十二話
十二話
そのあと実技が終わり――
汗で重くなった稽古着を脱いで、ひとり、支度部屋で帰りの準備をしていると――
おおおおおお!!!
とか、何か、どこか外で激しい怒声が響き、
なにやら表が騒がしくなった。
バチャバチャと泥水を踏む大勢の足音。ガチャガチャと鎧がこすれる音。
それに何か―― 剣と剣が交わる、激しい金属音も聞こえてきた、気がする。
「む。外でなにか、あるようだな」
師範部屋の方へ戻りかけていた楽常も、何事かと、こちらに戻ってきた。
おれとふたり、そこから窓の格子の外を眺める。
降りしきる雨の中、
兵士たちが、なにかやたらと走り回っている。口々にいろいろ叫んでいるが――
――敵襲! 南大門が破れたらしい!
――西門からも来ておる! 敵は多いぞ!
――謀反か??
――ミカドをお護りしろ!
――うかつに打って出るな。本館周り、護りを固めよ!
なにか、そういう、物騒な言葉がとびかっている。
「むう。どうやら、尋常の事ではないようだ」
楽常が、右手をあごに当てて、ひとこと唸った。
「蜜柑よ。外には出るな。奥の広間で、待機しておれ。指示があるまで、うかつに外には出るな。何があっても良いように、心の準備はしておけ」
「えっと。何が起こってるの? 敵襲って何?」
「わからぬ。わしもこれから確かめて参るゆえ、ともかく移動を。奥の広間へ」
奥の広間っていうのは、本館の北側にある、たぶん、ここでもいちばん広い石床の道場みたいな場所だ。「火鳥のなんとか」っていうのが、正式な名前らしいけど(正式な名前、自分はまだ覚えてない。。)。師範の人も、だいたいみんな「奥の広間」って言っている。
自分がそこに入ったときには、すでに二十人ぐらいの生徒たちと、師範も何人か、集まっていた。さらに続々と人が増えて、そのあとたぶん、五十人以上は集まったと思う。そこの中心に、真っ白な髪の、背の高い老人がいた。あの、入学初日に「試問」だとかで、一度だけ会ったことのある、あの、仙人みたいな爺さん。えっと。たしか、ここの学長みたいな人だったっけ。
「皆。落ち着いて聞くのだ。喫緊の事態である。これは皆の命に係わること故、心して静粛に聞くがよい」
爺さんが、よく通る威厳ある声で言った。
「詳細はなお不明であるが、本日さきほど、何者かが反乱兵を率いてこの鳳凰院を急襲した。いまなお、敷地の各所で戦闘は続いておる。狙いは明らかに、帝の命であるようだ。」
反乱…??
帝の…?
一瞬、広間の中がざわめいた。
そのざわめきをかるく手で制して、爺さんが言葉をつづけた。
「よって、これよりここ、鳳凰院の本館は、防戦の本陣として機能する。これより我らも、帝が擁する近衛の指揮下に入る。」
このえ? えっと。それってあれか。
たぶんその、皇帝親衛隊っぽいやつか? うん、たぶん、そうだよな――
「したがって、ここにいる皆は、ゆめ、自己の勝手なる判断によりうかつな行動はとらぬよう。また、われら鳳凰院として、貴君らの命を最優先に、現実的な脱出の手だても考えておる。ここはひとつ、不要の混乱を避け、次なる指示があるまで、静粛にこちらで待機するように。以上が、鳳凰院学長からの言葉である」
――おお。まさかそんなことになっているとは。。
ひそひそと、女生徒らがささやきあう広間の隅で、
おれはひとり、腕を組む。
なるほど。じゃ、あれか。クーデターみたいなもんか。視察に訪れた帝を狙って――
ん、まあ、クーデターの定石って言えばそうだな。
視察の、警備の手薄なこのタイミング狙っての奇襲、か。
しかしあれだな。ここを本陣に防戦する、って。いま言ったよな。物騒な話だな。じゃ、完全に包囲されちまってると。そういう話なのか。まずい流れだな、それは――
「ああ、蜜柑さまも、こちらにいらしたのですね?」
横から誰かが言ってきた。
ふりむくと、そこに猫がいた。なんだか不安そうな青い顔をして、おれの着物の袖を、きゅっと指で握っている。
「ん、猫か。なんかこれ、めんどくさいことなってるっぽいな」
「ええ。大変な事態ですね。わたくし戦などは、初めてでございまして。いったい、どうしていいものやら――」
心なしか、おれの着物をつかんだ猫の指は、ちょっぴり震えているようだ。
ん。まあ、そうだよな。いきなりリアル戦場に投入されて、この年の女の子が、平常心でいろっていうのも。そりゃ無理な話か。
「大丈夫だ。怖がることはない。いま学長が言ったように、味方はけっこう冷静に対応してるっぽい。落ち着いて次の指示を待てばいい。なに。きっとすぐ、挽回するだろう」
