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一話


一話


 18歳で自衛隊に志願したおれだったが。

 7年後の今、とある異国の地で、とんでもない窮地に立たされている。


「おい。イギリス部隊の支援はまだか」

「まったく連絡とれません。通信が遮断されており、」

「ノルウェー軍は?」

「そちらも音信なしです。わが隊は完全に孤立しています」

 通信担当のノナカ三尉の声は、少しうわずっていた。まあ無理もない。

 平和維持部隊で派遣された中東、アスガ二フタン共和国。安全と言われて巡回視察にやってきた北部山岳地帯の、とある村の付近で。


 いきなり襲撃を受けた。飛び交う砲弾の雨。

 敵は完全に、こっちを殺しにきている。殲滅するつもりだ。

 敵がどの勢力かは不明。これでは交渉すら不可能だ。

 とにかく数が多い。しかも土地勘があるらしい。谷間の地形を利用して、あらゆる方向から撃ってきている。これはもう完全に「フルボッコ状態」だ。おれたちの小隊はたちまち――


「アラキさん、戦車きてます!」


「え? 何?」


「あそこです! 十時方向に4両! あれは旧ソ連製の――」


 ノナカの声はそれ以上、聞くことはできなかった。

 すでにそいつらは―― その不吉な鉄のカタマリは、なんの警告もなく、一斉射撃を――

 耳のそばで何かが炸裂する音を、聞いた気がしたが――

 自分の体が、大きく後ろに跳ね飛ばされた、気が、したが――


 すべてが暗転し、


 おれは――


 とんでもない奈落へと、すさまじい勢いで降下――

 ああ、落ちる。落ちる。止まらない。止まらな――



「…というわけで。今日から、一緒になるのは――」


「あああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」



「ど、どうした蜜柑みかん?」


 知らない声が、前から、こちらを呼んだ。


「なに? いきなり何だい、それは??」


 そこで振りかえったのは――

 ひとりの、女だ。女。もう、婆さんと言ってもいい歳の。

 わりとでっぷりと肥えた、意地の悪そうな――

 しかもなぜか――


 着物?


 そうだ。和風の、なにか、着物を着ている。

 黒っぽい色の、地味な――


「おい、敵は?? い、いま、砲撃を、受けたのでは???」


「敵ぃ? なにを言ってるんだい、おまえ」


 女が―― そのバアさんが、こっちに来て、グイッと腕をつかんだ。


「ノナカ三尉はどこだ? とにかくカギハラ部隊に、こっちの状況を――」


 おれはバアさんに訊いた。着物のえりをつかんで問い詰めた。しかし――


 バシィッ!!


「いたっっ」


「こりゃあああああ、蜜柑! あんた、なに朝からたわけたこと言ってるんだい??」


 全力でどつかれた。一切の加減もなしに、頭を。グーで。クリーンヒットで。


「まあそりゃ、初日の朝で緊張するのもわからんでもないが。朝っぱらからそんな呆けた様子じゃ、ま、先が思いやられるわ。シャキッとしなよ、シャキッと!!」


「は、はい??」


 シャキッと。と言われ、おれは反射的に背筋をのばして敬礼の姿勢をとってしまう。

 なにか自衛隊の初期訓練の、あの理不尽な鬼トレーニングを瞬時に思い出す。

 そして体が、命令に対し、反射的に反応して――


「いいから、ボサッと突っ立ってんじゃないよ。さっさとついてきな。あんたのたわけた冗談にここでつきあってちゃ、もう、じきに日が暮れちまうよ。あたしもそれほど暇じゃないんだ。さ、黙ってついて来な!」


「は、はい!!」




 バアさんのうしろについて、とりあえず、歩く。

 そこは何か、どう見ても日本の―― 大きな寺の敷地、あるいは古い和風邸宅の庭といった感じだ。


 周囲には、黒い瓦がのった長い土の壁が長くめぐらされており―― その壁に囲まれた、よく手入れされた和風の庭の真ん中。そこを石畳の道が、一本、通っている。バアさんは脇目もふれずその道をゆく。事情がわからないまま、おれはとりあえず、ついていく。いくつかの和風の門をくぐり、その先にはまた、似たような和風の庭園―- 池があり、松の木があり、それから遠くに、大きな和風の建物が見えた。寺の本堂のような感じだ。というか、おれはもともとが新興都市部の出身だ。こういう古い和風の建築といえば、寺くらいしか思いつかない――


