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本能寺の変:異聞 続編

話が、あっちこっちに飛びますが戦国日本の話です。織田信長が動きます。

本能寺の変の顛末が戦国日本に驚くべき速さで伝達された。


伝令A:「去る6月2日未明、明智光秀配下の1万3千の軍勢が謀反、京都本願寺にて織田信長を包囲しました。守る軍勢は配下の小姓が100名程度との事にて御座います。」


毛利輝元:「なんと、羽柴秀吉の猿に謀られたか。清水宗治には気の毒な事をした。火急なりし和議、さも有りなん。それで織田信長は如何がいたした。」


伝令A:「はぁ、それが、俄に信じがたい事なれど。」


伝令が私見を述べるなど戦国時代には有り得ない。それ程の事態が起ったのだ。


毛利輝元:「如何した。有り体に申せ。」


伝令A:「織田信長は無傷、子息の織田信忠も矢傷を負いながら命に別状無し。なお、羽柴秀吉が明智光秀討伐に向かうも後報は未だ入らずとの事です。」


毛利輝元:「なんと信長が無傷とな。逃げ遂せたと申すか。明智光秀も(うつけ)け者よのう。」


伝令A:「いえ、明智光秀軍1万3千は、織田信長配下の手勢により返り討ちに合ったとの事にございます。

さらに驚くべき事に、織田方の配下に死傷者は無きとの事に候う。」


毛利輝元は絶句した。


ここで説明しておくが、半年前の現代日本国の転移は織田家中でも一部の者しか知らされていなかった。信長が家臣に隠遁していた事情もある。

しかるに、濃尾平野の大規模な耕地整理、街道を走る車両や巨大な輸送船、更には遼東半島での在日米軍による明国との砲撃戦の話など普通は隠せる筈もない。

それは、当時、既に交易の合ったスペイン・ポルトガルによって諸大名にもたらされていた。

それにも関わらず、諸大名は誰も信じなかった。話が荒唐無稽過ぎたのだ。そして、誰もそれを目撃したわけではない。

南蛮人も自分たちの権益を優先し、東夷の新勢力の話を控えていた事にも起因した。


毛利輝元:「織田信長、やはり噂に違わぬ魔物の類であったか。」


毛利輝元はガックリと肩を落とした。


甲斐武田家無き後、信長に対抗出来る勢力は毛利しかいなかった。この時点で信長の天下布武は成されたのである。

誠に些細な余談だが、後日、足利義昭の鞆幕府も解散して義昭と取巻きは禄を失った。


7月になり織田信長の征夷大将軍の任官が決まった。足利義昭は辞任したが准三宮の宣下を受け、微祿を受ける事になった。されど家臣を失った義昭には十分であり、大いに喜んだと伝えられる。


後日、織田信長は将軍職を信忠に譲る。これは将軍職が世襲にて、織田幕府を開いたと考えられるが、信長の思惑は、その範疇を遥かに超えていた。仔細は追ってお知らせする事になる。

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