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影武者 豊臣秀吉 12 嘉藤治五郎

小西行長の浮世絵が残ってるが凄いな。

今回は名護屋城の評定です。


挿絵(By みてみん)

小西行長の江戸時代の錦絵


挿絵(By みてみん)

嘉納治五郎



文禄2年1593年

11月18日 露梁海戦

11月23日 加藤清正、蔚山(うるさん)より帰還

11月25日 小西行長、釜山より帰国


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1593年12月初旬、肥前名護屋城にて戦評定(いくさひょうじょう)が始まろうとしていた。文禄の役に出陣した武将30名余が名護屋城1階の大広間に集まっている。

小西行長 加藤清正 小早川秀包 島津義弘など錚々たる顔ぶれである。

無論、論功行賞が目的である。


上座に豊臣秀吉(嘉藤治五郎) 石田三成が座り、諸将が相対する格好になっていた。


加藤清正:「何ゆえ、治部少輔が上座に座る。」


石田治部少輔三成が評定の始まりを告げようと口を開こうとした矢先、真っ先に加藤清正が一声を発した。


大広間は一気に殺気立った。もとより朝鮮半島での戦では上座も下座もなく、怒鳴り合いの喧嘩のような戦評定(いくさひょうじょう)をしてきたから致し方ない。豊臣秀吉(嘉藤治五郎)は諸将に正対しているが言葉を発さない。


石田三成:「あいや、我は此度(こたび)の戦の総奉行にて戦評定を取り仕切るお役目。清正殿控えられよ。」


小西行長:「三成殿、我ら命からがら朝鮮より帰って来たばかりで、皆の者は未だ戦の中におるような者、少し(ろう)をねぎらってからに致さぬか。」


石田三成:「さもあらん、言葉が過ぎた。許されよ。されど負け戦ゆえ致し方ない。皆の衆よくぞ命永(いのちなが)らえ帰られた。ご苦労であった。」


諸将の表情が一変する。無論、三成が使った(負け戦)に対してである。


加藤清正:「なんと!負け戦とな!我ら勝ちに勝ちを重ねて

、漢城、平壌を落として、豆満江を越えて、満州まで攻め入りし戦いを負け戦と申すか。」


石田三成:「いゃいゃ、加藤清正殿の奮戦、聞き及んでおります。しかれど満州族の卑怯千万な戦の事など、いや、痛み入ります。」


無論、ヌルハチとのオランカイ会戦を言っている。


小西行長:「あいや、石田殿、勝負は時の運にて致し方ござらん。先ずは諸将に(ねぎらい)いをしなされ。」


石田三成:「おお、すまなんだ。小西殿、そなたも明に(たばから)れて、平壌では難儀されたと聞く。ご苦労で御座いました。」


もはや評定どころではない。


石田三成:「だがのう、そなた()が無事に日の本に帰りしは、我が方の用意した村上水軍の船のおかげじゃ。有り難くお思いなされ。」


島津義弘:「あれはならん!、あれは戦の道に外れる。たった8隻の小舟にて明軍400隻の軍船と2万人の将兵

を撫で斬りに致すとは、人の所業の致す事に相成らん。」


露梁海戦で明水軍は日和見の中立であったのに、朝鮮水軍を素通りして完膚なきまでに殺戮した。

この事で和平交渉による南朝鮮支配が完全に不可能と成ったのである。圧倒的な殺戮者の現地支配は難しい。


しかるに名護屋城に集まりし将兵の怒りは頂点に達した。

(三成憎し)の感情を押し殺していた諸将の堪忍袋の緒が切れた。いや、たとえ鉄の鎖の帯とて裁断されただろう。


先ずは加藤清正が三成に突進して行った。次に島津義弘が続いた。小早川秀包と小西行長が加藤清正達を(おさ)えに行ったか、あるいは自ら参戦したかは不明だが、さらに5人ばかりの諸将が三成に押しかけた。


逃げようとする三成の左腕を加藤清正が摑んだ。だが、次の瞬間から諸将は信じられ無い光景を目にする。


小西行長の前に白い影が咄嗟(とっさ)に立ち塞がった。

影は腰投げと背負い投げの中間のような技で小西行長を投げとばした。そして、頭から落ちそうになったところを、相手の手をもって支え、背中から座敷に落とした。


余りにも素早い影の動きに誰も目がついて行かなかった。

島津義久が白い影に背負われ宙を円を描いて飛んだ。奇麗に背中から着地したが身動きが取れない。

島津義久に駆け寄る小早川秀包が突然、側方に転んで3回転した。出足払いである。さらに次々に諸将が宙を舞う。


石田三成:「なっ何事じゃ、何が起こっておる?」


加藤清正の背後に白い影が食らいついた。光秀を掴んでいた手が離れたので、光秀は勢い余って座敷に転がり込んだ。


石田三成:「なんと!豊臣秀吉!筑前守!」


白い影の正体は影武者・豊臣秀吉(嘉藤治五郎)だったのである。


新秀吉:「加藤清正殿、朝鮮での虎退治は聞いておる。たいした男よのう。」


加藤清正:「き、貴殿は何者ぞ!」


新秀吉:「阿保、(あるじ)の顔も忘れたか。そなた、儂を振りほどけるか?試してみよ。」


加藤清正は身動き一つ出来ない。新秀吉の腕が清正の首に回る。立位での絞め技である。競技柔道ではまず見れないが実戦では当然の技である。特に複数の敵兵に対する時の寝技は有り得ない。


しばらく藻掻(もが)いた清正がグッタリする。他にも気を失っている者が2人いる。新秀吉は、その者の上体を持ち上げ、背後から活をいれる。最後に清正に活を入れ、蘇生させる。鮮やかな一連の技は時間にして2分程度である。


シンと静まり返る名護屋城の広間に新秀吉の声が響く。


新秀吉:「これは如何なる事、評定の最中にかような狼藉許し難し。なれど皆の者には半島での無理な(いくさ)をさせた儂にも落ち度が在りし、皆の者すまなんだ。」


新秀吉は自ら倒した諸将に歩み寄り、背中を擦ったり腕を引っ張ったりして整体を施した。


新秀吉:「しからば四半刻の休養の後、改めて評定に入る。石田三成殿、宜しく頼むぞ。」


呆然とする諸将を後にして、新秀吉は(いささか)か乱れた服を着替えに寝所に向かった。



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