三話
三話
翌朝おれが目を覚ますと、
やはりそこは、アスガニフタンの宿営地の簡易寝台ではなく――
どこか日本的異国の、その、板張りの間の。そこのふとんでおれは寝ている。
すっかり髪を解いた綿虫は、白い夜具にくるまり、となりの布団で小さくいびきをかいている。。いや。。こうして見る寝顔も―― とんでもない美人さん、だ。まったく。。あまりにそれは、無防備すぎるだろう。。
いっぽう、猫という名の、もうひとりの相部屋の娘――
そちらはもう、先に起きたらしく、ふとんもしっかり、たたんで隅に置かれていた。
そっちはなかなか、いろいろ、几帳面な娘のようだ。
カンカンカン、カンカンカン…
外の廊下で音が鳴った。なにか、金属の鐘を打ち鳴らすような。
「蜜柑さま。綿虫さま。起床の時刻ですよ」
引き戸が開いて、猫が、廊下から顔を出した。なるほど。起床の時刻か。けっこう早いな。自衛隊駐屯地の宿営と、わりと良い勝負かもしれない。
おれはとりあえず、そこに用意された着物を、なんだか適当に、むりやりに着て―― 帯の結び方が、ぜんぜんわからなかったので、そこは適当だ。うん。縛れればよし。
案内する猫に続いて、一階にある食堂まで移動。
そこの、やたらと長い食卓に、白粥と干海苔とわずかな野菜からなる質素な朝食が、およそ二十人分、用意されている。すでに六人ほどの娘たちが席について、なにやらすました顔で、しずかに飯を食っている。
じっさい料理を前にして、
「少なッ!」と、
思わず、つっこみを入れた。
こんなので、昼まで持つのかよ。というか、ここたしか、昼飯、出ないって言ってなかったか?
まあしかし。
ここはあくまで女子寮なわけだ。大食漢の男どもが集う、自衛隊基地とは事情が違う。うむうむ。まあ、ひとまずは、今朝、食べものがあるだけでも良しとしよう。。
ん、だかしかし、
あらためて見ると、ここの食器や箸は、金とか銀で模様をあしらった、ひどく上等の塗り物のようだ。なるほど。その、「帝に嫁ぐ花嫁候補の養成所」という。その、昨日きいた説明は。あながち嘘ではなさそうだと。それを見ながらおれは思い知る。
食事のあと、部屋に戻り、髪を整えた―― というか。整えないとダメな流れになった。。
なにかこれから、皆で、外出するらしい。
その、ここの娘らが通う、学校だか学院だかの―― そこが主催する、授業のようなものに。どうやらこれから、おれも行かねばダメ、らしい。そういう流れっぽい。
しかしその、出かけるにあたり――
髪の、その、結い方とか――
そういうのすべて、綿虫にやってもらった。
自分はそれ、その――
手渡されたキラキラした櫛を、どうやって留めるとか――
そういうの、まったく、見当すらつかなかったので。。
「しかしほんとうに、田舎の出なのだな。この程度の髪結いも知らぬとは」
綿虫は面白そうに笑い、しかし意外と、そこは優しく丁寧に。
髪をすいて。それなりに、おそらく、無難に。おれの髪を、まとめてくれた――
そして服も。外出用の着物というのが、もう、まったくこれはお手上げだ。。
手渡された服は、どれもこれも良い香りのする上質っぽい布ばかりだが。なにしろ、着方がわからない。おれがほとほと困っていると、猫が、その中からひとつを選んでくれた。指示されるままに着てみると、意外と体にぴたりとなじんだ。だがやはり、さいご、帯の締め方がわからなかったので、それも猫に手伝ってもらった。
「よくお似合いですよ、蜜柑さま」
玄関を出る時に、猫がこっちをふりむいて、にこっと笑って言った。
「本当に蜜柑さまこそ、お姫様のようです。見目の良い方が着ると、やはり違いますね。」
「そ、そんなこともないけど」
おれは少し照れた。。いや。ありがとう。。お姫様とか、言われたの、まじで、生まれてはじめてだよ。。しかもそれ、ほんとのお姫様から、ちょくせつ言ってもらったとか。いや~、これはポイント高い――
「あれ? そういえば、綿虫は? 姿が見えないけど?」
「あの方は、何か用事ができて、今日は行かないと。さきほどおっしゃっておりました。そちらはそっとしておきましょう。なにしろいつも、気まぐれな方なのです」
「あ、そう。ま、そんな感じはしたね、たしかに…」
今朝、外は少し雨が降っていた。寮の玄関、和風の傘をひとつ借り、それをさして歩いた。道を先に進むと、あちらの小道、こちらの道に―― ちらほらと、他の娘の姿も目にとまるようになった。年はおそらく、だいたい十五、六といったところか。みな一様に、いかにも和風貴族の娘ですわよ!的な。やたらとあでやかな装いをして―― そのくせ肩には、木刀だの、薙刀など、物騒なものを掲げ持っている。そのギャップがなんだか妙だ。戦うお嬢様、とう感じか。いったいここは、どういう場所だ??