おれはちょっぴり気休めなセリフを吐き、猫の肩に手をまわす。
安心させようと、かるく抱くいてやると、猫がぴたりと体をよせた。
ん。なんかこれ、いい感じの姿勢になってしまっているが――
だが、その時点では、ドキドキするとかではなく――
なんとかこの子を、護ってやらねばならんよなあ、という。
柄にもなく、ちょっぴりそういう、使命感らしきものが芽生えたりもした。
なにしろおれは、じつはこの手のシチュエーションのプロ、だったりもする。
こういう事態を想定した訓練も、みっちり受けてきた。
まあだから、ここはひとつ、そこでの経験を、だな――
「蜜柑さま」
おれの袖を、反対側からぐいぐい引っ張る者がいる。
そっちをふりかえると、また別の女の子が切実な顔でこっちを見ていた。
うるんだ瞳―― その神話的な深い青の瞳は――
「あ、ノナカか。いたのか、おまえも」
「いえ。白桃でございます」
そいつが否定した。ああ、そうだな。白桃ちゃんか。ここでは――
「あ、ごめん。名前まちがえた」
「蜜柑さま、少し、よろしいですか?」
「何?」
白桃が、おれを、広間の別の隅の方に引っ張っていく。
「――反乱軍、数は相当なようですよ。こっちはかなり劣勢です」
「そうなのか?」
「はい。さきほど表で、兵たちの会話をこっそり聞きました。十二ある門のうち、少なくとも四か所が破れていますね。まだ残っている敷地内の味方守備兵の数は、おそらく多くても160は超えないかと。それに対して、敵はおそらく数倍以上」
「…早いな、情報収集。異世界でも、情報兵の本領発揮中、か」
「ちょっとアラキさん、そこに感心してる場合じゃありません。どうしますか、これ?」
「どうするったって。近衛隊の指揮に入るって言ってたろう? そこの指示待ちじゃないのか?」
「しかし。それでは対応が後手に――」
そのときバンッ! と大扉がひらき、
兵士らがなだれこんできた。一瞬、敵かと思って身構えたが――
いや。どうやら味方らしい。
帝の近衛、ていうやつか。
赤系統の、なにげに和風というよりは三国志っぽい鉄兜と鎧一式。
長剣と槍とで武装している。数は20ほど。
そしてその兵らに、護られるようにして――
「北帝武皇の綿陵である。」
その人物の声が、広間に高く鳴り響いた。
「鳳凰院に集う生徒諸君には、非常な迷惑をかけておる。まず詫びを言う。が、ここは緊急のおりだ。ひとつ、我らの防戦に協力を願いたい」
その人物。
あれが帝、か。なるほど。
ん。でも、参謀とかに言わせずに、自分でバシッと言っちゃうあたりは、自分的には高評価。そこはかとないカリスマをそこに感じた。しかもクールなイケメンだ。って、いま容姿のことはどうだっていいか。
そのあと広間の中央に、なにやら戦陣用の仮設の椅子みたいなやつが、いまそこに配置され―― そこに、帝が腰をおろした。その周囲、四人ほどの参謀っぽい男たちが囲み、ひそひそと、なにか話をはじめた。
どりゃあ! とか、
うおおおおおお!! とか、
外で戦ってる音が、ここまでもう、はっきり聞こえてくる。
剣と剣とが交わる音。なにかを壊す音。なにかが破れる音。
まあしかし、実際、銃弾とびかう戦場にちらっといたこともある自分としては、
こういう古典的な戦闘音が、あまりリアリティないというか。
まだ今になっても、時代ドラマとかの効果音っぽく他人事として聞いている自分がいる。
「ねえ、蜜柑さま。ここより、もう少し中央に寄りましょう。参謀たちの会話が、聞えるくらいのギリギリまで」
白桃が横から囁いた。その、可憐な容姿の娘さんが。
「お。なんかやる気満々だな。けどいいのか、参謀会議傍聴とか、階級とびこし過ぎでは?」
「ちょっとアラキさん。しょせんここ、異世界です。そんな旧世界の自衛隊ルールを持ち出さないでください」
「ん。ノナカはあれだな。なにげに柔軟果敢だな。」
「そりゃ、自分の命もかかってますからね。こんな短期間に2回も死にたくありません」
「ん、そこは正論だ。おし、じゃ、もうちょい近づくか――」
兵たちが密集したその場所に、おれたちも、なんとなくさりげないふりをよそおって接近、耳を皿のようにして会話の内容を拾う。
なにやら二つの派があって、帝をとりまく議論は紛糾している。
この場を動かず、とにかく援軍が来るまで護りぬく派と、
もう一方は、
相手の包囲が完全になる前に、リスクを冒して移動し、味方の本軍と合流すべし。という派。おれ的にはどちらももっともな意見な気がしたが―― ここ以外の敵味方の兵力や展開状況がわからないので、おれとしても、どっちが良いとは断定しかねる。が――
ドン!
