誠に有難き幸せ。」
豊臣秀次:「これはこれは、小早川殿、本日は何用にて。」
小早川隆景:「本日は、先般よりお借り致しておりました金子をお返しに参りました。」
豊臣秀次:「おお!それは有り難い。早速に勘定方を手配致す。」
しばらくして勘定方が金子を確かめて約定書に秀次が花押をして隆景に渡した。
小早川隆景:「さて、本日は我が事のみならず、実は不肖なる甥について、ご相談申し上げに来ました。」
豊臣秀次:「はて?誰の事にて御座るか?甥とは誰ぞ?」
小早川隆景:「毛利輝元に御座います。」
豊臣秀次:「ほう、輝元殿が如何した。」
秀次から借金の件を切り出す訳にはいかない。建前がある。
小早川隆景:「いゃいゃ、御心配不要に御座います。我ら西国の大名の窮状、太閤様も十分お知りおきにて心中察しておいでです。」
豊臣秀次:「さようか、我が輝元殿に貸出しし金子の事か。」
ようやく本題に入る。かつて室町8代将軍足利義政の妻、日野富子が大名に金子を貸した事で大乱を招いた故事により金子の貸し借りは表沙汰にするべきでない。
小早川隆景:「流石に関白様、察しの良き事にて、痛み入ります。」
豊臣秀次:「なるほど、太閤様も知っておるなら話が早い。もとより、城普請に、唐入りなど叔父御が計りし事なれば、我が取り繕うのも致し方なき事。」
小早川隆景:「有難きお言葉にて御座います。さればで御座います。金子を一度に返すは無理にて候らえば、年貢の1割を毎年、12支の12度に分けて支払いたく、不肖の甥・輝元に変わりてお願いに参りました。」
豊臣秀次:「ふむ、年貢にてか?それは差し障り無きか?」
小早川隆景:「無論、(お上)もお知りおきに御座います。」
豊臣秀次:「判ったわ、では早々に借り換えの約定を出すが支払いは何時となる。」
小早川隆景:約定整い次第にお支払い致す。
豊臣秀次:「誠なるか。いゃ、正直助かる。豪商共より借受し銭を催促されて叶わぬのじゃ。」
小早川隆景:「小西行長殿、加藤清正殿、島津義弘殿、石田三成殿もご心配に及びませぞ。関白様。」
豊臣秀次:「なんと、そこまで知っておったか。流石、小早川殿じゃ。」
直ぐに金を借りていた西国大名にも借り換えの約定書が届いた。その書面には(年貢の1割)と記載があり豊臣秀次の署名と花押があった。まんまと小早川隆景の策に落ちたのである。