113 1594年7月2日 アクバル世界皇帝
人類初の世界皇帝が決まりました。
ゴアのミラマー・ビーチ
1594年7月2日
もちろん異世界の話である。麻奈、可奈、嘉藤治五郎、ルイス・フロイスはジャポンネットタカタカのクルーズ船、MSCベリッシマ 3でマカオ、マイニラとインドに出かけている。
帰りは7月8日乗船だが、麻奈、可奈が乗りたく無いとダダをこねた。
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(現代の話だが、中国からの乗船客には、あまり良くない評判がたっている。どうやら500人以上の乗客数が船のキャパシティを超えているようだ。)
「食事はまるで金泥棒」「乗降時の混乱がひどい」「食事するだけでも長い列に並び、乗降時には何度も押し合いへし合いする状況になり、非常に驚いた」
「クリスタルのらせん階段」や「青い海と空」を背景に美しい写真を撮影しようとドレスやカメラを用意していたが、「撮影どころか、らせん階段を通るたびに押し出されないように気を付けないといけなかった。人が多すぎる」と漏らした。
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ゴア世界政府と言っても、世界を武力で制圧した訳では無い。イスバニアとポルトガルと現代日本が手を組んだだけである。ポルトガルは既にフェリペ2世の統治下にある。なのに何故、世界政府だの世界征服だと言えるか?
それは日本が服従を求めて無いからである。すなわち、「輪の中に入りたい人は手を上げて。」で入らない国はほとんど無いとの見解だった。
インドは16世紀後半から17世紀にかけてムガール帝国と西欧諸国との間で商品取引の良好な関係が続く。
武力による植民地統治の搾取になるのは18世紀になってからである。勿論、悪い奴等はイギリスであるが今のところは新興国にて大人しい。
インドと中国は当時でも、人口1億を誇る。これくらいが適正な人口だと思える。今が多すぎるのは誰の目にも明らかである。
世界政府が最も危惧しているのは宗教対立である。トンカツや豚骨ラーメンやシャウエッセンなら許せる。怖いのは自爆テロである。コレは防げない。
普通の人間は死んだら終わりだが、どうやらイスラム教徒は命がいくつも有るから厄介である。
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ムガル帝国第3代の皇帝(在位1556~1605)。アクバル大帝と称される。わずか13歳で即位、4年後に親政を開始、1565年には新都アグラを建設した。アクバルは1564年、非ムスリムへの人頭税を廃止するなどのヒンドゥー教徒との融和を図る。(世界史の窓より抜粋)
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アクバル大帝は52歳になるが調和のとれた神の如き人物である。後光が差してるんじゃないかと思えるほど神々しい。アクバル大帝はイスラム教徒であるがヒンズー教やキリスト教にも理解を示して融和をはかった人物である。
よって、世界政府の初代皇帝を兼任して貰った。エリザベス1世やフェリペ2世より上の位である。
誰が推薦したかは定かでないが適任である。
アクバル大帝の最初にして最大の難題がいくつかある。イスラム教の教義と照らし合わせて判断を仰ぐのは極めて難しかったかもしれない。
しかし大帝の御心は慈悲深く寛容である。いくつかの重大な決定がなされた。
先ずアラビア海のヌーディストビーチであるがパナジ西岸のミラマー・ビーチでのみ美女特区として認められた。人々の鑑賞に耐えうる女性のみ神の創造物にて芸術品という考え方による。宗教画と同じ解釈である。
麻奈、可奈、マーナ・クレメンツ、カーナ・クレメンツなど、最終選定はアクバル大帝の直接吟味にて行われた。麻奈は選定の場でいきなり全裸Y字開脚をしたので周囲をビビらせたが条件付で合格した。条件は(程々 にせよ)との事だった。
後日、クレメンツ姉妹は無論合格したが、齢59歳のエリザベス1世は応募したが書類審査で落とされた。応募用紙に全裸写真が添付されていたので審査員の度肝を抜いた。
次に豚食であるが、きちんと衛生管理されている環境なら許可される事になった。豚は雑食であり排泄物も食べるのが理由だったが、キチンと加熱して食べる事を条件にアクバル大帝により許可された。イスラム教は生活宗教だから、本来、教理によって人を裁いてはならない。
大帝は許可の時に、自らトンカツとシャウエッセンと豚骨ラーメンを食した。
アクバル大帝:「私は豚骨ラーメンは好まん。臭い。」
どうやら昨日作った豚骨スープの温め直しを出したようだ。トンカツとシャウエッセンは問題は無かった。
とはいえ、アクバル大帝を悩ましているのは人民の疫病だった。梅毒、癩病、結核を治療してくれるならイスラム教の教理など些細な事だったようだ。