何かが破れる音がして――
戦場の音が、一気に近くなった。どうやら本館内に、一部、敵兵が突入してきた、らしい。これはやばいな。帝を囲んでいた守備兵のうち、十名ほどが、音のした方向にむけて駆けてゆく。そちらを支えに行ったのだろう。が――
残りの兵は7名。これはほぼ、参謀のみか。
これは、ん、はっきり言って勝敗、もう、決まったみたいなものだな――
「可能な限り、すぐに移動を! この劣勢で、ここにとどまる理由がありません!」
明快な声が高く響いた。
言ったのは――
白桃!
おお、ノナカ、おまえ――
「だれだ貴様! 小娘が!」
「身分をわきまえよ!」
参謀が鬼の形相で白桃をしりぞける。
が、その娘は引き下がらない。
「この非常時に、階級身分は論外です。能力あるものが、しかるべき行動を。でなければ、ここでみすみす全滅です。」
「だまれ、小娘が!」「なにをほざきおるか!」
「いや待て」
声が、制した。
帝が、参謀ふたりをたしなめる。
「よい。娘。話を聞こう。おまえに策はあるか?」
帝がクールに、白桃にきいた。
白桃が、右手で顔をさわるしぐさをした。
前世であれば―― おそらく視力補正用のゴーグルを、定位置にずり上げる動作だ、とおれにだけはわかった。が、ここでのそいつは装備がないので、一種不思議な、神秘的な所作と映った。
「さきほど伺った話を総合しますと―― 美保の本軍、ないしは味方主力が、神芝ノ湖の北湖畔の営所で待機中との。その情報は確かでしょうか?」
「うむ。確度は高い。」帝が重くうなずいた。「ここでわたしがすでに討死したか、あるいは人質にとられた状態なのか。見きわめがつかず、動きがとれない。戦況不明のまま待機を強いられていると。そのことはおそらく、事実と見込んでよいだろう」
「であれば。少人数、精鋭で固めた突破部隊を急編成し、包囲の隙をついて突破を。他にはいっさい目もくれず、本軍方向へ即時移動。本軍合流をもって戦局を打破すべきです」
「む。しかし――」帝が少し、逡巡する。形のよい目を、少し、下に伏せて。
「数では圧倒されている。この中、包囲突破が、果たして可能か――」
「北帝さま。お言葉ですが。もしここでの突破が無理ならば―― そこですなわち、敗戦となるわけです。が、しかし、ここでの待機を続けた場合、その突破のわずかな可能性、それよりはるかに、敗戦の率は高まります。このような状況、このような局面においては―― これはわたしの妄想ではなく、歴史上の戦史を集めたあらゆる統計がそれを証明しております」
「こら、なにをたわけたことを!」
「統計などと! 虚言をはきおって!」
参謀たちの怒号が飛ぶ。娘につめより、今にも張り倒さん勢いだ――
「待ってくれ!」
大きな声がとぶ。
参謀たちが、一瞬、沈黙する。
その声を飛ばしたのは――
おれだ。他でもない、おれ。
「そいつの言ってることは本当だ。そいつは見た目は娘だが―― じつは、とある国家の防衛機関で、数年、戦術教練をみっちり受けている。そいつはそこでも、特に優秀だった。そいつの戦術読みは、今ここにいる誰よりも信頼できる。元同僚のおれからも、はっきり断言する。そいつは間違いなく、できるヤツだ!」
「ぬな!」「またほざきおるわ、小娘どもが!」
「うっさいよおっさん! おれは事実を言ってるんだ! こんな局面で嘘八百言ってもしょうがねえだろ! そいつはマジで、使える! 第一級の兵士だ。もっとちゃんと、信頼してやってくれ!」
「み、蜜柑さま――」
白桃が、うるんだ目で、こっちを見返す。
「いいぞノナカ―― じゃなく。白桃。つづけて言え! 提言しろ!」
「で、あればです、北帝さま。」気をとりなおして、白桃が言う。「ここには、わたくし白桃ふくめ―― こちらにいる蜜柑、その他、通常の男性戦力よりもむしろ優れた精鋭が、数名。それらを加えて、突破隊を編成されるがよろしい。それにて―― 確度は低いですが。まだしもわずかの勝機がのぞめます。ただちに突破隊の編成を。」
「ふむ。白桃と言ったか。そなたの言葉、真であると。わたしは今、理解した」
帝がその場に立ちあがる。顔が、わずかに笑っているようだ。
「ミカド??」「まさか、このような小娘の虚言を??」
「よい。わたしはもう決めた。もはや四の五の言う時ではなない。では、人選を。最適な人数をここに。残れる我が兵力とあわせて、すみやかに突破に移ろうぞ」
おお! いいな。決断はやい。こいつ、できるヤツだわ。この帝。いい線いってるじゃねえか!
