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2話:幽霊がいる生活


 大学生、最上玲一が出会ったのは女の子の幽霊だった。初めて見る幽霊とその可愛い容姿に戸惑いながらも、玲一は彼女にバケ子という名前をつける。そして、一夜が明けた。

 充電ケーブルに繋がれたスマホから、今日も軽快に音が鳴る。同じ部屋にいれば間違いなく耳に届くほどの音量。少しうるさいくらいかもしれない。


「んえ」


 玲一はそう言って、枕元のスマホのアラームを、画面を見ずにオフにする。まだ一人暮らしをして間もないとはいえ、一連の動作は手慣れたものだ。そして再び就寝の体勢に入った。

 静かになる部屋。また睡眠の時間が流れはじめようとしている。


「『えー』じゃない! 起きなさい!」


 そんな怒号と共に、シャッとカーテンが開かれる。朝の日差しが、暗かった部屋に飛び込んでくる。


「ほら! もう朝! 外も明るい!」


 声の主はベッドの方を見る。そこで「うん、うん」と生返事をする男はもぞもぞと動き、寝返りを打って枕に顔を埋め、日光から顔を背けようとしている。


「こうやって女の子に起こしてもらえるってすごく贅沢なことだと思うんだけど!? ねえ! 起ーきーろーよー!」

「んあ」

「もう! いい加減に……しなさいっ!」

「だ!?」


 後頭部に飛んでくる、ほとんど空のティッシュ箱。玲一はなにごとかと飛び起きた。そしてベッドの側にいる女の子の幽霊を前に、枕を盾のように構えた。


「起こし方がおかしい……だろ」

「レイイチが起きないからでしょ?」

「お前、俺に触れないからって、モノを投げてくるなよ。怪我するかもしれないしな。てか、朝からダメだろこれ……は……」


 そう言って再び目を閉じようとする玲一と、それを見て呆れるバケ子。


「あのねえ、まだ火曜日だよ? そんなに寝てる時間ないんじゃない? それにほら、もうこんな時間じゃん? 大学、遅刻するんじゃないの?」

「えっ、待て!」


 バケ子が指差した、机に置いた小さな時計に目をやる。ベッドから落ちるように降り、それを持ち上げる。短針は間違いなく8と9の間を指していた。つまり、時間ギリギリだ。


「待て待て待て待て! おいなんで起こしてくれなかった!? 俺、今日は一限からなんだけど!」

「ホントに何言ってんの!? さっきまでの態度で、よくそんなこと言えたよね!」


 玲一は飛び起き、今日必要になるであろうものを手当たり次第にリュックに詰め込んだ。朝食をのんびりと摂る時間はない。昨日開けた一リットルパック牛乳をそのまま口をつけずに飲み、冷蔵庫にぶち込む。


「行ってくる!」


 彼は家を飛び出した。行ってらっしゃいの声は聞こえない。そもそも聞く余裕がない。さっきまで眠っていたこともあり、足が思うように動かない。そしてごちゃごちゃな中身のリュックを背負っていることで、重心がブレてさらに走りにくくなっている。

 そうこうしているうちに駅に着いた。


「なんとか間に合ったか……?」


 スマホを取り出して時間を確認し、ホームに貼られた時刻表と見比べる。と、そんな時にアナウンスが流れる。タイミングは丁度良かったらしい。電車の先頭車両が遠目に見えた。

 玲一は人の少ない車両を見つけ、乗車した。時間帯も一因だが、この駅までに乗車してくる人はそもそも少ない。帰りは満員電車だが、行きはそれが嘘のようにガラガラだ。彼はひとまずシートにつき、リュックを下ろした。

 危なかった……。息を整えながら、胸をなでおろす。


「初遅刻しそうだったね?」

「ああ……。あ?」


 玲一は隣の席に座り、首を傾げているバケ子と目があった。事態が飲み込めず静止する彼に、バケ子は「ん?」と、きょとんとした様子でメトロノームのように反対方向に首を倒した。


「な!?」


 同じ車両内の数人が一斉に玲一の方を見た。視線が痛々しい。玲一はスマホを見ていたフリをして、その場をごまかした。


「な、ん、で、お前がここにいるんだ?」


 体を正面に向け、ロックのかかったスマホを持ちながら、小声でそう尋ねる。周りから見ればスマホ片手に独り言を言うおかしな男だが、なにもいないはずの場所に向かって話すヤベーやつになるよりは多少マシだ。


