十五話
十五話
その日、雨の鳳凰院を舞台に、にわかに燃え上がった胡龍殿下の野望は――
ときをおかずに反転攻勢に出た帝の主軍の、電撃的な、圧倒的な武力の前に――
たちまち下火となり、夜には、その、敗残部隊すべてが、帝の前に降伏し――
後の世に言う、「胡龍の乱」は。ただ一昼夜をもって、完全に鎮圧された。
首謀者の胡龍殿下、以下、数名の有力貴族が、
その後、裁きをへて、隠岐の離島に、島流しとなり――
ここに至って、若き皇帝、北帝武皇の威光は、
過去にも増して、よりいっそう、盤石なものとなり――
その乱の日から、三日後、
おれは、美保の都にある、その、軍が管轄するという特別療養院に。
ひとりで、見舞いに、顔を出した。
そこで今、猫と、白桃が。入院、治療を受けている。
まあ、軍の療養院と言っても。じっさい行ってみると、いささか、素朴なものだった。
医療技術そのものが、まだここは、それほど高くはないようだ。
古い、板張りの和室の奥に、いくつか布団が敷かれており――
そこのひとつに、白桃が横になっていた。
「いや。しくじりましたね。さいご、退くタイミングを誤りました。乱戦に巻き込まれて、なかなかそこを、抜け出せず。おかげで足を。ちょっぴりやってしまったようです」
白桃が―― その、ほんとはノナカの、その、美人さんが。
秋の泉のような深い青い瞳をうるませて、こっちを見上げて、睫毛を少しふるわせた。
ん。なんかあれだな。こいつが男だって知らなければ、バカな男は―― つまりおれだが―― 簡単にこいつに惚れてしまうかもしれない。そういう強力な吸引力は、たしかにその眼に、あっただろう。
「まあでも、命あっただけでも良しとしようぜ。あの大軍に、あの少数で斬りこんだんだ。これはちょっぴり、後世の戦史に残る偉業だぞ」
おれはグリグリっと、手で、白桃の頭をなでてやった。
白桃が、そうですね、と。儚げに笑う。窓から午後の陽が入って、病室はいい感じに明るかった。
「ま、いまはとにかく療養に専念しろよ。治ったら、また、どっかでこの、今回の無茶ぶり決死隊の話で、二人でさんざん、盛り上がろう」
「ですね。自衛隊だと、階級2つ上がるくらいには、僕ら、やりましたよね」
「ああ。よくやったよおまえ」
「蜜柑さまも、です」
「おまえの指示があってこそ、だ。頼りになるヤツだと。ここでまた、再認識した」
「これがあそこの、アスガニフタンの戦地でも、いかんなく発揮できてたら。実際もっとよかったんですけどね~」
「まあ、だが、あのときおれらにチートはなかったからな。あれはもう、忘れようや。今のこの世界で、な。おれらは、いろいろまだ、やれること、ありそうだ」
「はい。また、退院したら、よろしくお願いします」
「おお。こっちこそよろしく、だ」
そしておれたちは、堅く、ハイタッチを。景気よく、かわした。
包帯の交換にきた看護の人が、そんなおれらのやりとりを、なにか奇異な異物を見るように―― 少し脇から、引いた目で、ながめていた。あ、やばい。ハイタッチとか、ここではちょっと、よくなかったかな。。
続いておれは、
ひとつ上の階の、また別の病室を訪れる。
そこではひとり、猫だけが、小部屋の隅で、小さく横になっていた。
「よう。少しは良くなったか?」
「蜜柑―― さま?」
その娘が小さく寝返りをうち、こちらを。
包帯でぐるぐる巻きになった、その姿で――
おれの方を。少しとまどった目で。弱気に見上げた。
