66 レナード目線
「ありがとうございました、レナード様。では、これで失礼いたします。」
魔導騎士学校の運営状況の報告が終わり、メアがソファから立ち上がる。
「あっ!お待ちください、メア様!」
「本日はメア様のお好きなプリンもご用意したのですよ!」
いつものように追い縋る文官達を、背中に目でも付いているのかと思うような動きで躱しながら、メアは部屋を出ていった。
「はあ…。」
私が額に手を当て深く溜め息を吐くと同時に、執務室の気温がぐっと下がる。
最近は感情と魔力のコントロールが上達してきたとはいえ、メアが関わることになると未だに制御が乱れる。
「おかしいな。メア様はここのプリンに目がないって聞いてたのに…。」
「お店が間違っていたのではありませんか?」
「もう一度店の名前を確認してこい。」
冬が近付いていることもあって、文官達はメアの籠絡に更に必死になっていた。
冷気が漏れ出るのは決してわざとではないのだ。
私がしっかり魔力を制御できれば、そんな苦労はさせずに済むのだが。
「…メアの好物はそのプリンで間違いないだろう。」
何となく、文官達の会話に口を挟んだ。
この沈んだ気持ちを吐露してしまいたかったのかもしれない。
「何故お分かりになるのですか?」
「メアは明らかにそれに関心を示していた。私と話している間も部屋の隅に置いてあったその菓子箱をちらちらと見ていたし、退室するときもほんの少し出るのを躊躇っていただろう。」
「さすがレナード様!メア様のことをよくご理解なさっているのですね!」
嬉しそうに言う文官とは対照的に、私の気分は晴れない。
「つまり、メアはその大好物のプリンを諦めてでも私と共に過ごすのを避けたかったということだ。」
「あ…。」
「今頃メアが彼の元に行っているかもしれないと思うとどうにも落ち込むな。はあ、私がメアの婚約者に代わることができたならどんなに幸せだろうか…。」
普段ならここまで弱音を吐くことはないのだが、メアの左手の薬指に輝くものを見つけてからずっと、心が嫉妬と絶望に飲み込まれそうなのだ。
哀しげに窓の外に目を向ける私を見て、文官達も慰める言葉が見つからないようだった。
「その願い、あたいが叶えてあげるのー!」
突然、目の前に緑色の小さな生き物が姿を現した。
「お久しぶりです、イルミ様。いらしていたのですか。ですが、今回も春はまだ先ですよ。」
「えー!また間違えちゃったのー!じゃあレナードの願いを叶えたら一旦帰るのー!」
文官達にはイルミ様の姿も声も捉えることができないが、妖精が現れたらしいと分かり、神妙な表情で成り行きを見守っている。
「いえ、私は自分でメアを説得して見せますから、イルミ様に助力いただく必要は…。」
「早速行ってくるのー!」
私が止める間も無くイルミ様は飛び去ってしまった。
「レナード様、妖精様がメア様の説得にあたられるのですか…?」
イルミ様が去った後も、しばし呆気に取られていた私に文官が声をかける。
「ああ。何をなさるおつもりなのか分からないが…。まあ、さすがのイルミ様でも人の気持ちを無理矢理変えるなんてことはできないはずだ。少し様子を見よう。」
一先ずイルミ様のことは置いておいて、私は溜まった仕事を片付け始めた。
しばらくして、イルミ様が戻ってきた。
「レナード、これあげるのー!」
小さなペリドットの石が嵌め込まれた指輪を手渡される。
「これであの小娘はレナードのものなのー!小娘が王族に嫁いだら、あたい達と一緒に遊べるようになるのー!それじゃあ、あたいはもう帰るのー!春になったらまた来るのー!」
「お待ちください!イルミ様、これはまさか…。」
私が必死に呼び止める声も虚しく、イルミ様はあっという間に姿を消してしまった。
ちょうどその時、やや荒々しいノックの音が響く。
「失礼いたします!こちらにイルミ様はいらっしゃいますでしょうか!」
かなり取り乱した様子のメアが執務室に駆け込んで来た。
入って来るなりメアは、私が手にしていた指輪に目を留める。
途端に、すうっとメアの顔から表情が消えた。
「…。」
「メア、これは、その…。」
厚意からの行動だと分かっているだけに、イルミ様が勝手に、と告げても良いものだろうかと躊躇って、視線を泳がせてしまった。
これでは却って怪しい。
