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文禄の役 5 李舜臣の勝利

英雄・李舜臣の勝利は転移世界を驚愕させた。記載しなかったが、小型戦闘艇出撃によって日本軍が退去して、朝鮮水軍のみが残ったからである。最後に生き残った者が勝者である。

ここで文禄・露梁海戦における戦果を記載する


(開戦前)

朝鮮軍100隻、兵員7300名

明軍400隻、兵員20,000名

秀吉軍500隻 兵員17,000名


(開戦後)

朝鮮軍70隻、兵員5000名

明軍10隻、兵員1,000名

秀吉軍480隻 兵員16,500名


(損失)

朝鮮軍30隻、兵員2,300名(死亡1,000名 戦闘不能 1,300名)

明軍390隻、兵員19,000名 (死亡10,000名 戦闘不能 9,000名)

秀吉軍20隻 兵員500名 (死亡200名 戦闘不能 300名)


※ 海戦にては沿岸漂着した者は戦闘不能とする。


朝鮮半島南部と南海島北部には(おびた)しい明軍の帆船の残骸が漂着していた。さらに辛うじて生き残った明軍の兵員、溺死した者、そして小型双刃艇によて切断された首のない遺体が浜辺を覆いつくした。

生き残った明兵は朝鮮水軍によって、小西行長が退却し空になった順天城に送り届けられた。



(1593年12月20日 紫禁城(しきんじょう)万暦帝(ばんれきてい) 満年齢29歳)

願憲成(こけんせい):「3日前の朝鮮南部の海戦ですが。」


万暦帝:「申せ。」


顧憲成:「明・朝鮮連合水軍は倭寇に大敗し、我が艦隊は全滅、死傷者は16,000人、陳璘(ちんりん)将軍は生死不明となっております。」


万暦帝:「あい、判った。」


顧憲成:「如何が致しましょう。」


万暦帝:「我の決める事に(あら)ずんば、寵臣にて決めよ。下がって良い。」


万暦帝が動じなかったのは、当日に現代日本のNHKニュースで詳細を知っていたからである。執務室にはの60インチの衛星ネット対応テレビが有る。


万暦帝:「張居正特務班に集合をかけろ。大至急だ。」


飾り者の皇帝ゆえ報告無くば動きは取れない。張居正は既に10年前に死んでいたが、恩師の作った組織は健在である。

― ― ― ―


(イスパニア総督府 1593年12月18日)

イスパニア・フランシスコ総督:「おぉ~、凄いじゃなぃかぁ。」

総督が在日米軍から送られて来た動画を食い入る様に見る。海戦の起こる日時と場所を知っていれば撮影は容易(たやす)い。


スペイン兵士A:「たった8隻の小型戦闘艇で390隻の明船を沈めるとは、恐るべき戦術ですね。」


フランシスコ総督:「いや、それよりも浮かんだ水兵を戦闘艇の刃で切り裂くとは恐れいった。いゃ〜、ちょい、リプレイ。スパッとしてピョンしてドブン。うわぁ〜、残酷だなぁ。リプレイ、リプレイ。」


スペイン兵A:「戦闘の時に敵の上部構造物に目を奪われますが、上と下、弱点は下の船底だったんですね。」


フランシスコ総督:「んっ、何だ?都市帝国の事か?」


スペイン兵Aは沈黙が適切と判断した。

― ― ― ―


秀吉軍は釜山〜対馬〜壱岐を通って、全軍が名護屋に帰った。史実と異なり完全撤退した。

もとより略奪が目的だったので占領する気は無い。


秀吉軍を追い払ったヌルハチ軍も南満州に帰った。


生き残った明軍も何とか山海関を越えた。


歴史上、露梁海戦での李舜臣率いる朝鮮海軍勝利による秀吉軍の完全敗北と伝えられる、天正・文禄の役が終わった。

しかし、事実はそんなに浮かれた物ではない。


文禄の役の始まる前には、500万人の朝鮮人がいた。20万人の兵士が死んだ。30万人が奴隷として連れ去らた。80万人の朝鮮人が殺された。

田畑は壊滅的な被害を受け、2回の取入れ期が半分の取り入れしか無かった。それとても奪われた。


15万の秀吉軍が2年間に渡って朝鮮半島に居た。

3万のヌルハチ軍が朝鮮全土で、朝鮮の民のために戦った。

宗主国である20万の明軍も従属国である朝鮮の民のために戦った。


漢城の秀吉軍の食料貯蔵庫が焼かれた。泗水倭城(しすいわじょう)では明・朝鮮連合軍の食料庫が焼き討ちされた。膨大な兵糧が現地張達され撤退の時には敵兵に渡らぬように焼却した。


そして朝鮮半島には寒い冬が来た。当時は小氷河期であって一面は雪と氷に閉ざされた。370万人の民を養う物は日本兵が見向きもしなかったヒエや粟などの雑穀や痩せこけた牛馬しか無かったのである。種籾が有るかも判らない。

― ― ― ―


現代日本の在日韓国・朝鮮人は帰化者や子孫も含めた推計100万人以上と言われる。その現代日本の朝鮮半島系住民に奇妙な現象が確認されたのは転移から12年目、西暦2037年の冬からである。


天正・文禄の役の朝鮮民族の死傷者や連れ去り奴隷は、史実の文禄・慶長の役より30万人程度多い。

また文禄2年から慶長3年の間に、史実を超える出来事が起こったのかもしれない。

― ― ― ―


(現代日本の救命救急センター)


医師:「患者さんの容態はどうかね。」


看護師:「心拍が弱まっています。心臓マッサージしますか?」


医師:「それで、患者さんの国籍は?」


看護師:「はい、日本国籍ですが在日韓国人の三世です。」


医師:「そうか、心臓マッサージの必要は無いな。」


看護師:「判りました。」


暫くして患者の死亡が確認された。医師はカルテに死亡原因を(老衰)と記載した。患者の死亡年齢は36歳だった。




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