影武者 豊臣秀吉 2
影武者 豊臣秀吉!凄いタイトルでPV取りに行ったが、本当はどうなんだろ。取り敢えず史実通りに千利休にお亡くなりになって頂こう。どうも話が行き当たりばったりで登場人物まかせだ。マジ、異世界で現在進行中かな?
旭日姫死去1590年2月18日
豊臣秀長死去 1591年2月15日
千利休死去 1591年4月21日
鶴松死去 1591年9月22日
大政所死去 1592年8月29日
豊臣秀頼誕生1593年8月3日
豊臣秀次死去 1595年8月20日
豊臣秀吉死去1598年9月18日
文禄の役1592年4月
慶長の役1597年1月
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(1591年3月)
千利休は肥前名護屋城の茶室に居た。現代で言うホテルなどのカフェラウンジである。
茶道の様にかしこまって茶を点てるのとはかなり趣が異なる。
千利休は肥前名護屋には小型のクルーズ船で来た。堺発で大阪、福原などを経由して呼子港に入った。さらに長崎まで向かう。
(瀬戸内海クルーズ船について)
日本国が戦国時代に転移した時は、歴史の改変が及ぼす影響を恐れて、現代技術の流出を厳しく制限していたが、なし崩しに開放されてしまった。
(仮称:九州独立国)
さらに秀吉の開放政策により、九州は先進性の高い博多及び長崎に引っ張られる形の独立国の様相を見せ始めてきた。
とはいえ信長の領内のようなインフラ整備は行われず、人民は重税を搾取され、田畑を耕作出来ない者は奴婢として販売されていた。
(仮称:関東徳川独立国)
さらに、これを話すと長くなるので手短に記すと、徳川家康の国替えにより関東にも独立国が出来つつ有った。仮称:関東徳川独立国は、信長の経済政策と相反する、時代に逆行する封建制度を敷いていた。
話は戻って1591年3月の肥前・名護屋である。
石田三成:「利休殿、よくぞ参られた。」
千利休:「石田殿、まずは茶室にてと案内されたが趣きが違いまするな。」
石田三成:「まずは、お品書きをご覧頂きたい。何なりと好きな物を注文頂きませ。」
千利休:「ほほぅ〜、これはかたじけないない。」
石田三成:「いや、利休殿、誠に申し上げにくいが、有料でござる。なんせ、カノ国の物をイスパニアから仕入れておるゆえ、ご理解頂きたい。」
千利休:「さようか、、、、では、この抹茶ラテにいたす。んっ、50文(2500円)でござるか?」
石田三成:「有難き幸せ、されど、遠路御足労いただいたゆえ、我が方より、さくらシフォンケーキを召し上がっ頂きたく候。」
千利休:「んっ、これか。美味そうであるが、えっ、60文(3000円)、ちと負からぬか?」
石田三成:「いゃいゃ、そちらは当方からの献上にて無料に御座います。」
千利休:「うむ、三成、良い奴じゃのう。」
ケーキと飲み物が運ばれてくる。利休が口にする。和菓子ではないが、流石にお手前は美しい。
千利休:「ふむ、美味い。京都の不二家のケーキを何時も信長殿より頂くが、自分の銭で買うと無駄に出来ぬゆえ、しかと味わえる。これもおもてなしの心よのう。」
石田三成:「さて、利休殿は如何なる御用事で、かような肥前に参られた。」
千利休:「うむ、先頃、お亡くなりになられた豊臣秀長公の墓前に花の一輪など供えとうて参った。して秀吉は何処におる。」
秀吉は呼び捨てである。もっとも、この世界では秀吉は関白でも太閤でもない。
さらに千利休は信長の最も信頼する重臣でもある。
決して、侘び寂びの一介の茶人ではない。
後世、茶の湯の創設者としての功績が大きすぎて
、誤解される事が多い。
茶々:「御免つかまつる、これはこれは、利休殿、お久しぶりに御座います。お会い出来て、茶々、喜びにたえません。」
千利休:「なんと、そこなる貴婦人は茶々殿か。」
胸の空いたフォルターネックのドレスを着た茶々が歩み寄る。最大限に圧倒的に極限まで艷やかである。
茶々:「我が主人、秀吉は今、軽き病に臥せっておりますれば、今日は利休殿にお会い出来ぬと嘆いております。明後日には病も癒えると医者も申しております。」
千利休:「それは心配じゃのう。して病とは?」
茶々:「それが何とも申し上げにくいのですが、気の病かと思われます。妹の旭日姫が亡くなられれたのも、自分が無理な縁談を持ちかけたからじゃと気に病んだり、鶴丸が病ばかりなのは自分のせいだとか、大政所の具合が悪いのは祈祷が足らぬとか。秀長が死んだのは自分をたしなめるためだとか。」
石田三成:「茶々様、利休殿にその様な事まで言わずとも。」
茶々:「んっ、三成殿、いささか無礼であろう。利休殿は、我が父も同じ、母上(お市)も利休殿からのお気遣いを喜んでおられると文を頂いておる。」
石田三成:「申し訳ありませぬ。拙者そのようなつもりで申し上げた訳では御座いません。お許しくだされ。」
茶々:「いゃ、いゃ、言い過ぎた。許せよ三成殿、して叔父上、本日の宿泊は何処に?」
千利休:「唐津に安宿をとっておりますゆえ、ご心配ならずとも、それと叔父上とは?、私は信長殿ではありませぬぞ。」
茶々:「いやいや、つい言い間違えた。されば利休殿、これから、そなたを叔父上と呼ばせてくれまいか。」
千利休:「有難き幸せ。」
茶々:それと今日の宿じゃが、妾が唐津に良き料亭を知っておるゆえ、そちらに致せ。妾も叔父上と語らきたき事多い。上方の話も聞きたいゆえ、よかろう。勿論、銭の心配はいらぬ。」
千利休:「それは有難き事、実を申せば路銀の無くなる事の早き事、如何なる事やと難儀いたしておりました。」
茶々:「三成、頼んだぞ。料亭「花菱」に致す。」
石田三成:「心得ましてございます。」
茶々:「あっ、それと売れ残りの、さくらシフォンケーキが有ったろ、賞味期限切れの少しばかり固くなったやつじゃ、妾はあれくらいが歯ごたえが有って好きじゃ。我が寝所に届けさせよ。」
石田三成:「か、か、かしこまりまして御座います。」