「えっと。その、講義とかって、何をするわけ? 具体的に?」
おれは猫に耳打ちした。
「講義は―― そうですね。今日、わたくしの組では、午前は主に、古歌の講。むかしの詩や歌などを、みなで嗜む。といった感じでしょうか」
詩や歌、ね。。
軽い絶望感を、おれはいま、感じている。
やばいな。。やばい。そんなもん、中学の国語以来、おれ、やったことないし。。
「また午後には、どの組も、実技というのがあります」
「実技?」
「はい。ま、ひらたく言いますと、武芸、ですね。いろいろな武芸の、特訓があります」
「武芸? えっと、剣とか、槍とか、そういうの?」
「ええ。それも確かに、含まれるかと思います。でも、詳しい内容については、今日これから、院の司で直接お話しがあるでしょう。それぞれの生徒の能力・適性にあわせて、内容が細かく分かれています。ですから。まずは適性を見て、でしょうね。蜜柑さまは、今日、おそらくその適性の調べと、たぶん、そのあと組み分けも」
「組み分け?」
「はい。ここでは少人数の―― 3人から、多くとも10名程度の。組に分かれています。それぞれの能力の高さに応じて、最初にどこか、割り振られるわけですね」
なるほどなるほど。いわゆるあれか。習熟度別クラス、みたいなものか。
「えっと、ちなみに猫はどのあたり? 上の方の組?」
おれは初めて、かすかに好奇心が出て、そこにいる猫にちらっと訊いてみた。
でも猫は、少し――
なんだかきまり悪そうな顔をした。
「えっと… わ、わたくしは、小瑠璃の組と申しまして。じつは、いちばん下でございます… なんとか上の組に入れるようにと、努力はしているのですが。これがなかなか」
「ふむ。じゃ、あの、綿虫は?」
「綿虫さまは、金雀の組。これは、現在十四ある組のうちでも、もっとも上の組にあたります」
「え。そんなにすごいの、綿虫?」
「はい。それはもう。今、綿虫さまを入れて3名のみが、金雀の組にいらっしゃいます。どなたも素晴らしく、武芸も学にも、秀でた方ばかりですね。」
――あの厚化粧娘が? 最上位の3人の中に? うーん。わからんものだなぁ。。
二人はやがて、大きな建物の前に行きついた。
見上げるような大建築だ。
あの、さっきまでいた朱雀寮も、あれはあれで相当に大きいと思ったが。
しかし、ここはそれ以上。巨大木造建築だ。いったいなんだこれ??
両翼にのびる流れるような大屋根には、立派な鬼瓦がいくつものっている。正面には大きな紺色の垂れ幕。幕の左右に、金の刺繍で大きな紋が描かれている。なにか、翼を広げた鳥っぽい。
鳳凰、か。
おそらくそうだ。鳳凰院、と言うだけあって。なるほど。そのシンボルマークみたいなやつ、なのだろう。
「では、ひとまずここでお別れです」
建物には入らずに、その場で猫がふりむいた。
「わたくしはあちら、別の棟に参ります。蜜柑さま。あなた様は、中へ。こちらが院の司となっております。蜜柑様は、ここで今から、入門の手続きを。では。蜜柑さま、今日一日、ご機嫌よう。」
猫が、ぺこりと頭を下げた。
「あ、ああ。ありがとう。猫も、ご機嫌よう。」
おれは見よう見まねで、適当な、丁寧ぶった礼を返してみた。
猫はにっこり笑って、軽いあしどりて、あちらの、別の建物のほうへ。
ひとりでさっさと、行ってしまった。