 ちゅん、ちゅん、ちゅん


 どこかの屋根で、スズメが鳴いている。陽射しの感じからして、どうやら今は、朝らしい。なんとなく春めいたあたたかな陽が、むこうの大きな古い建築物の、黒い屋根のむこうからのぞいている。さっきまでいたアスガ二フタンの戦場は―― いったいどこに、消えてしまったのだろう――



「さあ、ここだ」


 バアさんが足を止めた。

 大きな、瓦ぶきの建物だ。二階建て、だとは思うが。1階がそうとう、高く造られているので、堂々とした威厳を感じる。巨大な温泉旅館を、自分は少し想像した。入口の上には、朱色の大きな布が「のれん」のように垂らされており、白抜きの文字で「雀」と書かれていた。


「とっとと入りな。ボサッとしてるんじゃないよ」


 バアさんに尻をはたかれて、おれはその、「のれん」をくぐって中に入った。そこは暗い土間になっていた。ひやりと空気が変わった。そこから板張りの通路が、左右にのびている。


「さ、お上がり。そんなとこで立ってたって仕方ないだろ」


「あの、ここって、何…?」


「ここかい。ここはね、朱雀寮っていうんだ。うちの学院の寮には、玄武、白虎、青龍、そしてここ朱雀。この4つがある。まずその名前を、覚えることだね。ここの朱雀寮には、今、あんた以外に、20人ほどが暮らしてるよ」


「…20人?」


「そうさ。そのむかしは―― 先先代のミカドさんの頃には、ここだけでも五十人、六十人の娘で溢れていたってぇ話だがね。今じゃしかし、むしろ空き部屋の方が多い。ま、時代が変わったんだね。」


「えっと。時代―― ですか…」


「ああ。なんでも今のミカドさんは、あまりおおっぴらに娘をはべらす趣味はないそうで。ま、あたし的にはそっちのが好きだがね。って、こら蜜柑! そこで止まってるんじゃないよ! ほら! さっさと靴をおぬぎ! ほら! そこ! 散らかさない! ちゃんと綺麗に並べて置きな!」


「は、はい?? こう、ですか?」


「そう、それでいい。ここでは作法がいろいろあるからね。あんたの田舎みたいに、のんきにぼさっとしてたら、あたしが尻を叩いてやる。ま、ちょっとは気を引き締めて、ほら、ついてきな!」


「は、はい!」


 バアさんにせかされて、暗い板張りの廊下をおれは歩くのだが――


 その時点ですでに、いくつかの違和感があった。

まず、さっき靴を脱ぐときに―― それは妙ちくりんな和風の木靴みたいなもの、だったのだが――


 自分の足のサイズが、小さい。

 まるで子供サイズだ。ありえない。

 そして、ソックスのかわりに―― なにか、白い足袋たびみたいなものを履いている。

 これもありえない。自分は足袋など―― どう考えても、履くはずがない。


 あとは、声だ。

 自分が発する、「はい」とか「ええ」とかいう返事――


 それがどうも、高い。やたらと声が高いし、細い。

 まるで自分の声には聞こえない。

 その違和感について、おれは、ぐるぐると頭の中で考えている――


 うす暗くて狭い板の廊下は、右に折れ、左に折れ、急な階段をひとつのぼり、またひとつ右に折れて、さらに奥へ。床は黒光りして、やたらと滑りやすい。うっすらと香のような匂いがする。何かこう、眠気を誘う匂いだ。


 朱雀寮、と。バアさんはたしかに言っていた。しかし何だ、それは? 旅館? ここはいったいどういう場所なのだろう? 


