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影武者 豊臣秀吉 9 千利休と茶々

長らく読んで頂いた秀吉影武者説がチャチャと終了。

千利休も無事に昇天。

秀次眷属惨殺事件は、とても身内の所業とは思えないから影武者を仕立てました。こんな奴が戦国三英傑なんて許せません。

(千利休死去 1591年4月21日 )

堺・千利休の屋敷


利休が死んだ。激しい頭の痛みに医者を呼んだが、堺診療所から医師が駆けつけた時には息が絶え絶えであり、緊急に気管切開が行われた。

気管切開は気道確保等の目的が有るが、利休は脳卒中による呼吸障害による救急救命処置だった。無論、戦国時代にこれらの治療が行われるはずも無いが、堺には京都総合診療所からの分院が有った。


翌日、妙國寺から検死が来た。千利休がキリシタンとの説も有るが置いておこう。

喉の切開部を刀傷と判断し自害との判定となった。更に座机上に「申し送り状」が有り、自分の死後の取決めが仔細に書かれてあった。これで自害は動かぬ物となった。ただし、自害の理由は記述がなく、さらに当時は寺が死因を判断するのが常であった。

利休自害の理由はかような経緯で、当時から諸説が有ったが為政者からの賜死(しし)にて、弁明なき潔き切腹として後世に伝わる。

― ― ― ―


(影武者 豊臣秀吉)

豊臣秀吉の影武者であるが交代時期は

大政所死去 1592年8月29日から

豊臣秀次死去 1595年8月20日までとする。


豊臣秀吉:「なんと、母じゃが危篤とな?」

秀次からの知らせを受けた秀吉は、文禄の役開戦の4ヶ月後に拘らず、名護屋を後にして京都の聚楽第に向かった。聚楽第は史実と(いささ)か異なり。信長直轄の総合医療福祉センターであり、京都総合病院(診療所から改名)に隣接している。


秀吉が駆けつけた時、大政所は既に死去していた。事実は名護屋出立の日に死去していたのである。秀吉が大政所の亡骸と対面したかは不明である。


豊臣秀吉:「おのれ!、秀次、儂を母の死に目に合わせぬとは如何なる了見ぞ。」


秀吉は甥の秀次に憎しみを覚えた。秀次は関白として中央政界の重要な役職のため京都に在住していた。

これが豊臣秀次眷属(けんぞく)の惨殺に繋がったかは、筆者だけの危惧であり推測に過ぎない。また、この小説ではあり得ない。


秀吉はこの年56歳であったが、容貌は現在の70歳以上に見えた。さらには真夏の京都での母の葬儀で、残り少ない体力を使った。名護屋に帰る船旅は秀吉にとって過酷なものとなった。クルーズ船が改修で使えなかったからである。


翌、文禄2年(1593年)、文禄の役は重大な局面を迎えていた。秀吉軍は半島南端に追い詰められていたのである。

追い詰めた相手は女真族の若き頭目ヌルハチであった。

秀吉軍の火器をものともせず、各個撃破の戦法は、戦国時代を生き抜いてきた最強の武士団をも凌駕(りょうが)していたのである。無論、地の利を巧みに使う戦法もヌルハチの凄さであった。


ようやく和平交渉についた端緒に秀吉が死んだ。朝鮮半島には15万の大軍が残されていた。

秀吉死去がヌルハチに知られたら和平交渉も糞もない。

更に中立だった明の海軍が向かっているとの知らせがもたらされた。


石田三成:「かねてより用意していた、あの者を使うしかないな。」


名護屋城の政務所には病より回復したとされる寸分違わね(秀吉)が鎮座したのである。


茶々:「秀吉殿〜、今度ぉ〜、唐津でぇ〜、ステーキハウスが出来たの〜、そなたの側女達と行ってもいい〜。」


茶々は先年、一粒種の鶴松を失ってから、さらに金遣いが(むご)くなった。朝鮮からタンカーでイスパニアに売られた奴隷は20万人を越えて羽振りが良かった。

ただし現地で調達した朝鮮人は25万人とも言われる。石炭運搬タンカーではいささか歩留りが悪いようだ。

言い忘れたが秀吉の側女(そばめ)は未だに250名いた。茶々が取り仕切っているが側女達の信頼は抜群である。

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