鞆幕府 5 鞆の浦 八咫烏
鞆幕府と備後国人との攻城戦の全貌をお伝えします。
(先ほどの戦闘を幕府の司令室より報告します。)
距離は150メートル、高低差30メートル、角度は俯角11.3度。
この条件で直径20センチの動く的に当てなければならない。しかも百発百中である。
外れたら味方に当たるか、石畳に跳弾して、やはり味方に当たる。
さらに困難なのは的の周囲に動く障害物が無数にある。
こんな芸当をやってのけたのである。
鞆城内の作戦司令室
自衛隊員A:「敵味方の識別完了」
自衛隊員B:「不確定要素排除完了」
自衛隊員A:「マーキング全修了」
自衛隊員B:「八咫烏よりスカウターにマーキング送信」
狙撃兵士A:「了解、スカウターに光点確認」
狙撃兵がスカウターの光点に銃口を向けるとレザー照準の光点が重なる。狙撃兵の指が動く。スカウターの光点が点滅して消える。
実に!すなわち!なんと!これで光点=敵兵が消滅する。
簡単な事だ。光点が重なるまで引金は作動しない。狙撃兵は軽く指を添えているだけで良い。
自衛隊員A:「100の赤色光点の、点滅消灯確認。」
自衛隊員B:「青色光点に異常なし。プロジェクト143220完了。修了時間は143710」
午後2時32分に始まったプロジェクトは5分足らずで修了した。スカウターの正式名称は光交点式目標示準機だが形状からそう呼ばれている。勿論、光点の戦闘力は表示されない。
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(織田信孝が出撃した鞆城北面の様子を前回から)
北面から撃って出た、織田信孝配下の神戸480人衆は破竹の勢いだった。
騎馬20騎と歩兵50人、計70人の編成である。神戸480人衆は軍団の名前であって
当面の人数では無い。鞆城内には未だ200名近くが予備戦力として控えている。
華々しい戦果をあげたが、やはり多勢に無勢である。渋川党と備前本願寺勢力が逃げなかったので、織田信孝の騎馬団は渋川党に包囲されて膠着状態になった。というより騎馬団が殺戮に疲れて小休止をしたからである。1人5つの首をとればノルマは達成されてお釣りがくる。
渋川勢は南側で100名、北側で100名、さらに僧兵の鉄砲隊が幕府軍の射撃にあい50名ほどが死亡している。
織田信孝の騎馬隊には100名の騎馬武将と随伴歩兵200人が討ち取られている。
4000名の包囲軍のうち550名が死亡している。致死率13.75%は第4次川中島21.5%並である。それも双方に同等の死傷者を出した川中島合戦とは違い、渋川勢のみが損害を受けている。
対して織田信孝軍は死者2名、負傷者11名である。死者の2名は銃弾を受け横たわる半死半生の渋川勢に不意打ちの槍で刺された者である。
場内から100名の信孝予備隊がカービン銃を携え包囲軍と信孝軍の間に割って入り撤退は無事に完了した。
前線の渋川勢の騎馬は討ち取られていたので、カービン銃を向けられた歩兵が茫然と信孝軍を見送った。やはり死にたくないらしい。
祭りが終わり、後片付けの時間になった。これは双方暗黙の了解による一時休戦である。550名の遺体が大八車に乗せられる。何処からともなく手伝人が集まり死体の処理をする。死体は身ぐるみ剥がされ大八車で何処とも無く打ち捨てられるのが戦国の習いだ。
渋川勢と地侍と僧兵は野営に入った。激戦が終わり、夜の帳が落ち、明々と松明が灯される。
生き残った者達の酒宴が始まる。これまた何処からともなく遊び女達が陣屋に現れ荒稼ぎをする。勝ち戦より負け戦の方が実入りが良いようだ。包囲軍の半数近くは逃走したので2000名の兵士と僧兵が最後の酒宴を楽しんでいる。