50 視察
「レナード、よくぞ私の代わりにメア殿の望みを叶えてくれたな。その他これまでの功績を認め、其方を王太子とすることに決めた。ノエル、其方も異論はないな?」
「もちろんです、陛下。僕は王太子になるつもりなんて全くありませんから。」
「そうだったのですか?兄上はそのために努力していたものとばかり…。」
「違います。メアに好きになってもらうために決まっているじゃないですか。」
「…。陛下、ひとつお願いがございます。立太子を機に、メアの配属を私の護衛に変えていただけませんでしょうか。」
「そんなのだめです、レナード!メアは卒業まで僕の護衛をするって決まっているのですよ!」
「うーむ、三年間はノエルの専属護衛をしてもらうという約束だからなあ。まあ、時々レナードの公務に貸すくらいなら良いであろう。」
「そんな、お父様…。あんまりです…。」
「ご配慮いただきありがとうございます。」
季節はもう冬だ。
時が経つのは早いなあ、などとありきたりなことを考えていると、レナード王子のところの文官がノエル王子の部屋に来た。
「またなのですか?昨日もレナードはメアを連れて行ったのに。最近多すぎます。」
「申し訳ありません、ノエル様。できるだけ早く戻って参りますので。」
「…約束ですよ?」
むうっと頬を膨らませるノエル王子を宥めて部屋を出る。
レナード王子の部屋に入ると、何やら話があると言われた。
「今度公務でハートフォード公爵領に行くことになった。それにメアも同行してもらいたい。このことは陛下も了承済みだ。」
陛下の許可が出ているなら、わたしから言うことは何もない。
「承知いたしました。身を引き締めて当たらせていただきます。」
「…そこまで気負う必要はない。単なる視察だ。私とメアの二人だけだから、気楽に楽しんだら良い。」
「…?」
「…メア様と二人きりのお出掛けが成功すれば、レナード王子もしばらくはこれ以上ないくらい上機嫌でいられるに違いありません。」
「ああ、ありがたや〜、ありがたや〜。」
「おい、ちゃんと公務の体裁は整えたんだろうな?」
「もちろん、ばっちりですよ!レナード様は嬉々として、鬼のような早さで業務を前倒しで進めてくださいましたし、メア様の趣味嗜好もリサーチ済みです!」
文官達がこそこそと話している。
何を企んでいるんだか。
「これを着るのですか…?」
その公務の当日、わたしは手渡された深い青色のドレスを持って立ち尽くしていた。
「今日はドレスコードがある場にも行く。帯剣はできないが、メアは体術や魔法も使えるから護衛には問題ないだろう。」
「しかし、これでは何かあったとき咄嗟に…。」
「比較的動きやすい造りにしたと聞いているから大丈夫だ。」
「しかし…。」
「メア、頼むから私に恥をかかせないでくれ。オペラハウスに男と二人で来ているとは思われたくない。」
「…!オペラハウスを視察されるのですか。」
一度で良いから行ってみたかったのだ。
仕事だということは分かっているが、今から楽しみ過ぎる。
客はほとんど男女ペアだろうから、騎士と二人で来ていると思われるのは確かに恥ずかしいかもしれない。
「そうだ。着てくれるな?」
「…わかりました。」
頷くとすぐに侍女達に取り囲まれて、気が付いた時には、鏡の前に品良く着飾ったわたしがいた。
ドレスなんてちゃんと着たのは初めてなのでは。
全く社交をしてこなかったのは、侯爵令嬢としてはさすがにまずかったかもしれない。
「…っ、綺麗だ。いっそ、このまま閉じ込めておきたいくらいだ。」
レナード王子はドレス姿のわたしをしばらく見つめた後、少し顔を赤くして言った。
馬車でハートフォード領に移動し、念願のオペラハウスに入る。
演目が始まると、もうまるで一瞬にして時間が過ぎ去ったように感じた。
オーケストラの豊かな響きと、表現の多彩な役者の歌声に感涙した。
「夢のような時間でした。ずっと生のオペラを観てみたかったのです。貴重な機会をありがとうございました。」
興奮冷めらやぬまま、とても幸せな気持ちでレナード王子にお礼を言う。
「楽しんでくれたようで良かった。私も初めて観たが、想像以上に素晴らしいものだったな。」
「そういえば、レナード様は楽器を嗜まれますか?」
「兄上とは比べるべくもないが…、ピアノならそれなりには弾ける。」