「あ、ムリに動くなよ。安静一番だ」
おれは、その、猫の枕元に、どしっと座った。
そして、いちおう、おみまいの柚子菓子の小箱を、トンと、そこに置いた。
「すいません、蜜柑さま。お気を、つかわせてしまいました」
「いや。ちょっとやっぱり、礼を言いたいと思ってな。すごかったぞ猫。おまえの、あそこでの働きがなければ。あの任務の成功はなかったと。それは本気でそう思う。ほんとすごかった。ありがとうな、猫」
おれは言って、右手で、猫の、その、包帯にくるまれた肩を。かるくちょっと、触った。
「いいえ。それどころか―― あのような醜態を。ほかならぬ、蜜柑さまの前で。お見せしてしまいました。あのような姿―― じつは、わたくしの一族でも、堅く、禁忌となっているのです。」
「え? なに? きんき?」
「はい。あのような姿が―― あのような力が―― それを見た人々に、異形への怖れのみをもたらし、あとあと、一族の評判を、また一段と、引き下げてしまう―― ですから堅く、戒められているのです。けしてその力を、人前で、行使してはならぬと。なのにわたくしは――」
そう言って猫は目をふせた。その睫毛が、恥ずかしそうに、小さく揺れている。
「や。だけど、そこを敢えて、禁忌を破ってでも。おれたちのこと、助けてくれた。あの、おまえの気持ちは、もう、嫌と言うほど伝わった。あれでお前を悪く言うようなやつがあったら――」
おれは猫の、髪を。おれの右手で。軽く、ちょっとだけ、すいてやる。
猫が、ぴくんと。少し驚いたように、一瞬体をふるわせた。
「そんなやつらは、おれがまとめて、ぶちのめしてやるよ。猫。おまえはほんとにすごかった。おれはお前を、尊敬する。お前は――」
「おまえはほんとに、素晴らしい―― おれの――」
おれの――
おれの、なんだ。その続きは。それに続く言葉はいったい何だ。
「おれの、大事な、猫、だからな。ほんとにおまえは。おれの。」
って、
いまおれ、意味、わからんこと言ったよな。
なんだこれ。おれの猫って。こらおまえ、自分、何をそれ、言っている――
猫が、まぶしそうに一瞬おれを見て、
それからなんだか、急に顔を赤くして――
目をふせたまま―― そのあと小声で言った。
「わたくしと―― また、このあとも、その――」
猫が、言葉を選ぶ。真っ赤な顔のままで。言葉を――
「また、わたくしと、おつきあい、して、頂けますでしょうか? あ、その、も、もちろんそれは――― 寮友として―― その、おともだちとして、で、ございますが、おほん、」
「あったりまえじゃん。つきあうつきあう。めちゃくちゃ、おれ、つきあっちゃうよ」
おれはガシッと。猫の右手を、しっかり握って。
若干おれも、顔を赤くしながら。それでも続けて、こんなセリフを――
思わずおれは、口走って、しまっていたようだ――
「おれは、猫、お、おまえが、好き、だな。うん。好きだ。それ、まじで、うん。たとえどんな姿であっても。おまえが鬼でも、人間でも。なんだって、かまわないよ。おれはおまえの、その、本当の――」
「おうおう。なかなか熱い、言葉ではあるな。」
声が飛んだ。うしろから。
おれはとっさに、座ったままで、三十センチぐらいジャンプする勢いで心臓が打ち抜かれ――
「いや。いささか目の毒を、こちらで見させてもらった。猫が好き、か。それは少々、聞き捨てならんな。ん?」
そこに、いたのは――
綿虫??
