影武者 豊臣秀吉 3 千利休と茶々
茶々と利休の会食の話が、(食前酒)までしか進まなかった。先が思いやられるが、しばしお付き合い願いたい。女の話はえてして長い。とは言えいきなり本題に入るからビックリする。
1591年3月(天正19年)
唐津の料亭「花菱」
茶々:「すまなんだ、待たせたの。」
千利休:「いぇ、私も先ほど着きましたばかりにて。」
利休は懐から懐中時計を取り出し時刻を確認する。6時15分であるが、西国なので外はまだ明るい。約束の刻限は6時なので、かれこれ30分近く待っていた。
茶々:「そうか、すまなんだ。出かける前の準備や化粧が忙しくての。どんな服を着ていこうか迷うてしまった。」
茶々は左腕の腕時計に目をやる。15分の遅刻である。
茶々:「利休殿、そなたは懐中時計か。古風な物よのう。妾はロレックスの手巻き時計じゃ。」
この頃、仮称:九州独立国では時計が普及し始めていた。ムーブメントはクォーツである。信長の戦国時代の日本では禁止されているが、手巻きと偽ったクォーツがコッソリで売られている。どうやら秀吉の九州から流れているようだ。
茶々は着ていたコートを脱いで店の者に預ける。
イタリア(ルイジ・コロンボ)カシミヤ100%の生地の黒い前開きのコートである。
千利休:「何とも良きコートに御座る。我の商いでは、とても御用達出来もうさん。」
茶々:「判るか。流石、利休殿!ルソン壷を見極める眼力といい、大したものよのう。」
利休の表情は変わらない。まさしく流石である。ルソン壷の話にも、商人である利休は眉一つ動かさない。利休にとって品物で利益を得るのは当然の事である。
茶々のコートの下はシャネルの5番だけではない。季節は2月であるが(そうゆう趣味)の方には良い時期である。ただし、茶々のその手の話は後日にまわす。
千利休:「これは打って変わってカジュアルな服ですな。」
茶々:「ははっ、判るか。カジュアルとは流石に利休殿だ。何時も同じ服を着ている壮年のお方とは思えないのう。」
千利休:「商いで使ってるゆえ、先ほどのエレガントなコートも素敵でしたぞ。」
茶々:「叔父上には叶わぬのう。実はな、この服は京都の(ユニクロ)で石田三成に3年前に買って貰ったものじゃ。」
茶々は昼間の事を思い出したので、利休を叔父上と呼んだ。同時に3年前の京都での短い(青春時代)を思い出していた。
茶々:「思い出すのう。楽しかったのう。三成殿は優しかったのう。」
千利休:「何の事に御座いますか?三成殿が如何しました?」
茶々:「いやいや、なんでも無い。料理が来る前の食前酒が来たようじゃ。スパークリングワインと申す。安物だが妾は新鮮だからこちらが好きじゃ。」
茶々の言う(安物)は2貫と400文(12万円)、現代日本では4000円程度だが、輸入経路と料亭の利益でそうゆう金額になる。