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文禄の役 2 李舜臣の喫水線 1

少し奇妙なタイトルであるが、喫水線きっすいせんとは船が水に浮かんでいる時に船体が水面と接している線を言う。

因島村上水軍の(おさ)は村上景子(きょうこ)と言う。以前は(きょう)と呼ばれていたが改名した。30話〜31話の鞆幕府(ともばくふ)で出てきた美少女も(よわい)27歳になっていた。当時、征夷中将軍・織田信孝と恋仲になったのだが、その後の約10年間については簡単には語れない。

― ― ― ―


(1592年:天正20年8月=文禄1年8月、改元は12月)

肥前:名護屋城・5層7階の壮麗な天守の最上階とその下階が、茶々の執務スペースになっていた。

大きさとしては、かなり大きな2階建て邸宅が5階の上に乗っていると思えばいい。エレベーターは設置していない。1階~2階までの秀吉専用の家庭用エレベーターが有るだけである。

茶々は城の急な階段を1日に10回くらい上り降りしているが何ともない。

ただし裾を踏んで(まくれる(ころぶ))といけないから洋装にしている。ちなみに洋装と言ってもスカートであり、階を上る(たび)に丈が短くなるとの俗説がある。さらなる俗説があるが長くなるので省略する。

― ― ― ―


茶々:「のう、蘭丸、本日、因島村上水軍の頭目(とうもく)・村上景子(きょうこ)殿が来られるが、そちも目通(めどお)り致すか?」


森蘭丸:「頭目の景子殿に御座りますね。存じております。」


詳しく知っているが、余計な事を言わないのが森蘭丸である。当年で齢27歳になる。


茶々:「それでは3階の謁見(えっけん)の間と致す。」


森蘭丸:「それが、良きかと存じます。して(近頃の秀吉殿)は相も変わらずで御座いますか。」


茶々:「(以前の秀吉殿)に輪を掛けてド助平じゃ。気取(けど)られぬように、それらしく振舞えと申したのが(まず)かったかのう。」


森蘭丸:「お察し申し上げます。」


森蘭丸は朝鮮出兵が避けられぬと判断された1582年の2月より信長より使わされている。もっとも安土城と名護屋城は衛星回線を通じてWeb会議システムで結ばれているから不自由はない。


(以前の秀吉殿)は未だ存命であるが、もはや筑前守や大宰府守の要職をこなせる状態ではない。適当な時期に関白:豊臣秀次に交代してもらう手筈(てはず)である。

無論、そうなれば(近頃の秀吉殿)にも速やか(すみやか)に殉死して頂く他にない。

― ― ― ―


村上景子:「茶々殿、お初にお目にかかりまする。」


茶々:「そなたが因島村上水軍を束ねる村上景子なるか。(わらわ)はもそっと恐ろしき女子かと思うておった。お美しいの。」


村上景子:「勿体無き、お言葉に御座います。」


茶々は織田信孝と景子の関係を根掘り葉掘り聞きたかったが後日に回す事にした。村上景子も(戦国の美妃(びき))について聞きたかったが、その場では無いと自重した。


茶々:「それでは、ここなる信長殿の近習なる森蘭丸より話がある。」


村上景子:「お待ちください。ここに秀吉殿が居らぬのは如何なる事。我らは秀吉殿よりの下知(げち)にて名護屋に来申(きもう)した。合点が行きませぬ。」


森蘭丸:「村上殿、されば秀吉殿に先に有ってくだされ、案内(あない)致す。」


村上景子:「かたじけない。」


森蘭丸と村上景子は2階の秀吉の政務所(まんどころ)に降りて行った。茶々は((わらわ)は疲れるから、あの者には銭の無心以外には会わぬと。)言って動かなかった。

名護屋城の財政は石田三成が握っているが、新旧秀吉と約定(やくじょう)すれば(こう)すべきもなかった。


森蘭丸と村上景子が戻ってきた。


村上景子:「秀吉殿より、ご返答頂きました。(茶々殿の好きに致せ)との事ゆえ、茶々殿のご指示を(うけたまわ)りたく存じます。」


それだけの返答を貰うだけで半刻(1時間)程の刻限を有したのである。(近頃の秀吉殿)の素行(そこう)は恐るべきものであった。村上景子の顔が引き()っていた。


(玄界灘加部(かべ)島)

村上景子率いる、村上水軍3軍選抜の精鋭の訓練は熾烈であった。1592年8月のオランカイ会戦での加藤清正の敗退の報告にて、秀吉軍の危機感は(いただき)きに達したからである。

ただしオランカイ会戦では1敗地にまみれたが、全体的には秀吉軍が圧倒的に有利であり、朝鮮からも(戦利品=奴婢)が順調にイスパニアに運搬されているから問題ないとの判断であった。


森蘭丸:「太祖(たいそ)ヌルハチが出てきたか。百万の精鋭にても討ち滅ぼすのは至難の技だ。なぜなら()の者は清国を作り上げし者なれば、あと30年以上は殺しても死なぬ。」

― ― ― ―


朝鮮の将軍:李舜臣は壬辰・丁酉の倭乱(文禄・慶長の役)にて日本軍を迎え打った救国の英雄とされる。当時の船軍(ふないくさ)が如何なるものか定かでないが閑山島海戦(かんざんとうかいせん)にて脇坂・九鬼水軍を亀甲船を駆使して破ったとある。ただし朝鮮と日本の記録には大きな隔たりがある。


また、明国水軍の動きであるが、全く不明である。船種にしても、当時最新のガレオン船ともジャンク船とも言われるが、慶長の役のみだったようなので文禄の役では活躍しなかった事とする。





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