綿虫だ。朱雀寮の、ルームメイト、とでもいうのか――
化粧の濃い、その遊女チックな艶々しい唇をとがらせ、
しかし、綿虫の目は、ムフフ。と。なにか少し、いじめっ子モードで笑っているような。。
「やれやれ。ひとつ、手負いの猫でも見舞ってやるかと。そう思ってきてみたが。ここで、そのような、熱き友の誓いをこの目にするとは。ふう、わたしも少し、見ていて顔がほてる思いであったぞ?」
「こここ、こら、わ、綿虫! おま、おまえ、来るなら来ると、ひとこと――」
おれは必死で抗弁するが。
綿虫はおれのその必死のリアクションは完全スルーで、
ふわあ。とひとつあくびをし、それから、
女としては―― 非常に行儀悪く、足を組んで床に座った。
「ずいぶん、活躍したらしいな猫。話にきいたぞ?」
「い、いえ。そ、それは。わたくしに、できることを。したまで、で、ございますので――」
真っ赤な顔で、猫が、目をふせて。おどおどしながら、その言葉を言った。
「が、無茶がたたって大怪我をしおったと。そう聴いて、暇をみつけて、こうして来てはみたのだが。まあしかし、存外、話ができる程度には回復しているようだ。少しわたしも、安心したぞ」
そう言って綿虫は、ふところからいつもの煙管を出し、さっそく口にもっていく。
「お、おいこら。綿虫。病室でタバコは――」
「なに。堅いことを言うな。あくまで短時間のことである」
おれの制止は効果なく――
綿虫は、悠々と、煙管を口にくわえ、
ぷはっ、ぷはっ。と。優雅に煙を吐きはじめる。
その白い煙が、窓から入る午後の微風に、ゆったりと流れ――
「おい、けど。綿虫は、どこでいったい、何してたんだ? おれらがあれだけ、苦闘してた、あの日、あのとき――」
「わたし? わたしはあれだ――」
綿虫が、おれの方にちらっと眼を向けて、ふふふ。と。不穏な感じで、ひとつ笑った。おれにはその笑いの意味が、いまいち、つかめなかったのだが。
「朱雀寮の奥で、ひとりで眠っておったわ。」
「眠って??」
「そうだ。いやしかし、やはりあれだの。ときには講座をさぼるというのも、これ、大事な心がけよの。おかげで大きな危機を、何事もなく乗り切ることができたわ」
「って!! こら綿虫! おまえ! それ、みんなの前で言ったら、殴られんぞ! あのとき必死で戦った、鳳凰院のメンバーに――」
「ま、蜜柑よ。そう、熱くなるな。おまえたちの活躍のこと、とくと、耳にはしておる。よくやったと。わたしも心底、思うておるよ。誇らしい。本当によくやった。ときに――」
綿虫が、ふう、と。ひとつ大きく煙を吐き、
それからどこか、窓の外の方へ。
明るい街の風景の方へ。視線を、どこか、泳がせた。
「聞いたか? 殊勲が、与えられると?」
「しゅくん??」
おれは、言葉の意味が、いまいちわからずに。
それをそのまま、綿虫にむかってリピートしてしまう。
しゅくんって何? それって何だ?
「じきじき、帝より、表彰があるそうだ。今回の功労者の全員に」
「ええ?? マジか? 表彰とか??」「え、それは本当ですか??」
「なんだ、ふたりも知らぬのか」
ふふふ、と。綿虫が、可笑しむように言って。また煙を吐き出した。
こんどは窓の外へと向かう風に、煙をのせて。遠くに飛ばして。
「ま、数日内に、沙汰があろう。それまで二人、ゆるりと、休めよ。猫はもちろん、おまえもだ、蜜柑」
「お、おれは別に、休むとか――」
「いや。強いても、休め。無理は体にたたる」
「ん。ま、そりゃ。ある程度は、休む、けど――」
そこでおれは、綿虫と。ばっちりまっすぐ、目があった。
化粧の濃い、その、作り睫毛がばっちり決まったその綿虫の目の中に――
なにか特別、とても強く、光るものが。
なにかぜったい、あった気はしたのだが。
まあしかし――
おれにはその、意味ありげな視線の意味が。いまいちよく、つかめずに――
ちょっとだけ、なにか、自分の顔が。
おもわず赤く、なってしまった気はする。。
まじめに、そこまで強く、見つめれると。
その、ちょっと普通にいなさそうな、その、超絶美形の娘に。
ああけど、綿虫め~
せっかくいい感じで、猫と、会話が、弾みそうになっていたのに。。
ここでこのタイミングで来るかよ。。
ったく、この、ほんとに空気読まない化粧美人め~。。
――
――
――