八話
八話
鳳凰院、二日目。
猫とふたりで、また、朝、あの、やたらと巨大な鳳凰院の本館のある場所まで――
これは何だ。仲良く通学、か。はは、まったく。おれ、しっかりここで女学生かぁ。。
一ノ講には書、二ノ講には読。
一限目の「書」では、筆を持つ手がぷるぷる震えた。
やばい。。おれにとっては、本気でこれ、修羅場すぎる。。
あらかじめ出される書体見本を、それに極力似せて、和紙の上にひたすら書いていく。
しかしこれ―― 難易度高ッ! あ! やばい! 墨、こぼした! あら―――!!
おれがあまりに下手すぎるので、楽常は、ちょっぴり笑いをこらえているっぽい。
「そこ! せ、先生! わ、笑わないでくださいよ! これでも、真剣なんスから!」
「いや。よい。何事にも、もののはじめというものがある。はは、いやしかし、良いな。なかなか野性味あふれる独創的な書体であるぞ」
「って! それ、ぜんぜん言われても嬉しくないですから!」
続いて二限目。「読」の時間。
これはしかし、さっきの「書」よりも、さらにもっとヤバいかもしれない。。
なにかよくわからん、漢文だか古文みたいなやつを、先生に続いて音読しながら、意味を学ぶという。まあ、趣旨はわかるんだが。
「しかして」とか、「あに、いわんや」とか。なんか舌かみそうな発音ばかりで。これほんとに、何語ですか! って。心の中でつっこみながら。汗たらたらで、なんとか、先生の音読に、ついていくのが精いっぱいで。。
「いや、蜜柑よ、お前はなかなか、」
楽常が、あきらかに笑いをかみ殺して言った。
「これほど雑な学びしかしてこなかった生徒は、ちと、覚えにない。いったいどういう教育を受けた? いや。とがめているのではない。石見地方の、領主階級の。そこの育ての自由奔放さに、わしは少し、感銘を受けたぞ」
「えっと。それってめちゃめちゃ、悪口言ってません??」
「いやいや、悪口ではない。素直な感慨だ」
「いいっすよ、いいっすよ。どうせおれ、こんなレベルっす。それより先生、先、読んでください。これ、授業、止まっちゃってますから」
「お、生意気を言う娘よな。よい、ならば続けよう。『こぞのつき、ほどよきあかりにて、われ、しかしてねやをいでて――』 どうだ? 読めるか?」
「こ、こぞの、つ、っつき!ほど、ほどよき、あ、かりって、われ、しかしかしか――」
一方、午後からの「実技」の方は。
何やら、のらりくらりと、ストレッチ・エクセサイズっぽい練習が延々と続き、
あまり急いで、そこより先に進む気配がない。
漢土の作法。
などと言って続けられるその稽古は、そのほとんどが、寝技。
息をととのえながら、呑気に床の上に寝そべって身体をのばしたり、ひねったり。ときどき、本当に眠くなる。それくらい単調なものばかりだ。あの自衛隊で日々やってきた過酷なムリヤリ筋トレとかに比べたら―― これはまさに、天国。この午後の時間は、おれ的には、ちょっぴりわりと好きかもしれない―― ほどよきボティ・リラックスタイム! とか。ちょっぴり思ったりもして――
「いちど組手の試合を、してみてはどうか?」
そう言われたのは、鳳凰院に来てから三日目の朝だった。
「えっと。え? 組手?」
「そうだ」
楽常がうなずく。
「今日の午後、銀鶏の組で、組手・組足の試合をするとのことだ。ちょうど良い機会かと思うてな。いちどためしに、そこに加わり、試合に出てみるとよい。おまえの今の力を、自分で見るのも良いものぞ」
「えっと。試合って… それ、マジで試合をするってこと?」
「そうだ」
「おれまだ、何も教わっていない、ですけど??」
「そうか?」
「そうッスよ。って、あ、ごめんなさい。そうですわ。だって、あの柔軟みたいなやつしか、まだやってないもん。その、組手っていうやつの、型とか。そういうの、ひとつもやってない」
「型?」
「そう。突き方はこうとか、足の蹴りはこうとか」
「それが何? 必要か? そんなものが?」
「え? 必要かって…」
