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七話

七話


 かたん。

 

 小気味よい音がして、寮の裏口の木戸の鍵が外れた。

 って、おい! めちゃめちゃこれ、泥棒みたいじゃん!

 しかし綿虫は平気な顔で、手だけで合図をし、先に自分が外に出た。

 おれもだいぶ内心はビビりながら、まあしかし、そいつに続いて外に出てみる。


「あ、でも。靴はどうする?」

「靴ならあるぞ」

  綿虫は言い、着物のふところから、女ものの木靴を二足、いきなり取り出した。

「ええ?? なぜそこに??」

「まかせろ。夜の外出に関しては、わたしに抜かりはない」




「む。まずい」


 綿虫がとつぜんおれの手をとり、グイッと植込みの中に引き入れた。

「え? な、何だよ??」

 声をたてるな、と。綿虫がおれに目配せした。

 ざり、ざり、ざり。

 砂利を踏む音がして、向こうからふたりの男たちが近づいてきた。なにか物騒な槍とか持っている。ん、おそらく見た感じ、構内の見張りだろうと。おれは推定したのだが。その男たちは、おれたちがいる藪の前をそのまま気づかず通り過ぎ、やがて遠ざかっていった。


「お、おい綿虫、これじゃ本気で泥棒だろ、おれら」

「案ずるな蜜柑。鳳凰院の外壁を出る、そこまでの勝負よ」

「綿虫は、いっつもこれ、やってるわけ?」

「うむ。日常であるな」

 綿虫が、ムフフ、と無駄に胸を張った。

 くあッ、あきれた令嬢だよ、この子。。たいした育ちしてる。。




 そのあと、なにか北東方向の外壁にある、古い、もう今は使われていない門のところを、二人でこっそり乗り越えて―― 

 カエルがやたらと鳴く、暗い畑の中の道をしばらく歩くと――

 

「波の、音?」


「あちらはもう、加羅の海である」

 綿虫が言った。その、松林の間にみえる、暗い領域をちらっと見ながら。

 なるほど。黒く見えてるのは海なんだな。へえ。ここ、じつはこんなに海、近かったんだ。

「まあ、とはいえ、長い入り江になっておるのでな。ここはまだ、内海のようなものだ」

「えっと。その、料理屋って、まだけっこう遠いの?」

 やたらと群らがってくる蚊みたいなやつを、手で払いながらおれは言う。

「いや、目と鼻の先よ。ここより街道をすすむ。じきに、兎崎うざきという街道町に着く。なに、まもなくあるぞ。さ、ついて来よ」


 その、兎崎っていうところは、海にちょっぴり山が張り出し、そこを街道が坂になって越えていく手前のところにあった。狭い坂道にそって、和風の居酒屋や小料理屋が何軒も軒をつらねている。もうけっこう遅い時間だと思うのだが、そこだけ明るく灯がともって人でにぎわっている。どこかの二階の窓からは、べん、べん、という風雅な弦の音なども聞こえてくる。なにか間違えて大河ドラマのセットの中に迷い込んでしまったような感じだ。


 綿虫がおれを連れて入ったのは、「獏庵ばくあん」という名の、海を見晴らす小料理屋だった。どうやら綿虫はなじみ客らしい。店のおばちゃんは、なにか非常に愛想よく、いちばん景色が良さそうな奥の座敷に案内してくれた。


 まもなく運ばれてきたその白っぽい妙な菓子――


 さじですくって食べると――

 甘ッ!! って、何これ? 


「どうだ、旨いか?」


 そう言った綿虫はもうすでに最初の皿をたいらげ、早々と次の皿を注文している。

 しかもなにか―― 明らかにこれは、酒だろうと思われる―― 何やら透明な飲料まで注文して、ひとりでぐいぐい飲んでいる。。絶対あれ、茶、とかじゃないよなぁ。。


 まあしかし、


「そ」って言ったか、これ?

 ん、変わった菓子だな。

 和風ヨーグルト、なのか?? ま、もちろん、不味くはないが。


 だけどこの甘さ、ちょっぴりこれはコーヒーが欲しくなる。

 ま、でも、ないよな。ないない。ここにはコーヒーとか――


「どうした蜜柑。何を思うておる?」

「いや、その、に、苦い茶とか。欲しいかなと思って」

「では、たのめよ。遠慮はするな」

「う、うん。じゃ、たのみます…」


「だが、どうだ? なかなかここは、景色がよかろう?」


 綿虫が、(おそらく)酒の器をかたむけて、窓の外をさした。

 そこから夜の海が見えている。夜の入り江。

 なにか海上にぽつぽつ光が見えるのは、あれは夜釣りの舟だろうか。

 そしてその向こう――

 入り江の向こう側が、ぼわっと明るく浮かび上がっている。あそこ、街があるのか…?


「あの光か? 酒伊さかいの港よ。あそこはもう、美保の都の入口であるぞ」

「都?」

「そうだ。なに、おまえ、もしやまだ美保には行っていないのか?」

「ん、行ったことないね。都っていうからには、なにか、首都っぽいところ?」


 おれはあえて訊いてみた。

 まだここの土地勘など、まったく何一つない。

 ここはひとつ、情報を集める良い機会、かもしれないな――


「首都。ふむ、ま、そうとも言うな。だが、「帝都」と。多くの人は言いおるな」

「帝都?」 

「美保は、出雲帝の住まいよ。今は暗くてわからぬが―― 昼ならば、あそこ。あの岬の上に、大きな城が見えておる。そこに帝が、住もうておるのだ」

「うーん。ミカド、かぁ…」

「なにしろ美保は、巨大な都市であるぞ。北は、ほれ、あの稜線の向こう、その裏側の七塁しちるいの浜まで、途切れず市街が続いておる。そして西は、神芝ノしんじのうみのの水際まで。と、まあ、これらがすべて、美保の領域よ」


「なるほど――」




「ときに蜜柑よ、」


「ん? なに?」


「おまえ、わたしの女にならぬか?」


 ぶはっ!!