「そうなのですね。それはいつか是非お聞かせ願いたいものです。」
「まあ、機会があればな。」
その後、休憩がてら雰囲気の良い紅茶店に入った。
「わあ、こんなにたくさんケーキの種類があるのですね。」
「好きなものを食べると良い。」
「ふふ、迷ってしまいます。」
「気に入ったものは全て注文したら良い。」
「レナード様、こういうのは選ぶのも楽しいのですよ。」
「…そういうものか。」
散々迷った末に注文したケーキと紅茶が運ばれてきた。
わたしが選んだのはラズベリーのムースだ。
赤とピンクの色彩が鮮やかでとても可愛らしい。
「紅茶もとても豊潤な香りですね。」
「ああ、かなり茶葉に拘っていることで評判らしい。」
「ん、美味しいです。」
「そうか。…私は、メアが菓子を食べている時の姿が好きだ。その、すごく、可愛いから。」
「可愛いですか?ふふ、久しぶりに言われました。ありがとうございます。」
照れながらお礼を言うと、レナード王子は少し戸惑ったような顔をした。
「前は、誰に…?」
「ん?何か言いましたか?」
「いや、なんでもない。」
紅茶店も大満足で外に出る。
そして、行きたいところがあるというレナード王子について行くと、そこには巨大な楽器店があった。
特にヴァイオリンの品揃えが豊富で、これでもかというほど大量のヴァイオリンが所狭しと並んでいる。
「今日はメアの誕生日だろう。試してみて気に入ったものがあれば贈らせてほしい。」
…!
それはものすごく魅力的な申し出である。
本場ハートフォードの楽器店でこれだけの数のヴァイオリンの中から、試奏して自分の好きなものを選べるだなんてこれ以上の幸せはない。
「その、とても嬉しいのですが、わたしはただの護衛騎士ですし、レナード様からプレゼントなどいただくわけには…。」
目が輝いてしまうのを必死に隠しながら、泣く泣く辞退の意を告げる。
お金持ってくればよかった。
「私にとってのメアは、ただの護衛ではない。誕生日の贈り物くらいは、どうか受け取ってほしい。」
そこまで言われてしまうともう誘惑に抗えそうにない。
「そ、そうですか。では、お言葉に甘えて…。本当にどれでも良いのですか?」
「もちろんだ。生涯の愛器となるようなものを選ぶと良い。」
わたしは仕事のことも忘れ、夢中になって試奏した。
やっとのことで気に入ったものが見つかって、惚れ惚れしながら店を出ると、外はもう夕暮れだった。
「申し訳ありません。公務で来ているというのに、うっかり楽しんでしまって…。」
「構わない。そのために来ているのだから。…もっと景色の良いところで夕陽を見よう。」
レナード王子は僅かに微笑むと、わたしの手を引いて丘を上って行った。
美しく滲む夕陽を眺めながら、レナード王子がおもむろに口を開いた。
「…先日、王太子になることを陛下に認められた。」
「そうだったのですか。おめでとうございます。」
「ここまでやってこれたのは、メアのおかげだ。」
「そんな。レナード王子の仕事ぶりは誰から見ても立派なものでしたし、ご自身の努力の賜物ですよ。」
「…私にはメアが必要なんだ。君が好きだ。私の妃になってほしい。」
こちらを向いて言うレナード王子の表情は真剣そのものだった。
懇願するようにわたしを見つめるサファイアの瞳が不安げに揺れる。
「…わたしは、一生、騎士のままでいたいのです。」
ぐ。
豪華な誕生日プレゼントまで貰っておきながら、王子からの求婚を無下にするなんて、不敬が過ぎるのは百も承知だ。
今にして思えば、視察という名目でわたしの喜びそうな所ばかり訪れていて、全てこの求婚のための布石であったことはもはや明白である。
しかしわたしには、最強の騎士となり、騎士と魔導師の連携を構築するという目標がある。
これだけはどうしても譲ることができない。
あと絶対面倒くさそう。
「…やはりそうか。ではこの件は一旦保留にする。」
「いえ、その、ですからわたしは王妃には…。」
「私は諦めない。王妃のまま騎士の仕事もできるように制度を整備する。必ず迎えに行くから待っていろ。」
そんな無茶な。
その後、レナード王子のこの無謀な計画は何故か文官達の全面的な支持を受けて、少しずつ現実味を帯び始め、それに気付いたメアを焦らせることになるのであった。




