108 1594年5月10日 ファラオの運河
ファラオの運河
1594年5月10日 現代日本
急遽、スエズ運河の掘削が決まった。日本のゼネコン鈴木建設に年度内竣工を打診したら、アッサリ年内竣工の返事が有った。地中海と紅海は水位差が少なくパナマ運河の様な閘門が要らないから、砂漠を掘れば良いだろうと軽い返事だった。
久々の大規模海外プロジェクトにゼネコンは大喜びだったが、誰かが水を差した。
浜地知安部長:「あの〜用地買収の期間はどうしましょう。」
鈴木宇山社長:「なにを馬鹿な事を、戦国時代にそんなモンいりますか!」
浜地知安部長:「いゃ、社長、戦国時代じゃなくて世界は大航海時代です。」
鈴木宇山、鈴木建設を1代で日本で五指に入るゼネコンにした。剛腕の社長であるが政商と言われ、建築・土木は中途半端な玄人・素人である。広島の五郎洋建設のスエズ運河での苦労談も知らない。
エジプトのマムルーク朝の一族がオスマン帝国12代皇帝ムラト3世に謁見している。グレートビター湖からナイル川への古代のファラオの運河を整備したいと言う話だ。
実はスエズ運河の開削の約3700~2500年前に既に運河が有った。グレートビター湖から西に向かう運河である。これはオスマン帝国にとって美味しい話で有った。喜望峰からインドへ向かう海路をイスパニアやポルトガル、近頃はイングランドやオランダに行き来されて、世界の富の2/3が集まるイスタンブールの経済にも翳りが見えてきた。
支配地域のバルカン半島やエジプトからの海路を開けば形勢は一気に有利になる。
エジプトは1517年にオスマン帝国に征服されたが、マムルーク朝の王家や有力な軍人は残っている。
地中海沿岸のバルカン半島諸国やアフリカ北部の国も虎視眈々と失地回復を狙っていた。
ムラト3世に謁見したエジプト人が誰かは判らないが上手く丸め込んだものだ。オスマン帝国首脳部が謀略に気付いた時、ムラト3世は48歳で崩御している。後の祭りである。
鈴木建設、五郎洋建設、鹿ノ島建設などのゼネコンJVがシナイ半島に乗り込む。史実のスエズ運河開削は10年に渡る大工事でエジプト農民が4万人ほどが動員され、2万人の死者が出たといわれる。
これは熱中症によるものと考えられるが、時は16世紀末であり19世紀後半ではない。すなわち小氷河期の真っ最中であり、1594年は最も気温が低かった。
鈴木建設の浜地知安部長は現地に行って驚愕した。試し堀りのショベルカーがキャタピラーごと浮き上がるのだ。表面の砂層の下に硬い岩盤があり油圧ショベルが役に立たない。
ただし、五郎洋建設の水野専務は、(当たり前だ。)との表情で平然としている。
五郎洋建設は1961年のスエズ運河改修計画「ナセル計画」の時の徹底した地盤調査の資料がある。さらにはスエズ運河創設者レセップスの記録の仔細を読み岩盤は把握している。岩盤が有ると判ればコースを変えれば良いような気がするが、すべて新たに調査しなければならない。それに19世紀後半に出来た事が21世紀の技術で出来ない訳がない。
五郎洋建設の新兵器スエズⅡが投入される。双頭のジェットモグラが大型掘削機に取り付けられる。逆回転でトルクを吸収したパワードリルが岩盤を難なく切り裂く。サンダーバードのジェットモグラが2台横に並んだような物である。勿論、ドリルミサイルみたいに先端が開いていない。
浜地知安:「凄い物ですですね。驚きました。」
水野専務:「これは祖父と父からの預かり物です。日本が時空転移した日から、必ずスエズに五郎洋建設が再び掘削事業を行う事が有る。との仰せを信じて父と共に準備して来ました。」
浜地知安:「暑いですね。32度有ります。作業継続して大丈夫ですか。」
水野専務:「レセップスさんが1859年に工事を始めた頃は40度以上だったと聞いています。我々が浚渫拡張工事を請け負った時もそれくらいでした。それに比べれば小氷河期の今は天国です。それにスポットクーラーも準備しています。」
万全の体制で工事を受注した五郎洋建設と違って、思い付きでJVを組んだ鈴木建設の鈴木宇山社長の【根拠の無い強運】の凄さを浜地知安は実感して身震いを覚えた。そういえば釣りの時も浜地知安の作った仕掛けで大物を連発する鈴木宇山の強運にも通じている。