影武者 豊臣秀吉 10 嘉藤治五郎
影武者 豊臣秀吉シリーズ復活です。本編は豊臣秀頼の出生の謎と、豊臣秀次事件の真相に迫ります。
天正19年=1591年9月 鶴松が死んだ。秀吉にとっても茶々にとっても初めての子だった。そして乳母の正栄にとっても3人目の腹を痛めて産んだ愛子だった。
秀吉と正栄の悲しみは、いかばかりか測り難い。茶々も採卵では怖い思いをして授かった子ゆえ悲しくない訳が無い。
1592年8月 大政所が死んだ。齢77歳だから当時とはしては、無論、長寿であるが秀吉にとっては最大限の悲痛であった。肥前名護屋から大坂に駆けつけた秀吉は母の死を知り、その場で卒倒した。
豊臣秀次、北政所、茶々(淀君)が大政所の葬儀にどう関ったかは今回は省略する。
豊臣秀吉の滞在先は関白秀次の京都屋敷であったが、場所は特定できない。葬儀は京都大徳寺で行われたと伝えられる。
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一連の葬儀が終わって北政所と茶々と秀吉が京都の不二家に来ている。秀吉の梅毒と結核とマラリアと歯槽膿漏と水虫は空気感染しないと京都総合病院の診断が有ったが、用心のため、伴の者を1人、秀吉の間に入れて京都見物をしている。
秀吉:「なぁ、儂、なんかバイキンみたいな扱いじゃないか?」
北政所:「違いますか!貴方が治療を何時も途中でほっぽり出すからこんな事になるんです。」
秀吉:「さようか。まぁ、勘定は儂が持つゆえ、好きな物を頼め。儂は、このイチゴパフェが良い。」
北政所:「えっ、80文(4000円)、もっと安いのにしなさい。」
茶々:「北政所様、良いでは有りませんか。我らの住む肥前名護屋には不二家のパフェは御座いませぬゆえ、秀吉殿には生涯最後の贅沢やもしれませぬ。好きな物で宜しいかと思われます。
妾も贅沢は申しませぬから、このバレンタインパフェで我慢致します。」
北政所はバレンタインパフェの金額を見て仰天したが、素知らぬ振りでスーパーデラックスミックスパフェを頼んだ。所詮、自腹ではない。
感染防止用の伴の者が何を当てがわれたかは記録がない。
豊臣秀吉の前に天使のパンケーキが置かれた。
大政所:「あれ?爺様はイチゴパフェではなかったかのう。」
大政所はお洒落なお店では、年より老けた秀吉の妻で無く、娘のスタンスである。無論、茶々は孫娘にしている。
カフェ店員:「いえ、御爺様は天使のパンケーキを頼まれた筈ですが、確かめて参ります。」
「オーイ、コッチじゃ、儂が天使のパンケーキを頼んだのじゃ。」
カフェの配膳カウンターで店員同志がビックリした顔で話し合っている。
カフェ店員:「申し訳ありません。お出しするお客様を間違えていました。あっ、お食べになったのですね。」
離れた席の客の声がする。
「じゃ、作り直して来い。また、時間がかかるが30分で焼き直せ。それにしても儂のパンケーキを勝手に食ったのは誰じゃ。」
豊臣秀吉:「何奴じゃ、パンケーキ如きで儂を盗人扱いとは許さん。」
当事者の客:「盗人ではないか。自分の注文した物も判らんのか?」
豊臣秀吉:「うぬ、そこなる者!顔を見せい。成敗してくれる。」
当事者の客:「儂を成敗とは片腹痛い。どんな奴が物を申している。」
なんとなく2人の喋り方が似ている。
当事者の客と秀吉が対面した。
秀吉と当事者の客:「あっ、儂がいる。不細工な奴じゃ。」
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秀吉と同じ顔の男は、嘉藤治五郎と名乗った。実は秀吉の影武者など百回頭を下げられても成るような男でない。だいたい爺の分際で高級店の不二家に来ているのがおかしい。
しかるに嘉藤治五郎は秀吉の影武者をしなければならない切羽詰まった理由が、つい、今しがた出来たのである。
一週間後に秀吉と茶々、同行の将兵が船旅で肥前名護屋に向かった。そのまた一週間後に修理の済んだ瀬戸内海クルーザーで嘉藤治五郎は備後の鞆幕府で所要を済ませた後、肥前名護屋に向かったのである。
嘉藤治五郎は自衛隊の格闘技特別指導員である。自衛隊の一部では豊臣秀吉に似ていると噂だったが、マスコミのない戦国時代では一部の話でしかない。