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戦国三都物語:永楽通宝で日本統一 3

ルイス・フロイスの紀行文の続きである。合戦シーンがなくて平和に思えるが戦国時代なので、アチコチで小競り合いはある。関が原とか大阪の陣はどうしよう。そういえば秀吉や家康は何してんだろう。

ルイス・フロイスは京都総合診療所の病室に居た。

ここではフロイスの紀行分を載せる。ただし単位等は現代日本に合わせてある。


何という美しい部屋だろう。間口3メートル奥行き5メートルの白い壁の清潔な室内。腰壁の板張りが無機質になりがちな室内にアクセントとなっている。

洗面所とやらの水が出る水道には仰天したが、蛇口を動かすと湯が出るのにはさらに驚いた。水はそのまま飲めて、なんと無料である。繰り返して言うが蛇口を捻ると清潔な水が使い放題なのである。

何と言っても素晴らしいのはウォシュレットと言うトイレである。自動的に蓋が開き便座に座ると温かい。さらに驚いたのは洗浄水が噴出して、私のデリケートな部分を洗ってくれる。さらにさらに、親切にも温風乾燥をしてくれる。

テレビジョンという信じがたい装置が壁に掛かっている。厚みは5センチ、幅が1メートル60センチ、高さ90センチの窓なのだが、窓の中に異世界が有る。何処か知らない異世界を切り取り保存し運んで来たのだ。

切り取った異世界の(大河ドラマ)とやらが映し出される。そこには若き日の私が居た。さらに驚くべきは女優の美しさである。その中でも飛び抜けて可愛らしい女性に心を奪われた。主人公信長の妻の帰蝶を演ずる菊池桃子さんというお方である。


ここまでがルイス・フロイス本人の記述である。なかなか楽しいが紙面にはキリがあるので要約させて戴きたい。


フロイスは翌日から各種の検査と診断を受けた。マラリヤはかなり前に感染していた。寄生虫も当時の人は普通に腸内に飼っていた。ビタミン不足による脚気や壊血病も若干の症状があった。目は近視だったが加えて老眼の傾向が有った。歯の治療も行いインプラントを数本施術した。


現代日本の医学での全ての医療が行われた。栄養指導や整体も行われた。眼鏡は執筆に問題無いので見送られた。

退院時にルイス・フロイスはあらゆる費用を免除されたばかりか、鉄道周遊の無制限パスを貰った。更には200文紙幣(1万円相当)を300枚貰った。信長からの贈り物で有るが、贈呈には条件が有り、3ヶ月以内に使い果たして安土城に来いとの条件付だった。今で言う取材料である。


既に鉄道沿線の駅から街道沿いには商店街が出来つつあったが、フロイスは先ずは京都駅周辺から「取材」する事にした。


戦国京都駅前の不二家ケーキ店


フロイスの目が点になった。まず目に飛び込んで来たのは(メイド)で有る。このメイドを記述したフロイスの報告書は実に400字詰め原稿用紙にして15枚に及ぶ、故にこれも省略するが、気になる方は(えなこ メイド)で検索して戴きたい。


フロイスは店内の客を観察する。流石に身なりは良い。当時の富裕層しか入店証を貰えないからである。入店証を貰うには一定の納税と身体検査が必要である。

シラミ、寄生虫の検査証明に服装と入浴回数の聞き取り調査である。すなわち不衛生で臭いのは駄目である。


であるため上品な客が多いと思われるがさにあらず、である。メイドの頭の先から足の先まで嘗め回す様に凝視する輩がいる。気になる方は(秋葉原 撮影会)で検索して戴きたい。若いメイドの中にはイヤらしい視線に抵抗するより快感によりトランス状態になって極めて煽情的なポーズをする娘がいるのには古今東西、困った者であるが、京都守護代:織田信忠は比較的寛容であった。信忠は当時28歳、その手の分別の出来る(大人の男)である。


話が脱線したがフロイスはイチゴのショートケーキと紅茶を飲む。紅茶には何と角砂糖が2つ付いている。言わずもがな砂糖は超貴重品である。

ショートケーキの美味さはまさに極楽である。この記述にもルイス・フロイスは原稿用紙で2枚使ってるいる。メイドの記述よりは遥かに少ないがやはり省略する。


ルイス・フロイスの見聞録を記載すると、ゆうに書籍が12巻以上いる。現存するフロイスの日本史でさえ12巻、さらに惜しくも消失した初期の原稿、転移時代の草稿らを含めると30巻超に及ぶ。凄まじい執筆力は司馬遷か横山光輝並である。


さてさて、ルイス・フロイスの見聞録は、またの機会に回すとして、フロイスの記述は若狭湾の小浜港、尾張の商業都市:津島湊、瀬戸内海の播磨灘の福原(神戸港)に及ぶ。この逆Y字形の交通網はそれぞれに海外貿易の相手先が違う。


3箇所の貿易は中国(小浜)、イスパニア(福原)、現代日本(津島)への交易において限定的であらねばならなかった。南蛮貿易は戦国日本のみが窓口の方針は新旧日本の最重要な取決めであった。


なぜなら、恐るべきは当時の世界帝国イスパニアとフェリペ2世の存在である。然るにYANMAR発動機事件の様な事案が発生した。現代日本からイスパニアへの技術流出は(ほころび)びをみせていた。


16世紀の歴史上の最大の分岐点、アルマダの海戦まで約2年半に迫っていた。1588年!この世界の歴史に何が起こるか、そしてその後の世界がどうなるか?誰も予測は出来なかった。


ただし、そういった新旧日本の真面目な議論とは他に

「どうでもいい」「大丈夫だろう」「そんなの関係ない」「どうせ異世界だ」「考えても仕方ない」と言う意見が現代日本では多数を占めてきたのである。

これは転移により海外貿易が途絶えた1億2700万の人口を抱える現代日本に当然に湧き上がる衝動である。



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