五話
五話
「えっと。こ、これは?」
その朝の、その、「和書」とかの授業が終わったあとで――
いきなり黒っぽい包みをドサッと手渡された。
「なにと言うこともない。ただの稽古着である」
と、その、楽常っていう和風イケメンマッチョの先生は言った。
「三つ、入っている。いちど着てみて、もっとも体に合うものをひとつ取れ。残りはまた、後ほどこちらに戻せ。学院の備品であるゆえ、心して使えよ」
そこの奥にある控えの間に入り、さっそくそれを着てみた。
二つ目に着たものが、いちばんしっくりくる感じだった。海老茶色の、なんとなーく作務衣っぽい、カジュアルな着物の上下だ。ぎゅっと帯を締めると。
おお。。な、なんか、気合、入るなこれ!
足。肩。腰。それに脇。
いいな。うん。なんか、体が軽くなったっぽい。これ、いちど着てしまうと、さっきまで着ていた派手派手しい女ものの着物とか、なんかもう、わずらわしくて。いっそこの、稽古着とやらのままで。ずっと夜まで過ごせれば、とか。ちょっと思ったけど。
まあでもそれってたぶん、あっちの世界で言うところの、「わたしジャージで一日中過ごします!」みたいな感じで。。ご令嬢様身分のおれには、たぶん、許されないんだろうなぁ。。
「お、なかなか似合うておるな」
そこの、道場っぽい部屋に入ると、先生の楽常も向こうから入ってきた。
先生も、黒い、なにかさっきと別の本格道着に着替えている。こうやって見ると、やっぱりその人、めちゃくちゃ締まったいい体してる。。うーん。イケメン+マッチョ、しかもインテリか。これもう、どこにも隙がないなあ――
「よし。では始めよう」
楽常が、首を左右に動かし、右の手のひらでゆっくりヒゲをさわった。
広い道場には、いま、ふたりだけ。黒光りする石の広間だ。
や、やばい。どんだけ本格的なスパルタトレーニング始まるんだ、これ。。
「まずは、身体をほぐす。わしのやるのを見て、よく、真似をしろ」
楽常は、ごろっと石の床に横になり、肘を曲げて、片膝を立てて――
なんだか微妙な姿勢で、もう一方の脚をのばしている?? え? 何これ??
「えっと。。それは何?」
いきなり最初からきいた。
「おお、これか?」
楽常がこちらを見ずに言う。
「漢土に伝わる、道場の作法よ。もともとは天竺より伝わったときくが。ま、それはそれ。今からやるのは、身体を温め、身体をほぐす一連の技である。よいか蜜柑、強さとはな、身体の固さではない。逆だ。強さとは、柔らかさよ。まずはゆっくり、身体をほぐす。身体を温める。万事はそれからよ。柔はよく剛を制すると、誰もが気安く言うであろう。が、言うほどに、柔について真摯に学んでいるものは、存外少ないのだ」
言ってることは難しくて、なんかよくわからなかったが――
おれはまあ、ともかく、見よう見まねで、床に寝て、足をのばしたり、肩を上げたり、下げたり、腰をひねったり、腕を組んだり、伸ばしたり――
――おお。これってひょっとしてストレッチ? なにげにほんとにストレッチ?
ちょっぴり、驚いた。いや、こういう古い世界設定だと、なんかいきなり、無茶な動きとか、やらされそうだが。しかし―― まじめにこれ、本気の基礎から?? 意外となにげに、現代的なトレーニングやってます、的な??
「蜜柑よ。息を、止めるなよ」
楽常が、向こうの床から声をとばした。
「息こそ、大事と知れ。口より入った風は、身体に下りて、やがて腹下にて気を為す。その気の流れが、身体のすみずみを温め、動かすのである。呼吸なしに、気は流れぬ。どんな達人も、息を止めてばかりいては、やがては童にも負ける。それくらい、大事のことよ。どうだ蜜柑、息をしているか?」
「し、している」
「ならば良い。では続けるぞ。まだあと十二、この技の続きがある」
「え。。十二もですか?? こういうやつが??」
「ははは。多いと思うか? だが、これを言ったら少ないと思うであろう。よいか、十二の寝技のあとは、十六の立ち技。それから、呼吸を使った静の気の技が七つ。最後に身体を整える四つの技。それをもって、ひとつの流れとなす。まずはこれが基本であるぞ」
「お、多すぎますってそれ!」
「これ。はじめから弱音を吐くな」
楽常が笑う。
「多いと思えば多い。だが、そうでないと思えばそうでない。数を数えず、目の前の技を、ひとつひとつ見てゆけ。」
「は、はい!!」
「では、次、膝を立てて、背を床につけよ。両の腕はこう、上にのばして置け。指先まで意識をしろよ。すべての指が、余さず、おのれ自身と思え――」