「ついてきちゃった! わたし、電車乗るのってはじめてかも」


 彼女はにぱっと無邪気な笑顔を見せた。シートをポンポンと叩き、揺れるつり革にも興味を示している。玲一は頭をかかえてうつむいた。スマホを持つ手も力なく下ろされる。


「いやいや『きちゃった』じゃないんだよなあ。そんな軽いノリで出てくるな。そもそもお前は出られなかったんじゃないのか? あの部屋から!」

「うん。出られないよ。わたしだけじゃ」

「……は?」

「だから今日、レイイチがドア開けてくれた時にね、サッとね」

「じゃあ、出れんじゃん。出られないとは一体何だったのか」

「最近急に動きやすくなったんだよね。言っちゃえばベランダにも出てたわけだし」

「……たしかに」


 真っ暗な画面をスワイプする指が止まる。目線は正面の窓から見える住宅街の屋根へと。再び玲一は口を開く。


「よし、ひとまずこれで自由に動けることが分かったよな。あとは自分で出歩いて、なんでも出来るだろ。な?」

「それは無理だよ」

「なんで」

「昨日、わたしベランダに締め出されてたでしょ? 誰かさんのせいでね」

「はいはい、すいませんでしたァ」

「いいよ。わたしが勝手に出ただけだし、その時はまだわたしのこと見えてなかったんでしょ?」


 その通り、玲一には悪気はなかったのだが、そう何度も言われるとこみ上げてくる罪悪感がある。スマホのロック解除ボタンを二、三回カチカチと押して気を紛らわせた。


「レイイチのお陰で出入りはできるようになったけど、やっぱりわたしの場所はあの部屋の中なんだと思う。ベランダに出てだいたい一日経った頃かな。レイイチが大学に行ってる間。すごく苦しくなったの」

「ああ、そんなこと言ってたっけ。ってことはそれを過ぎたら何かあるってことか。幽霊が苦しくなるってことは成仏するってことじゃないのか?」

「そうだよね。レイイチもそう思うよね。危なかったぁ」

「やっぱり嫌か? その、成仏するのは」

「当たり前じゃん。わたしだって満足して死にたい――いや、もう死んでるから……。満足して、消えたい」

「あーそうかい」


(満足して消えたい、か。消える、ねえ)


 玲一は全身から力を抜き、ため息をついた。

 余計なお世話なんだろうが、実際に生前のことを知ったとして、本当に満足するのだろうか。若くして死ぬ、というのは少なからず後悔が残るものだろう。いや――

 玲一はシートに膝立ちして電車の外の景色を眺めるバケ子に視線を移す。

 年齢問わず誰でもそうかもしれない。今日のように満足して生きたかった明日を失ってしまう。死ぬってことは、そういうことだ。

 いつの間にか窓の外の景色は、まばらにビルが建つ見慣れた風景へと。駅到着のアナウンスが流れる。

 玲一はバケ子を連れて電車を降りた。駅は別の路線でやってきた学生で溢れている。毎日の変わらない景色だ。玲一は改札機を抜けていくバケ子を見て不思議な気分になった。


「ん? どうしたの?」


 人の流れに乗りつつ、バケ子を見つめる玲一。彼の視線に気づいたバケ子は尋ねた。


「いや、切符も定期も持ってないし――そもそも必要ないから当然なんだけどさ、改札素通りってなかなかないからな」

「わたしも切符、やろうかな? シャッシャッて。あ、なんか面白そう」

「おいやめろ。なんでお前の分まで買わないと――」

「えへ、冗談♪」


 屈託のない笑顔を見せる。なんとも生意気で厄介な幽霊だ。だがそのかわいさからか、きつく怒る気にはならない。

 大学前にまで来れば流石に人が多い。特に一限の時間帯。まだ四月ということで、サボる学生は多くない。


「わぁあ。人がたくさんいるね!」

「まあ、大学だからな。こんなもんだろ。それより、はぐれるなよ? 俺がいないと帰れないだろ。……聞いてねぇな?」

「すごいすごい! 外ってこんなだったんだ! ちょー新鮮だよ。これだけでなんか楽しくなっちゃう」


 玲一は気づいた。生前の記憶を失ったバケ子にとって、あの狭い部屋が世界の全てだったのだと。あたりを見回し、その度に感嘆の声をあげる彼女の姿は、なんともいじらしく見えた。


「はしゃぎすぎるなよ」

「えへっ。大丈夫だよ。どうせレイイチにしか見えないもーん。おっ、なんだこれー!?」


 部活やサークル勧誘の看板があちこちに立っている。それらを抜けて、玲一は講義室に向かった。

 今から向かう講義室は収容人数数百人の大部屋だ。その出入り口は前に二つ、そして後ろに一つ。遅刻かもしれない。そういう時はわざわざ裏手に回って後ろの扉から入るのが彼のやり方だ。


「うわー広ーい!」


 先に講義室に入った玲一を追いかけてきたバケ子が叫んだ。元々ざわざわとしてうるさかった部屋だが、バケ子の高い声は特に分かりやすい。しかし、これだけ反響しているのに、自分以外には聞こえないのだから不思議なものだ。

 かなりの席が埋まっているが、やはり前の方は空いている。

 玲一は最前列の右端に座った。教授の視界にも、学生の視界にも入りにくい場所だ。最初の一週間で早くも交友関係を築いた学生たちは固まって座るが、それに乗り遅れた玲一にはこの端の席が心地よかった。

 講義が始まるまでなにもせずに過ごす予定だったが、今回はそうはいかない。目が離せないやつがいるからだ。


「どうしたのレイイチ? 深刻そうな顔して?」


 その目が離せないやつが、机を隔てた玲一の正面にやってくる。


「いや、別に。てか、お前講義聞くつもりか?」

「ダメなの?」

「いやダメではないけど……。聞いてて楽しいかは保証できない。途中で嫌になっても知らないぞ。場所が場所だから、俺もお前を構えないしな」

「はいは〜い。分かってるよ〜」


 バケ子は気の抜けた返事をした。

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