おれは肩をすくめる。まさかそういう、逆質問が来るとは思わなかった。。
「そもそも、型とは何だ?」
楽常が、思いがけないことをきいた。
え? おれは思わず、先生の顔を見る。
「型は、型でしょ。だいたいどういう武術にも、なんか、あるじゃないですか」
おれは口をすぼめて、もごもご言った。
「えっと… 言っちゃうと、理想の、攻撃の、形のようなもの? 模範っていうのかな? とにかくその、体の動かし方の、いちばん効率いい、効果的なやりかた。そういうのが「型」かと。おれは、その、思っていたけど――」
「おまえの言うのは、それ、武術ではない。それはな、童の稽古事よ」
「えっと。。ど、どういうこと?」
「つまりだ」
楽常はすくっと立ち上がり、そこの窓に向かって立った。
窓の外を、薙刀っぽい木製武具を手にした着物姿の女子たちが、何人か連れだって歩いていく。
「じっさいの戦場においては、「型」などという悠長なことを言ってはいられぬ。打つ。叩く。蹴る。斬る。絞める―― もう、それは乱れ打ちよ。綺麗に一人と一人が向き合い、礼をして打ち合う、などということは。ま、戦場ではある由もなし。殺せば勝ち、死ねば敗け。それはもう、潔いものであるぞ」
楽常は、そう言って手であごのヒゲをなでた。どうやらこれ、この先生がこういうひとり語りをするときの癖らしい。
「もしも「型」がほしければ、自分で自分の型をつくれ。自らの手で、それを。人の真似ではなくな。だが―― それよりもまず、とにかく相手を打て。相手を蹴れ。跳びたければ跳んでもよい。「噛む」「物を投げる」「物を振るう」その三つを除けば、あとは何をしてもよい」
「え。。そ、そんなものなの、組手って?」
おれはあきれて楽常を見かえした。そんないい加減な話。。
それってただの喧嘩じゃないの??
「そんな、ものなのだ」
楽常が言い、それから歯を見せて笑った。
「あとひとつだけ、言っておこうか」
そう言って、楽常はおれの、すぐとなりに立った。
「まずは楽しめ。戦いを遊べ。相手との間合い、相手の息遣い、相手の所作。そのひとつひとつを見ながら、遊べ。それ、このわし、楽常のおしえよ」
「戦いを、遊ぶ?」
えっと。。意味が、よくわからない。
おれの、その困り切った「?」マークの表情を見て、楽常は「ははは」と笑って、おれの頭にぽん、と大きく手を置いた。
「ま、ひとつ、実地で試してみることだ。今日の午後は、わしも楽しみにしているぞ」
銀鶏の組っていうのは、全部で百人近くいる鳳凰院の花嫁候補たちのなかでも、
それはかなり優秀な、
上から二番目のクラス。なのだそうだ。ちらっとあとで、聞いた話では。
そこには今、八人の学生が学んでいる、らしい。年は、いちばん若いのが十四、上は、十八だとか。じっさい、その午後、そこの道場で顔をあわせてみると――
やばい。。
八人とも、いかにも秀才天才お嬢様っていう顔、してるしてる。。
なんか、立ち姿からして、すでにサマになってるというか。眼力もすごい。容姿もいいのだが、その目つきが。明らかに皆さん、傲慢と言えるくらいの自信に満ちあふれているのだ。。
ああこれ、明らかに、武術とかも出来そうな感じだ。なんか、エリート女子高のエリートスポーツクラス、的なノリだな。「わたくし合気道六段ですわ。」とか。平気で言いそう。やばいなあ、これ。こんな連中と、おれ、いきなり試合かぁ。。
やばいやばい。緊張してきた。なんだか無駄に喉が渇く。
「では、はじめに。檜絵と、白桃。前へ」
白っぽい道着を着た、キリッとした顔した女の師範が(どうやら、その、銀鶏の組の担当らしい)、そこの道場の、真ん中に立った
桧絵と呼ばれた娘と、白桃と呼ばれたその娘。
どちらも、もうこれは、甲乙つけがたい美形少女だ。
桧絵っていう娘の方は、背がかなり高く、けっこう力ありそう。正面からあれに蹴られたりしたら、かなりダメージ喰いそうだ。キリッと眉が太めで、意志の強い、野性味あふれるいい顔している。うん。わりとおれ、好みかもしれん―― って! おれはいま、女の子仕様ですから! いかんいかん。
