56 恋とはなにか
「メア、あなたに求愛のお手紙がたくさん届いていますよ。」
侍女達に大量の紙束を持たせたお母様が部屋に入ってきた。
卒業舞踏会にドレスを着て参加したので、わたしが女だと知って各家がすぐさま手紙を送ってきたらしい。
他の侯爵家は王子達に夢中なので、侯爵令嬢で可能性がありそうなのはわたしだけだと思って向こうも必死なようだ。
「ユーリアナ、それらは全て燃やせと先程言っただろう。」
「あら、ラインハルト様。そんなことをおっしゃるためだけにメアの部屋までついていらっしゃったのですか?」
「そんな紙屑をメアに見せる必要などない。さっさと処分しろ。」
「そういうわけには参りません。ねえ、メア。あなただってちゃんと読んでから判断したいわよね?」
「いえ、お母様。全て不要なので丁重に処分をお願いいたします。」
正直、知らない男性から手紙で求愛されても心が動くことはないと思う。
どんな内容であれ、読むだけ時間の無駄だろう。
剣術でわたしに手合わせを申し込んでくるとかの方が遥かに魅力的だ。
ゼノビアのように何度も挑んでくるのは鬱陶しいので一回で十分だが。
「だから言っただろう。すぐに燃やしてきなさい。」
わたしの言葉を聞いて、お父様は満足そうにふんと鼻を鳴らした。
「メア、もしかしてあなた、すでに心に決めた方がいらっしゃるの?」
お母様が期待に満ちた目でわたしを見る。
「いえ、そういうわけではありませんが…。婚姻のお相手は、お父様やお兄様のように強い方でなくてはと思うのです。そういうことは手紙では分かりませんから。」
「その通りだ。ヴィクトルにも勝てんような男にメアをやるわけには行かぬ。」
いや、お兄様より強い方とは言っていないのだけれど。
そんなひといるのか?
そういえば、クリスティーナ嬢の兄であるジルヴェスター様はお兄様に勝ったことがあるとおっしゃっていたっけ。
「強さとかだけの話ではなくて、一緒にいてどきどきしたり、離れているときに恋しく思ったりするような、メアが恋心を抱いている方はいらっしゃらないの?」
「一緒にいてどきどき…、それが恋というものなのですね。これからは少し注意深く自分の気持ちと向き合ってみます。」
初恋もまだだったのね、と心配そうに笑うお母様の隣で、お父様が今にも人を殺めそうな顔をしていてとても怖かったので、わたしは二人とも部屋から追い出した。
もうアカデミアを卒業したので、ノエル王子の護衛の任は解かれているのだが、今日は久しぶりに王城にご挨拶に伺うことにした。
「メア!僕に会いに来てくれたのですか?」
ノエル王子の元を訪れると、輝かんばかりの笑顔で迎えられた。
「ええ、お久しぶりです、ノエル様。お元気でいらっしゃいましたか?」
「モンテニーロとの交戦以降、あまりメアに会えなくなってしまってすごく寂しかったのです。だから、今日メアが僕に会いに来てくれて本当に嬉しいです。」
そう言ってわたしに飛び付いたノエル王子に抱き締められた。
「ノエル様、少し背が伸びましたか?」
以前はわたしより少し小さかった身長が、わたしと同じくらいの高さになっていた。
「はい!だからこうやって、メアの唇にも…。」
ノエル王子がわたしにゆっくりと顔を寄せてくる。
前より近くに感じる菫色の瞳に、どきどきと胸が鳴るのがわかった。
はっ…!
もしかして、これが恋?
そう思ったら、途端に顔が熱くなって、思わずノエル王子から目を逸らしてしまった。
「メア?どうしたのですか、そんなに赤くなって。前はどんなに近付いたって全然反応がなかったのに。もしかして、やっと僕のこと…。ああ、そんなに可愛い顔をされたら、もう僕…。」
「兄上!」
突然レナード王子が、ばんっとドアを開けてノエル王子の部屋に入って来た。
「…。レナード、盗み聞きしていたのですか?良いところだったのに邪魔しないでください。」
「別に盗み聞きしていたわけではありません。メアが来ていると聞いたから寄ってみただけで…。それより兄上こそ、メアに破廉恥なことをするのはやめてください。」
「まだ何もしていません!」
「今後もしないでください!」
兄弟で言い合いが始まってしまった。
今日のところはこの辺にして、また出直そうかな。
そう思って退出しようとしたら、後ろから急にレナード王子に抱き竦められた。
「メア、会いたかった…。」
少し掠れた声で耳元で囁かれて、またどきりと胸が鳴った。
え、これも恋?