おれはちょっぴり心が熱くなる。
このギリギリの局面で―― 一見、なよなよっとした、その、可愛げな娘の助言に、
最大限の敬意を払って耳を傾ける―― ん。なかなか、そこらの偉いさんたちには、できないことだ。できる人だな、この人。
「ならば人選は、わたくしが。」
そう言って、ずいっ、と前に出てきたのは、
学長。あの、白髪白髭の大柄な老人だ。
「蜜柑。白桃。ならびに、紅。月姫。そして―― 猫。以上、5名。これらは、たしかに、なみの兵などよりははるかに無双の戦力となりえましょう。加えて、当院師範の楽常。これはぜひ、帝の戦列に、加えるべき人材です」
えっと。。それ、けど、
猫?? 猫って、それ、戦力なるのか??
おれの名前が最初に呼ばれたことよりも。その、猫の名前が、そこに挙がったこと。
そこにおれは、ひそかな衝撃を受けている。
おれはとりあえず、そこにいる兵士から、槍を一本、わたされる。
まあ、槍は使ったことないが。今はまあ、素手よりは少しはましだろう。
おれと白桃、そして、猫。あとそれから、おれの初めて見る美人の生徒がふたり――
ま、たぶん、
彼女らとても、ここで名前上がってる以上、相当出来るヤツらなんだろうと。
期待はしたい。
あと、七人の近衛の人数を含め、12人。プラス、帝さん。プラス、おれの先生である楽常。これで14人。
人数的には微妙だが、この状況下、身軽に動けるギリギリの人数か。
ま、じゃ、ひとつぶっつけで、やってやろうじゃねえか。
なんかちょっと、んん、やる気出てきた。本職のスピリットがむくむく蘇ってきた。
よし。なんか劣勢っぽいが、ここはひとつ、やってやろう。
「北西にある神樹門を目標に。その付近から鳳凰院外へと突破。そのあと街道を、美保市街西方、神芝ノ湖方面へと全速前進。途中に封鎖がある場合、迂回が可能な場合は迂回路を――」
「あ、待て白桃、話をさえぎるようだが、」
「なんですか蜜柑さま?」
「あの、あれ、馬とかって、確保できないのか? 可能だったら――」
「いえ、蜜柑さま。この世界におきましては、戦術動物としての馬は、存在しないのですよ。使役動物として、馬そのものを、まだわたくし目撃しておりません」
「え!! マジでか??」
「はい。いるのはせいぜい、牛、ですね。であれば。自力走行の方が数倍――」
あくまで強気の白桃が中心となり、参謀らそっちのけで、14人が顔をつきあわせ、階級身分、ぜんぶ今はとびこして、突破隊メンバー気迫の短時間ブリーフィング。そうやってる間にも、なにやらきなくさい臭いが。煙が少し、流れてくる。何か、建物に火を放たれたっぽい? やばいな。もう、うかうかここでつぶしてる時間はない。すぐ、行動に移るときだ。
「残りの娘たちは、裏口より、北の庭へ。そこから北門方向へと、退避を開始する。師範たちが誘導する。すぐに移動を!」
学長の声がひびき、鳳凰院の娘たちが、建物奥へと移動を開始する。ん。この状況下で、パニックにならず、みんなよく冷静に行動している。さすがに戦う花嫁たちだ。けっこう、ん、この、ここの娘たちの精神力は評価する。なかなかまともな学校だな、ここ。今はじめてちょっと、その真価がわかった気がする。あっちの世界で、これだけ冷静でいられる16とかの娘が―― いったい何人いるだろう。んん。たいしたもんだ、鳳凰院。