いっぽう、白桃っていう子は――
すらりとした、しなやかな体をしている。ダンサー体形、あるいは体操選手っぽい、やたらと「しなやかに、体のできた」ある種のアスリートの気配。立ち姿に隙がない。彼女はしかし、顔は、わりと無表情。少し眠そうな目もとは、相手を見ているが―― しかし、なにかその奥で、ものすごく深いこと、こっそり企んでそう。なにかまったく油断できない。こちらはこちらで、なにげに強そうだ。
二人は向かい合い、頭を下げて礼をした。
「よし。では、これよりはじめ!」
師範の声が響くと同時に、
桧絵の方が、攻めに出た。
蹴り! 下から。
すぐにまわって、肘。
拳が左にとぶ。
つづいて右。
うーん、すごいな。けっこう本気だ。あれ、まともに当たったら大ケガするパターンだろう。女子の試合なのに、ここ、かなり本気の格闘技だなこれ。。
だが、その途切れない攻撃を、白桃って子は、軽く受けている。
おお。なかなかの落ち着きだ。こっちもけっこうやるなぁ。
す、す、す、と。身体をうまくそらせて、相手の猛攻を涼しくしのいでいる。
と、いきなり白桃の左の蹴りが飛び、桧絵が、後ろに退いた。
そこから白桃の鮮やかな攻勢。
脚。脚。脚。
右にフェイントでふって、また脚が出る。
それを腕で受けた桧垣の身体が、大きく揺らぐ。
そこにすかさず拳。肘。そのあと綺麗に脚が入った。
桧絵が倒れる。
白桃が大きく踏み込み、また次の蹴りを放とうと――
「そこまでっ」
そこで師範が止めた。
起き上った桧絵は、肩で荒く息をしてる。口もとから、わずかに血が出ているっぽい。あれはたぶん、口の中をちょっぴり切ったんだろう。すごいな、ここ。女子学校なのに、けっこうマジで、戦ってるぞ。ふむ――
やはりこれは、その―― ミカドをまもる、戦う花嫁候補っていうのは。それ、冗談でも伊達でもなく。本気で武芸、かなり究めた女の子たちの集団って感じか。いや、すごい。ちょっぴりおれも、二人の攻防に見入ってしまった。
そのあと二人はゆっくりと礼をして、その、中央のスペースから外に退いた。
「どうだ? 蜜柑よ、今のをどう思う?」
楽常が、面白そうに目を細めて言った。
「どうって?」
「見えたか? 今のが?」
「ま、だいたいは見えた。そんなにむちゃくちゃ、速いとは思わなかったけど。でも、綺麗な動きだったな。無駄がない。二人ともいい線いってる。とくにあの、白桃って子。あの子はなにか、まだぜんぜん、余力ありそう。わざと本気出さずにセーブしてる」
「ほう。そう見るか?」
「うん。って、まあ、そんな気がしただけ、ですけど」
「では次の試合。涼、蜜柑。前へ」
「お、さっそく呼ばれたの」
楽常がふりかえる。おれはその場でうなずき、立ち上がった。
――ま、じゃあ。おれも、ともかくやってみますか。
おれはひとつ息を吸って、道場の中ほどまで、ゆっくりと歩いてゆく。
向かい合って立ったその相手は。
「涼」という名の、これまたキリッとした美形の女の子だった。
背はそれほど高くない。高くはないが、すごくキュッと引き締まったいい身体してる。髪はほどほどに、邪魔にならない程度に長く―― 顔つきは―― なんだろう。けっこうキツい、キツかわいい、感じか。体育会系の―― 何かのスポーツチームのエースランクの女の子って感じ。女子サッカー部のキャプテンとかに、こういう子、いそうだよな。 んでもって、自信はかなりあるらしい。自信ちょっとありすぎて、口元が、すこし笑ってすらいる。「ふん。田舎娘ねッ」とか。なんか、心の中で思ってそうだな――
「これより、はじめ!」
師範の声が響いた。
おれは動かず、そのままの場所で、とにかく相手を見ている。
相手もまだ、動かない。
動かない。
動かない。
まだ、動かない。
相手の肩が、わずかに左にふれた。
――お? 来る、っぽいな。
そう思ったら、来た。
でも、ん?