 不意にバアさんが足を止めたので、おれはその尻にぶつかる形になった。


 ガラリ、と。バアさんが無造作に、そこにある戸をひらいた。


 中は、がらんとした、無駄に広い板張りの間になっている。

 部屋には、ひとりの女がいた。見た感じ若い。白っぽい着物を着た女。

 その女は部屋の隅で、なんだかグダッと物憂げな感じで横になり――

 やたら長い煙管きせるのようなものを手にもって、ぷかぷか煙を吹かしていた。


「こりゃっ、綿虫わたむし! あんたまた、さぼってるのかいっ」


 バアさんが怒鳴った。白い着物の女はちらっとこっちを見たが、返事はせずに、ただ物憂げに、ふうっと煙を吐いた。

「朝っぱらから煙草なんぞ吸いおってからに。あたしから院のいんのかみに言って、とっとと追い出してもらおうかね。ほんとにろくな女じゃないねっ」

 バアさんは、さきほどからプリプリ怒りっぱなしだ。血圧大丈夫か。

「さ、新入りが来たよ。いじめちゃ、あたしが許さんからね。名前は蜜柑みかん、って言うそうだ。石見いわみの田舎豪族の出だというから。ちょっとは作法を。あんたも指導、しておやり!」


 しかし、無言。

 奥で寝そべる娘は、完全無視で聞き流している。ぷかぷか、煙だけが上がる。


「いいかい蜜柑、ここがあんたの部屋だ。あんたの夜具やぐはあそこの戸の中。どれを使ってよいかは、あとで部屋の者にきくといい。ああ、あれだよ、そこにいる女にきいても無駄だよ。あれは悪い虫だからね」


 聞こえよがしに、バアさんが言った。

 

「あれは綿虫わたむしって言うんだが、ありゃあ、見下げた不良娘だ。あんまり関わるんじゃないよ、ろくなことがないからね。ここにはもうひとり、ねこという名の娘がいる。今はいないけどね、夕刻には帰ってくるだろ。そちらはまあ、可愛いげのある娘だね。行儀も、ま、それなりにはできている。わからぬことは、あとからそれにきくとよい。」


「え、えっと、」


「ここの朝餉あさげはもう、今朝はとっくに終わったからね。次の夕餉(ゆうげ)は、暮六つ刻。時間に遅れるでないよ。くりやの者が鐘を鳴らして知らせるから、まあ、嫌でもわかるだろう。ああ、それから。あちらにある行李こうりは、あんたの好きにつかってよろしい。服を入れるなり、何なり、まあ勝手にするがいいわさ。ああ、それから。夜は静かに。あんまり騒ぐでないよ。騒ぐと寮からほっぽり出すから、そのつもりで。風呂は、あちらの別棟。夜三つ刻までに入れば、熱い湯がある。門限は夜五つ半。それを過ぎたら、入れちゃあやらない。冬だってなんだって、外の冷たい地べたで寝てもらうよ。さ、今わたしが言ったことで、なにか訊くことはあるかい?」


 バアさんは真っ黒い目を細めて、んん? と。おれを見やった。


 いや。。

 訊くことは、ありすぎる。意味がまったくわからん。。

 だが―― いまこの状況で、いったい何から訊けばいい??

 まったく、そもそも意味が――


 おれはひとまず、黙っている。言葉がうまく、浮かんでこない。


「じゃ、ま、ひとつしっかりやりな。ここで少しは真面目にやってりゃあ、万が一にも、ミカドさんのお目に、かなわないとも。ま、そこは何事も、やってみないとね。じゃ、あたしは行く」


 ドシドシと音をたてて、バアさんが廊下のむこうに去っていく。

 なんというか、勢いがありすぎるバアさんだ。怒涛のような、とは。きっとあのことだろう。いやしかし、参った。ここはどこだ。これは何だ。まったく状況がつかめない。


「おまえ、蜜柑みかんというのか」


 部屋の奥で寝ていた娘が、ごろりと転がってこっちを見た。

 白地に紅の花模様の着物を着ている。長い髪を頭の上でゆい、しゃれた髪飾りをつけている。なにやら遊女のようだな。。とうのが第一印象だ。とにかく化粧が濃い。顔だちは―― む。まともだな… 美人だ、とても。唇が、むだに艶っぽく光っている。


「おまえ、どこから来たと言った?」


 えっと。おれは、アラキ2尉だ。正直に言うと、おれは、今朝、アスガニフタン北部のパシュパトゥン系の村を巡回中―― 本来、海外展開中、のはずだったが―― 所属は陸上自衛隊、習志野駐屯地――


 言葉がぐるぐる、頭の中でめぐった。が、

 この状況で、それを。言っていいのか。はたしてそれが、通じるのか――?