わたしはレナード王子にも惚れているのか。
自分の身体に回された腕や、首元にかかる息を意識してしまって、恥ずかしくて堪らなくなる。
「どうした、メア。耳まで真っ赤だぞ。…そんな反応をされると、一瞬で理性が吹き飛びそうだ。」
レナード王子は腕の力を強めて、わたしのうなじの辺りに口付けた。
「ちょっと、レナード!破廉恥なのはどっちですか!」
わたしとレナード王子は、ノエル王子によってあっという間に引き離された。
どういうことだろうか。
同時に二人に恋をしてしまうなんて。
こういったことはよくあることなのだろうか。
帰ったらお母様に相談しなければ。
王城を出ようとしたところで、ウィル様にばったり会った。
わたしはいつものようにウィル様に駆け寄り、その胸に飛び込もうとして、やめた。
「メア?どうしたの?どこか具合でも悪い?」
ウィル様に心配そうに覗き込まれて、顔が熱くなる。
まただ。
どきどきする。
ウィル様のことも好きだというのか。
「メア、大丈夫?熱があるの?」
ウィル様におでこ同士をくっつけられて、わたしは動揺で泣きそうになった。
「え、もしかして照れてる…?これは、やっと男として見てくれたってことかな。メア、俺に触られてどきどきしてるの?」
「…はい。」
顔を寄せて嬉しそうに尋ねてくるウィル様に、小さな声でなんとか返事をすると、ぎゅっと抱き締められた。
「ん…、そっか。はあ、このままこうしていたら歯止めが効かなくなりそうだ。俺はこの後、騎士団に寄ろうと思っていたんだけど、メアはどうする?」
「それなら、わたしも行きます。」
離れ際、頬にちゅっと軽く口付けられて、ウィル様の腕は解かれた。
ああ。
恋ってなんか気疲れがすごい。
黒銀騎士団の本部に着くと、そこにはヨハンも来ていた。
今日は珍しく騎士団も休日になっていたのに、ひとりで鍛錬していたようだ。
「よお、メア達も来たのか。…あ、メア、睫毛になんか付いてるぞ。」
ふいにヨハンに顔を近付けられて、わたしは慌てて飛び退いた。
「あ、おい!動くなって。取ってやるから、ほら。」
再び距離を詰められて、心臓がうるさくなった。
ぎゅっと目を瞑って恥ずかしさに耐える。
「ああ、やっぱり俺だけじゃなかったんだね…。ちょっと期待したんだけど。」
「なあ、なんだよこれ。こんな可愛い顔で必死に目瞑って…、食っていいってことか?」
「だめだよ。なんでメアがこんな風になったかは俺にもわからないけど。」
恐る恐る目を開けると、ヨハンの深緑の瞳と目が合った。
わたしの顔の熱は全く冷める気配がない。
「メア。俺はお前の嫌がるようなことは絶対しねえけど、あんまそういう態度取られると、我慢できなくなくなるかもしんねえ…。」
ヨハンは切なげな表情で、わたしの髪をさらっと撫でると、わたしを身体を軽く抱き寄せた。
「お、やっぱここにいたか。」
そこにルイ様が現れた。
ルイはこうして時折ふらっと騎士団本部を訪れては、メアにちょっかいを出していた。
「毎日毎日、訓練だ任務だとご苦労なことだと思ってたが、なんだ、今日はいちゃついてるだけか?」
「…帰れ。」
わたしを守るように抱き竦めながら、ヨハンが言い放った。
「あ?んだよ。俺はそいつに用があんだよ。てめぇはすっこんでろ。」
「今日はだめだ。部外者は大人しく帰ってくれないか。」
ウィル様もルイ様のことを冷たく追い払おうとする。
今のメアとルイを引き合わせたら、十中八九ルイに襲われるだろうというのが、ヨハンとウィルフリードの共通認識だった。
「…なんだよ、体調でも悪ぃのか?チッ。しゃあねぇから出直してやるよ。じゃあな。ちゃんと体あったかくして寝ろよ。」
ルイ様は不満げな顔をしながらも、さっさと帰って行った。
