65 ヨハン目線
「あー…。何やってんだ、俺…。」
デイカー領の端にある小さな湖の前で、崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
この湖は、ガキの頃によく魔法の練習をしていた場所だ。
思い出の場所というほどでもないが、滅多に人が来ないので、思う存分練習ができるところは気に入っていた。
まあ練習といっても、周りの奴らに俺の魔法を自慢するためだけにやっていたことだ。
努力なんて嫌いだった。
才能があるのに努力する必要なんかないと、あの頃の俺はとにかく驕っていた。
メアに出会って俺は変われた、と思う。
メアが俺を頼ってくれたから、メアに褒められたくて、苦手なことも頑張れた。
辛い時も苦しい時もメアの顔を見るだけでもう少し頑張ろうと思えた。
そのメアに嫌われたかもしれない。
泣かせてたらどうしよう。
俺がもし逆の立場であんな風にメアに拒絶されたら、めちゃくちゃ凹むし死にたくなると思う。
それに任務もサボっちまったし。
個人的な感情に振り回されて、逃げ出して、無責任で情けない奴だってメアも呆れてるはずだ。
くそ、なんでこうなるんだよ…。
メアに婚約を申し込まれて嬉しかった。
気持ちが通じたわけじゃないけど、それでも俺を選んでくれたことが嬉しかった。
メアがくれたお揃いの指輪はとても美しくて、がんばって作ったと得意げに言うメアが愛おしかった。
メアの瞳と同じ色の宝石が付いた指輪をしていると、まるでメアの全部が自分のものになったような気がした。
メアが他の男を見るのも、話すのも、笑いかけるのも嫌だ。
前から嫌だったけど、前よりもずっと独占欲でいっぱいになった。
メアは何も変わってないのに、俺だけがどんどん黒い気持ちになっていく。
しょうもないことで勝手に嫉妬して、アイツに図星指されて苛ついて、挙げ句の果てにメアに八つ当たりして任務放棄。
馬鹿か、俺は。
はあ、ともう何度目かわからない大きな溜め息を吐く。
本当にアイツと婚約したらどうしよう…。
メアは、俺が婚約を嫌がったと思って、すでに他の奴と婚約しようとしているかもしれない。
なんであんな心にもないこと言ったんだよ、俺。
今更ながら後悔が押し寄せてくる。
ああ、嫌だ。
他の男になんて渡したくない。
俺がずっと一番近くにいたい。
「ヨハン!」
その時、突然メアの声がした。
慌てて振り返ると、メアがこちらに駆け寄って来ていた。
「メア…?なんでここに…?」
「ヨハンに会いたいって思ってたら、たまたま転移できたみたい。」
そんなことあるのか?
居場所も分からない奴の所に転移できるなんて意味不明だろ。
「えっと…、悪かった。任務放ったらかしたりして。」
「思ったより簡単に終わったし、それはもういいよ。それより、ヨハンに嫌われたかと思って、わたし…。」
そう言ってメアは悲しげに俯く。
「…っ、嫌いになんてなるわけない!」
「本当…?」
心細そうに見上げてくるメアを思わずぐいっと抱き寄せた。
「メアが好きなんだ。近所の黒猫を可愛がっているときの緩んだ顔とか、考え事をする時に前髪を触る癖とか、俺の名前を呼ぶときの声とか、とにかく全部、全部好きなんだよ。」
他にももっとたくさんあるはずなのにうまく言葉にならない。
「わたしもヨハンのことが好きだよ。」
メアがぎゅっと抱き締め返してくる。
「メアの好きと俺の好きは、違うんだよ…。」
「え。違ったら、結婚できない?」
拗ねたように呟いた俺に、メアは少し焦りながら尋ねてきた。
婚約が反故になるのは困ると思っているのか、不安そうに俺を見つめてくる。
ほんとは誰でもいいくせに、何でそんな顔すんだよ。
勘違いしそうになるだろ。
「…できるよ。」
俺はメアの唇に口付けて、ゆっくりと離れ、再び強くメアの体を抱き締めた。
正直、メアが追いかけて来てくれるなんて思ってもみなかったからすげえ嬉しい。
場所も分からないのに転移できるくらい俺のことを想ってくれたんだと思うと、胸がいっぱいになった。
ああもう幸せ過ぎる。
メアと結婚できるなら他のことはどうでも良い気がしてきた。
「ヨハン、今朝はごめん。わたし、ヨハンの気持ちが全然分かっていなくて…。」
「いや、俺の方こそごめん、叩いたりして。メアは悪くないし、俺がメアのことが好き過ぎて頭おかしくなってるだけだから、もう気にすんな。」
え?と不思議そうな顔をするメアの髪を撫で、もう一度唇に軽く口付けた。
婚約したら堂々とこういうことできるからいいな。
メアも婚約のことを周りに知らしめたいわけだから文句言わないだろ。
まあ、前からメアは何しても反応薄いから、どっちにしろ何も言わないだろうけど。
…ったく、メアがそんなだからアイツらが付け上がるんだ。
「…そろそろ戻るか。ウィルフリード様にも心配かけちゃっただろうしな。」
「そうだね。あ、今度はウィル様のところに転移できるかどうか試してみようか。」
「だめ!だめだ!絶対だめ!」
俺はメアの思い付きを全力で否定した。
できるかどうかは分からないが、もしも転移できたら、俺だけが特別じゃなくなってしまう。
「だめなの?まあ、失敗したらどこに飛ぶか分からないしね。ヨハンがそう言うならやめておこう。」
別に危ないと思って言ったわけではないが、とりあえずメアが納得してくれて良かった。
「ところで、ここって何処なの?」
今更になって、メアが尋ねる。
「…ほんとに何も分からないまま来たんだな。」
一歩間違えばメアが危ない目に遭っていたかもしれないと思うと、途端に心配になった。
「ここはデイカー領だよ。俺ん家から割と近い。」
「そうなんだ。デイカー男爵のお邸には何度も行ってたけど、こんな場所があったなんて知らなかったよ。綺麗なところだね。ヨハン、よかったら今度領地を案内してくれないかな。」
メアは景色を見渡して呑気に喜んでいる。
「案内ったって何もないぞ?」
「何もなくてもいいよ。お嫁に来るのだから、領地がどんなところかひと通り見ておきたいんだ。」
「っ…。」
メアの言葉を聞いて、俺は一瞬で限界まで赤面した。
婚約だけのつもりなのかとも思ってたけど、俺と結婚するつもりでいてくれてるのか。
「そ、そうだな。なら今度案内するよ。…けど、ほんとに何もないからな?何もなさ過ぎてやっぱ嫁ぐのやめるとかなしだからな?」
「ふふ。そんなこと言わないよ。まあ、しばらくは陛下にお許しを頂くのが難しそうだけど、わたしはヨハンと結婚できるのがとても嬉しいんだよ。」
…男爵夫人が気楽だからってだけだろ。
そうやって嬉しそうに笑うのやめろよ。
とりあえず、早めに王様の弱味でも握んねえと面倒なことになりそうだな。
「じゃ今度二人でデートってことで。」
「うんうん。婚約者なんだからやっぱりデートくらいしないとね。」
わざわざ言い換えたのに、相変わらず意識してくれる気配が全くない。
やっぱ前途多難だなと、俺はこっそり溜め息を吐いたのだった。