「んん?」


 白い着物の娘が、ごろごろ、ぺたぺた、床の上を怠惰に這い進んで、おれのそばまでやってきた。そいつがそばに来ると、ふわりと香が匂った。甘すぎるくらいの、花の匂いだ。唇が触れるのではないかと思えるくらい、こっちに顔をよせ――


「お、おい。な、何を――」


 心臓が。バクバク鳴った。顔ッ! 近ッ!


 上から下まで、おれの顔をなめるように見て、

 そいつはようやくおれから離れ、そこの床の上に座った。女座りではなく、男のように足を組む。


「わたしは綿虫わたむしと言う。おまえは蜜柑と。さきほどあの婆が言っていた気がするが。む、少ないな、口数が。なんだ、わたしが怖いか?」

「そ、そうでもない、けど、」

「ま、なんといっても初日であるからの。右も左もわからぬであろう。けれど、じき、慣れる。わからぬことは何でも聞け。おれがじかに、教えてやる」


「えっと。ここはそもそも、どこだ? ここは何?」


「朱雀寮。鳳凰院の寮だ」

「ほうおう、いん?」 

「なに。それも知らされずにきたのか?」


 からかうように、娘が笑った。笑うとまた、これが、かなり色気がある。。

 綿虫わたむしと名のったその娘は、いきなり、ふところから洒落た小箱を取り出した。蓋をあけて中からひとつかみ―― ああ。なるほど。煙草か。

 そこから粉の煙草を取り出すと、慣れた手つきで煙管きせるにつめ、また部屋の隅まで這っていく。そこに置かれた火鉢のようなものから、新たに火をとって戻ってきた。


「学問所であるぞ、鳳凰院は」

 ふうっと、娘は煙を吐いた。

「見目うるわしき生娘を、国土のあちこちから集めてな。このような寮に住まわせて、昼間は学問をさせ、武芸もやらせ―― そして筋がよければ、きさきにとると。ま。そのような場所だ」

「きさき?」

「ああ。要は、北ノきたのみかどの嫁だ。出雲帝は力があるだけに、敵も多い。命を狙うものは、百や二百できかぬ。そういう何やかやの輩から帝の命を護るもの、それ、花嫁の役目のひとつと。ま、そのようなわけで、ここではやたらと、武芸をしいて、娘らに学ばせているようだ。」


「えっと。。それってあれか、花嫁修業――的な??」


「うむ。そのようなものだ。先先代あたりまでは、それこそ、この鳳凰院に数百もの娘が溢れており、そこから何十人も娘を選んで、私邸にはべらせ、何やら夜な夜な楽しくやっていたと。話には、聴いておる。」


「…ハーレム状態、だな。。」


「はーれむ?」


「や。な、なんでもないっす。続けて続けて!」


「まあだが、今の帝は―― それほど女には、興味がないと。そういう話らしいな。娘の募集もめっきり減って―― 今では、ここで学ぶ娘の数は100を割っている。ま、しかし、それだけの数の名家の娘が、今でもここで日夜、競い合っておると。そういう次第だ。昔とちがって妾を多く置かなくなったぶん、最終的にこの鳳凰院で学んで、実際に嫁に採られる者の数は―― じつに、唯ひとりのみと。ま、それはむしろ、昔よりも、狭き門よの」


 嫌な予感がした。

 圧倒的に嫌な予感が。今、ドドドと、音をたてて押し寄せてくる。


「えっと、あの、綿虫っていったか?」

「ああ。それがわたしの名よ」

「えっと綿虫。これ、トイレとか、どこだ?」

「といれ?」

「えっと。その。便所、あるいは、かわや、的な場所は?」

「おお。厠の。それ、下の階よ。あちらの階段をおり、左――」


「おれ、ちょっと、行ってきます!」


 ダッシュで。おれは。暗い廊下を。

 階段かけおり、えっと、左って言ったか。そしてその、暗い廊下の突き当たり――


 そこの便所に入り、

 おれは、その、

 なかば恐怖にかられて、その、自分の着ている着物のすそを上げ――


「ぐああああああああああああ!!!!!!!!! ない!! なぁい!!! お、おれの。おれのぉぉぉぉぉ――――!!!!!!」


 その悲鳴は、おそらく五千キロ四方くらいまで、この世界の隅々まで鳴り響いたはずだ。





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