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117 1595年9月8日 豊臣秀頼2 覇王

秀頼は2歳になった。普通は前世の記憶は薄れる年齢であるが秀頼は克明に思い出していた。それは前世から引き継がれた記憶でなく新たに付け加えられた「モノ」かも知れない。


豊臣秀頼:「織田信長殿はこの世界では御存命と聞く。是非にも有ってみたい。」


茶々:「叔父上は御存命どころか、老いてますます元気です。現代日本の医療技術にては65歳如きは未だに壮年に御座います。」


豊臣秀頼:「して、徳川家康は如何にしておる。彼の者は我等が知っておる家康か?」


茶々:「いぇ、前世の家康とは違うと思われます。」


秀頼:「別人と申すか。やはり影武者が引き継いだのか。」


茶々:「世良田二郎三郎元信に入れ替わる筈です。」


茶々は今の徳川家康と肌を合わせた事は、秀頼には隠していた。母として当然の事である。

家康は領国の関東にいる。転移から13年、関東は北条氏から徳川に引き継がれた。何故、北条氏が討伐されたかは、転移世界の謎であるが表向きは織田信長に服従しなかったからだと言われる。だが実情はいささか異なる。徳川幕府を作る為である。

現代日本において、徳川幕府は滅んでいるが徳川宗家は健在である。皇室と徳川家が近い関係になったのは実は明治時代からである。和宮降嫁はさほど意味をなさなかったが、天皇家の東京遷都から両者は地理的な関係から親密になった。薩長幕府と謗られたが明治政府は旧幕臣が支えていた。


やがて時は跳び再び奇妙な「公武合体」がなされていた。

転移世界の皇居・御仮寓所(ごかぐうしょ)

日本国摂政・佳志子(よしこ)様:「それで、防衛ラインはどうなっていますか。」

徳川19代宗家・家仁:「関八州を絶対防衛圏として居ります。」

関八州とは武蔵(東京都・埼玉・神奈川)、相模さがみ(埼玉)、上野こうずけ(群馬)、下野しもつけ(栃木)、上総かずさ(千葉)、下総しもおさ(千葉・茨城)、安房あわ(千葉)、常陸ひたち(茨城)にあたる。


防衛圏は当初は梅毒に対する物であったが、ペニシリンの大量生産により、意味合いが異なってきた。

関八州は既に現代日本国の配合飼料の巨大な生産地となっていた。

すなわち現代日本国の酪農は関八州を母体として成りたっていた。牛乳、チーズ、牛肉、豚肉、鶏肉、卵などは全て戦国日本関八州からもたらされている。

とはいえ現代日本国の酪農産業を守るため現地生産はない。




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