遅いな。けっこう遅い。
おれは見切って、身体を後ろに下げた。
相手の拳が、おれの顔の左を通りすぎたのを余裕もって見送って、
膝!
それから――
ドサッ
――え? 何?
おれは驚いて足もとを見る。
そこに相手が倒れる。え? 何? 倒れたの??
動かない。完全にのびてしまっている――
あれれ~ これ、気絶させちゃった、パターンですか??
「そ、そこまでっ」
道場の中が、大きくどよめいた。
――見えた、今の?
――いや…
――なに? どうやったの?
――右足?
なにやら、周囲が騒がしい。
えっと?? なんだこれ? これで終わり?
なんか、すげえ、あっけないんだけど??
おれは首をかしげながら、
ひとまず終わりの礼をすませて、もとの場所に戻った。
楽常が、ぽんと、おれの肩を叩いた。
「まずまず、悪くない膝であったな」
楽常はそう言って、なにかもっと言いたそうに、片目をつぶった。
なに? ウィンク、ってやつですか??
「ま、明日以降、わしから、まだまだ教える。そうすれば、もっともっと速くなろう。おい、なんだ蜜柑? おまえ、つまらなそうな顔をしているな?」
「え、だって。まだ、おれ、何もしてなかったし」
「まあ、そう言うな。退屈か?」
「退屈? いや、そうじゃなく――」
正直、自分でも少しおどろいていた。
なんなんだ? おれ、どうなってる、これ?
たしかにおれは――
自衛隊の訓練で、戦場仕様の、本気で相手を殺しにいく、マーシャルアーツ系のトレーニングを。それこそ、ゲロ吐く一歩手前まで、けっこう、そこそこ、やりこんできた。というか、やらされてきた。実際、訓練で相手の蹴りをよけそこなって軽~く歯が折れたこともある。
ま、たしかにそういう、あれだ。戦場を想定した、殺すか殺されるかの―― ギリギリの格闘術を、少しはやってきた身としては。今ここの鳳凰院でも、そこそこなら、できるかもしれん、という気持ちは。ま、少しはあった。ボロボロの惨敗ではなかろう、という程度には。
だが、とはいっても。
やはり、あくまで、「そこそこ」だ。
まさか、ああいう――
相手の動きがスローに見えるとか。
加減して蹴った膝蹴りが、一撃で相手を沈めるとか――
いや。ちょっとこれは、出来過ぎだろう。うむ。これはない。さすがに。
これは、やはり――
いわゆる、チートってやつか。
異世界転生で、むだに何かの特殊能力が強化されるという――
どうやらあれっぽいな。うむ、
うーん、チートかぁ。。。
だとすると、あれだなぁ。おれ、今、ここで相手に勝っても、
なんかあんまり、胸を張れないよなあ。
だってひとりだけ、ズルしてるようなもんだからな、これ――
けど、おれの横では、楽常が――
そういうおれの、ひそかな内なる葛藤も知らずに。
くっくっく、と。笑いを噛み殺して、
でも、けっきょく、こらえきれずにブハッとか言って、笑った。
「ま、このあとまだ、一、二本はあるはずだ。そこでも、存分に遊べ。慌てず、ゆっくり遊んで来いよ。なんだ蜜柑よ、そんな顔をするな。勝ちは勝ちよ。立派な勝ちであったぞ、蜜柑」




