鞆幕府1 守護と地頭
新展開の鞆幕府編、やたらゴタクが長くなってしまいました。今回はつまんないから次回ご期待。
やはり転移物は最新兵器で戦国時代を殺戮の嵐に。
(おい、おい、御先祖様だぞ。貴方が消えても責任持てません。)
(泣く子と地頭には勝てぬ)と言う諺がある。
(聞き分けのない子や横暴な地頭とは、道理で争っても勝ち目はない。道理の通じない相手には、黙って従うしかない。)と言う意味らしいが、地頭は鎌倉時代からの徴税権を持った役職である。勿論、異論は有るし、そもそも鎌倉時代って何時からだって話になるとお手上げである。
戦国時代:毛利輝元の税制について述べようと思ったが資料が無い。有るかも知れないが調べるのも億劫であり、
話の筋から反れる。そもそも、この小説は異世界転移物であり。実際の史実に反していても一向に構わない。
余談だが近頃のNHK大河ドラマは異世界転移物と思えてならない。司馬遼太郎原作の大河ドラマ復刻版を願う。
これ以上は筆者の年齢がバレるから止めておく。
鞆幕府が近頃、話題なった。これも大河ドラマの影響と思われるが、今回は足利義昭が将軍職を織田信長に剥奪された時からの話である。勿論、日本戦国転移の世界の話である。
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足利義昭の鞆幕府は史実では天正4年(1576年)より天正16年(1588年)までの12年に及び、幕臣も100名前後と大規模な亡命政府と近年判明している。
史実ではそうであるが、転移世界の歴史では天正10年(1582年)までが足利義昭、少しの空白期をおいて天正12年(1583年)からは信長の3男:織田(神戸かんべ)信孝を鞆公方(征夷大将軍代行)として、丹羽長秀を管領、蜂屋頼隆と津田信澄を副管領として備後の鞆の浦に副幕府を作る。
後世、二条城の信忠を二条公方、鞆の浦の信孝を福山公方、安土城の信長が本公方と呼ばれる事になる。
次男の信雄の名前が出てこないが、信長が現代日本に伝わる史実から警戒し、役職から遠ざける事になる。
信長の楽市楽座では「運上・冥加」という寄付金・献金を徴収していた。強制か任意かは定かでないが、堺の町に1万貫(約5億円)の銭を武力で徴収しようとした史実から、あながち楽楽ではないだろう。
魚屋:与平「さぁ、いらっしゃい。今朝採れの鯛に平目ときたもんだ。生きが良すぎて踊ってるよ。」
与平は魚屋である。今朝、魚河岸から海産物を500文で仕入れて来た。全部言い値で売れば700文だが70文の税を払わなければならない。魚河岸は50文の税を払い、漁師は90文の税を払っている。現代で言う消費税だが210文が幕府に入る仕組みだ。漁師は2割、問屋と魚屋は1割の税であるが、売値の3割は税である。実際には魚河岸の儲けや運賃も加算されるが話が複雑になるので止めておく。
越後特区では税を一律2割にしたので小売値が高くなり過ぎて客離れを起こしかけたので改定された。信長という男は割と融通が効く。
鎌倉時代に始まった、守護・地頭。地頭は名前を変えて戦国時代を経て太閤検地まで続く。神社や寺は座(組合)や関所を作って巨大な利益を上げていた。
さてさて困ったのは神社・寺である。年貢米を素通りされた国人(地頭)も気が気ではない。信長の税制改革によって租税が1本化されて税の重複が厳しく制限された。
現代でも所得税・市県民税・固定資産税など国税だか地方税だか知らないが税の重複がある(怒)。
比叡山焼き討ちにまで発展した畿内での信長vs寺社勢力の抗争は信長の宗教弾圧で無く、こうした徴税権を巡る争いである。
そして、こうした抗争は鞆幕府でも折り込み済みで有ったが想定の範囲を越えた事態に発展する。
新公方:織田信孝の真骨頂を見せる事になる。