「レナード様がイルミ様にヨハンの指輪を盗ませたのですか。イルミ様がわたしの指輪の色を変えたのもレナード様のご指示ですか。」
言われて見れば、メアの付けている婚約指輪の石は深い緑色から濃い青色に変わっている。
「わたしが婚約を受け入れないからといってこんな手段を取るなんて、レナード様には少々失望いたしました。」
メアにこんなに冷たい目を向けられるのは初めてだ。
それにいつもより早口で言葉数が多い。
人の物を盗んでまでメアを手に入れようとした私に対して、よほど苛立っているのだろうか。
早く否定したいのに、何故かなかなか言葉にならない。
「…ですが、そもそも王太子殿下からの申し込みを断るなどと、無礼を働いているのはわたしの方ですし、今になって婚約を強制されたからってわたしが腹を立てるのも、よく考えてみればおかしな話ですね。今まではレナード様の温情で先延ばしになっていただけだと言うのに。」
私を問い詰めているうちに、徐々にメアの怒りが収まってきたようだ。
先程よりは目つきが穏やかになっていた。
「すまない、メア。私はこんなつもりでは…。」
「いえ、わたしの方こそ申し訳ありませんでした。失礼な言動をお許しください。わたしはレナード様に少し期待し過ぎてしまっていたようです。」
メアが深々と首を垂れる。
弁解する前にメアが自己完結してしまったので、私は誤解を解くタイミングを見失った。
それに。
「それは…、私との婚約を受け入れる、ということか?」
「はい。謹んでお受けいたします。」
嬉しい。
はずなのに何故か喜びきれない。
あんなに切望していたメアとの婚約が漸く叶うというのに、このやりきれなさは何だ。
以前は確かにメアから感じられたはずの親愛の情が消えてしまったような、目に見えない厚い壁が私とメアの間を隔てているようなそんな気がした。
「段取りに関しても全て王家のご意向に従いますので、お好きなように進めていただいて構いません。ては、わたしはこれで。」
失礼します、と礼をして帰ろうとするメアの腕を咄嗟に掴んでしまった。
「メア…。」
言いたいことがあるはずなのに言葉が出て来ない。
これが本当に私が望んでいた形なのか。
義務だから仕方がないと、何もかも諦めたようなメアの態度にどうしようもなく焦燥感が募った。
義務だけで繋がった関係なんて嫌だ。
「まだ何か?」
私を見る大きなペリドットの瞳は、もはや何の感情も映していないように見えて、胸が締め付けられる。
先程、怒りに任せて向けられていた冷たい視線の方がまだましだったと思えた。
「やめてくれ…。」
堪らなくなって、私はメアに縋り付いた。
「そんな目で私を見ないでくれ。そんな風に距離を置かないでくれ。お願いだ。もう、手に入らなくても良いから。無理に婚約なんてしなくて良いから、だから…。」
メアに見放されたくなくて、絞り出すように必死に言葉を吐き出す。
「ですが、イルミ様にお願いしてまで…。」
少し顔を上げると、メアの困惑したような表情があった。
私はよほど情けない顔をしていたのだろう。
「私はメアに無理強いするつもりは無い。イルミ様は私の希望を叶えようと動いてくださったが、イルミ様の力を借りることは私の本意ではなかった。私はメアに、自分の意志で私の隣にいることを選んでほしかったのだ…。」
「そう、なのですか…。勘違いでレナード様を責めるような発言をしてしまって、重ね重ね申し訳ありませんでした…。」
ずーんと、音が聞こえてきそうなほど落ち込んだ様子のメアは一生懸命に謝ってきた。
「イルミ様をお止めできなかった私にも責任はある。だからもう謝らなくて良い。」
励ますように頭を撫でると、メアは少しだけ表情を緩めた。
「婚約のお話はなかったことにしてもよろしいのでしょうか…?」
「ああ。だが、まだ諦めた訳ではない。どうせ陛下が君達の婚約を認めるまで、時間はたっぷりあるだろうからな。」
「え、先程は手に入らなくても良いって…。」
「要らないとは一言も言っていない。」
少し呆れたように笑うメアが愛しくて仕方ない。
無理強いはしないと言ったばかりなのに、今すぐにメアの全てを奪ってしまいたいような衝動に駆られる。
ハプニングとはいえ、せっかく奇跡的にメアが頷いたというのに、絶好の機会をみすみす逃してしまった。
早まったかもしれないな、と若干後悔しつつ、私は今までと変わらない幸福を噛み締めるのだった。