 飲みかけていた茶を、おれはそこに全部吐いた。


「えっと?? 何? わたしの女、っつった? いま綿虫??」


「そうだ。そう言った。どうだ? わたしのものになる気はないか? ん?」


「えっと。。 え?? な、何?? どういう意味??」


 心臓が、ちょっぴりバクバクした。

 えっと。あ、でもでも。「わたしの男にならぬか?」だと。そこはしっくりくるんだが。

 けど? え? 女に? 女?? こ、この娘は、いったい何――


「ふ。そういう、意味である。そのままだ。こらこら、そんな奇妙な顔をするなよ。女が女を愛でる。これの何がまずいか? んん?」


 ムフフ、と。口元に不穏な笑みをはりつけて。

 綿虫が、机のこちら側に、なにか、ずるずる移動してきた。床を這うようにして。

 そしていきなりおれの肩に、手をまわし―― 息を、ふうっと、お、おれの、耳に――


「あ! こ、こら綿虫! ちょ! 顔、近い! きやすく、それ、触るとか――」

「なに。良いではないか。減るものでもなし」

「って、おい!! それ、どっかのおっさんみたいなこと、言ってるんじゃ―― ひッ?? あ、ダメダメダメ!! そ、それ以上は絶対ダメだから、それ!!!」


 おれはもう、死ぬ気で綿虫の束縛から脱出。

 そっちの窓際に這っていって、背中をぴったり壁につけ――

 そこで必死の防衛を――


「む。存外、堅い女子おなごよの」


 ちょっぴりなんだか不服そうに、綿虫が唇をまげ――


 しかし、すぐまた、笑顔になった。

 ムフフ、と。とても不穏に綿虫がおれに笑いかける。

 それあなた目が、ちょっとそれ、恐いです。。


「まあよい。ん。わかった。今夜はひとつ、あきらめよう」


 そう言って綿虫が、壁にもたれ―― 

 なんだか気だるげに、長い煙管を口に含んだ。

 そういう仕草すると、もうこれ、めちゃくちゃ色気ある。って、色気ありすぎだろ!!





 その帰り。


 なんだか、ひとりでグダグダに酔っぱらって、自分で歩けなくなった綿虫を、

 なぜか、おれが、背中におんぶして。

 またその、長い遠い帰り道を、

 おれが、なぜか、その娘を運んで――


 ったく。飲みすぎだ。飲みすぎて帰れなくなるとか。そりゃ、あまりにも無防備だろう。

 もしおれがいなかったら、この娘、いったい帰りはどうするつもりだったんだか――


「んんん、わたしの、ものに、ならないのか―― 蜜柑―― むにゃ、」


 とか、なんとか。

 泥酔してもなお、のろけたセリフをときどき耳元に吐きかけてくる――


 しかしそれはもう、おれとしては全力で、完全無視で。

 移動することのみに徹して、おれは。ひたすらに――


 

 だがその、

 肌の匂いと酒の匂いが入りまじった、甘すぎる綿虫の匂いに満たされて、

 お、おれは、もう、

 ドキドキを通りこして心臓バクバクで動揺しつつ――


 まあしかし。。


 なんとかまた、その、鳳凰院のやたらと長い外壁が見えるところまで。

 なんとか夜道を、戻ってきた。もうたぶん、とっくに日付は変わっている――


 けど、そこの―― どこから壁を越えて中に入ったら良いものか、

 それがわからずに、おれが、そのへんをうろうろしてると――



「ほれ。あちらよ。もうすこし北。あそこの塩嶺門えんれいもんより、越えるのだ」


 いきなりぱっちり目をひらいて、

 背中におぶった綿虫が真顔でおれに囁いた。


「え?? って、わ、綿虫! おまえそれ、酔い、もう、覚めてんの??」


 綿虫が、おれの背中から身軽に飛び降りて、

 かなりしっかりした足取りで、そこに立った。

 むふふふ、と。不敵に不穏に笑いながら。


「なに。もとより酔うてなどおらぬ。」

「へ…??」

「ふふ。おまえの背に乗りたい一心でな。すべては方便であったのだぞ?」

「え!! って、じゃ、ばっちり意識あったわけ??」

「うむ。ばっちり、あったのだ。いや、良かったぞ蜜柑。どさくさに、おまえの肌のぬくもり。おまえの髪の匂い。堪能させてもらった。また、その、ささやかなる胸のやわさもな。この手がしっかりと。今でもそれを覚えておるよ」


「え、って、それ、おま、」


 絶句した。次の言葉が、出てこない――



「おまッ、そ、完全に変態だろ!! セ、セクハラにもほどがあるッ!!」



 おれが全力でぶち切れてそいつに食ってかかるのにも――

 その娘はもう、おれの怒りは完全スルー。

 けらけら笑いながら、

 おれより先にひらりと壁をのりこえ、

 また、かるがると鳳凰院の夜の庭に舞い降りて――


――

――


 



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