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戦国三都物語:永楽通宝で日本統一 5 徳川家康

ついに徳川家康登場、史実では132万石の大大名だが転移世界では70万石に過ぎない。しかるに徳川家康の天下取りは、(ある確信)をもって進む。

前回続き:1586年(天正14年)2月の安土城


織田信長:「さて来年度の予算で徳川家康の力はどの程度になるか?」


森蘭丸:「国税と守護職交付金と国人等交付金の配分ですが、国税分30%、守護20%、国人等40%、寺社10%に御座います。」


国税は織田信長、守護は徳川家康、国人等は本多忠勝などの家臣団である。越後の上杉景勝に全額渡したら、家臣団にビタ一文支給しなかった失敗に懲りて、配分を織田政権が決める事になった。


織田信長:「それで家臣団の力は削減できるのか?」


森蘭丸:「前年比80%ですが、家康が自分の金を家臣団に配ったら前年比95%になります。」


織田信長:「なるほどのう、家康は贅沢を好まず家臣を大事にするから難しい。苦労人は忍耐強くてかなわん。」


森蘭丸:「それは褒め言葉でしょうか?上様らしく御座居ませぬな。」


織田信長:「ところで羽柴、いや、先日名前を変えた豊臣秀吉は如何しておる。」


森蘭丸:「そちらは心配に及びません。秀吉殿は遊び呆けておられます。歌舞音曲に暴飲暴食、先日の血液と尿検査の個人情報を秘密裏に入手しております。」

 

織田信長:「そうか、儂も他人事では無いしな。」


その後、森蘭丸の叱責にうなだれる信長であった。割とデリケートである。


― ― ― ―


本日の話はタイトル通り徳川家康である。

徳川家康は浜松城にいる。現存する浜松城は昭和33年に建てられた鉄筋コンクリート造のレプリカである。堀尾氏によって同時期に建てられた松江城が類似していると言われる。4重5階の現存する木造天守閣である。


徳川家康の石高は駿河・遠江・三河三国の70万石である。現在の金にして1890億円であるが甲斐・信濃を手に入れた信長の370万石には遠く及ばない。それ以上に信長の税制改革による経済力は他者を圧倒している。


徳川家康:「来年度の交付金の仔細(しさい)が来たがどうにもならんのう。」


本多忠勝:「さように御座います。我ら家臣は塗炭の苦しみに御座います。給金は変わらず、売上税にて物価は天井知らず。皆の者は道路整備や運搬、酷いのは屎尿処理に駆り出される始末です。」


徳川家康:「屎尿処理!そこまでやらされてるのか。武士の面目もない。直ちに辞めさせろ!」


徳川の領国には未だに下水道は無い。信長派遣の衛生管理官の指示で屎尿は手漕ぎポンプで汲み取られ桶に入れられリヤカーで運ばれる。運搬先は屎尿処理施設で発酵熱で殺菌されて肥料になる。現代日本で否決された窒素リン酸カリのリサイクル法案の趣旨に合致する。戦国日本の方が進んでいる。


本多忠勝:「さように御座いますか、ならば織田殿と一戦交える段取りをいたします。」


徳川家康:「はぁ〜、そんな事まで信長殿は口出しするのか?」


本多忠勝:「さように御座います。信長殿の直々の厳命に御座いますれば、致し方ございません。」


家康は本多忠勝の枕詞に辟易(へきえき)しているが、武術無双の者ゆえ逆らわない。


徳川家康:「して、忠勝、東夷国(現代日本)への探索は進んでおるか?」


本多忠勝:「さように御座います。徳川宗家19代当主の徳川家広様と連絡が取れておりますれば、東夷国の技術支援も期待できるかと思われます。」


徳川家康:「何!あの慶喜の子孫か!当てになるか!」


本多忠勝:「さように御座いますが、秀忠様の御子息、保科様からの流れにて松平容保公の子孫に御座います。」


徳川家康:「そうか良きに計らえ。でっ、話は変わるが、江戸の街作りは如何がなっておる。北条は働いておるか?」


本多忠勝:「さように御座います。殿の命により5年後の小田原征伐と移封の件は伏せて、江戸に新政所を作り北条殿が関東管領になると騙して有り金はたいて川や街道の整備、田畑の区画整備をさせております。」


徳川家康:「手筈通り抜かり無く事を運べ、あの様な湿地の寒村が日本の都になるとは信じがたいがのう。それと忠勝、そなた口が軽くないか?正直過ぎる。」


本多忠勝:「さように御座います。」


徳川家康は返す言葉を失った。


― ― ― ―


徳川家康は小田原征伐から関八州移封、関が原を見越していた。だが関八州を与えられてもインフラ整備で大方の金銀を使い果たし戦費が不足するのを予測して北条を焚き付けていたのである。


さらに天正壬午の乱で信長方に渡った旧武田配下の忍びや金堀り衆などの技術集団の取り込みなど(旧史実に基づく勢力)の復元を画策していた。


徳川家康の考えでは歴史の復元力が働き、自らが征夷大将軍になり江戸幕府を開くと、おぼろげな確信が有った。歴史のジグソーパズルに当てはめて行けば、物事は成せると天下人の嗅覚が教えていたのである。








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