「あの、わたしもやっぱり今日はもう帰ろうかな…。」
ずっとどきどきし過ぎて、もう限界だった。
「そっか、わかった。帰り送るか?」
「大丈夫だよ。気分が悪いわけじゃないし。」
「ほんとに一人で平気?すごく心配なんだけど。」
ヨハンとウィル様に不安げな顔で見送られながら、わたしは騎士団本部を後にした。
帰り道、公園で高い木にボールが引っかかって困っている様子の子ども達がいたので、わたしは颯爽と木に登り、ボールを取ってあげた。
「ありがとう!騎士の兄ちゃん!」
「え、かっこいい…。好きになっちゃったかも…。」
「ばか。お前みたいながきんちょ、相手にされるわけねーだろ。」
「はあ?なによ、もー!」
ボールを受け取った子ども達はわらわらと移動していった。
たのしそうだなあ。
なんて思っていたら、うっかり足を滑らせた。
身体が重力に従って勢い良く落ちて行く。
「何してるんだ、メア!危ないだろう!」
気付いたら、何故かゼノビアに抱き留められていた。
「ゼノビア、どこから来たの?なんで上半身裸なの?」
訳の分からない状況に疑問しか湧かない。
「この公園で鍛錬していたのだ!脱いだのはその方が動きやすいからだ!」
わたしを降しながら、ゼノビアは元気良く答えた。
「ずっといたならゼノビアがボールを取ってあげればよかったのに。公園で上裸で素振りなんて、変な目見られていただろうね…。今日は王立騎士団の訓練はないの?」
「王立騎士団の訓練は今日はもう終わったのだ!ここは、メアの騎士団の本部から近いからたまに、来ている…。」
珍しくゼノビアの言葉が尻すぼみになる。
「別に着地ぐらい自分でできたのに。」
「そんなことして、また足を捻ったりしたらどうするのだ!」
「わたしがそんなドジなことしてたのは、ずっと昔のことでしょう。」
「…相変わらず危なっかしいから、今でも目が離せないのだ。」
そう呟いたゼノビアに、優しく抱き寄せられた。
ゼノビアは半分裸なので、ゼノビアの肌がわたしに直接触れる。
だけどゼノビアには何故かどきどきしなかった。
ゼノビアの体温を感じると不思議と安心して、心が落ち着く気がした。
「帰るぞ、邸まで送ってやる!」
「うん。」
帰宅したわたしは、すぐにお母様のところに向かった。
「あら、メア。そんなに慌てて、どうかしたの?」
「お母様。実はわたし、一緒にいるとどきどきする方が4人もいることが判明したのです。もしかすると、もっと多いかもしれません。これは、わたしが惚れっぽくて移り気な軽い女だということでしょうか。」
「…いいえ、それはきっと恋じゃないわ。」
「そう、なのですか。」
「本当に恋をしたら、その人のことしか見えなくなって、他のことなんてどうでも良くなってしまうものよ。メアのそれは、異性を異性と認識したというだけじゃないかしら。」
「…。よくわかりません。」
「ふふ。あなたにもそのうちわかる時が来るといいわね。」
なんだかよく分からないが、あれは恋ではなかったらしい。
そうと分かると、恋とか男とか女とか全部、急にどうでも良くなってしまった。
次の日、黒銀騎士団本部に行くと、ヨハンとウィル様が恐る恐る近付いて来たので、わたしは二人に駆け寄り抱き着いた。
「うわっ!な、おい、メア!昨日のあれはどうしたんだよ。もう触っても平気なのか?」
「うん、大丈夫みたい。」
今はもう触ってもなんともない。
どきどきして胸が詰まるようなあの感覚はなんだったのか。
「なんか、ほっとしたような、残念なような、複雑な気持ちだよ…。」
「あー、結局また逆戻りか。…まあこれはこれで良かったのかもな。」
「意識されたらされたで、結構辛かったしね…。」
こうして、メアの恋心は着実に迷宮入りしていくのだった。




