プロローグ
幽霊。
いまだ科学で証明されていない彼らは、いったい何なのだろうか。世界各地で噂され、伝承され、さらには目撃までされているが、いまだその正体に近づけた者はいない――。
唐突に、電車の吊り広告のそんな文を思い出した。
(……なんで今なんだ)
一人の男子大学生が台所に立ち、カレーを作っていた。これまで料理をしたことはそれほどなかったが、今の時代はネットに様々な記事があるので困ってはいない。そして何より、カレーライスを作るのにそれほどの技量は必要とされない。
ルーの香りがプンとする中、彼は天井を仰いだ。そして大きなため息をついた。
春というのはこんな気分になる季節だっただろうか。
春といえば、未来は明るい、人生は楽しい、と言わんばかりのポジティブなイメージを携えてやってくるものであるはずだ。
この春から大学生になった彼は、新たな環境に身を置いて素晴らしいキャンパスライフを送るはずだった。
「はず……だったのになぁ」
そう呟きながら彼はリビングに入ってくる。カレーライスの入った皿は両手に持たれていた。
「遅いよぉ」
食卓である小さな机の前には、中学生ほどの女の子がいた。まだ肌寒い日もあるが、露出の多い服を着ている。これはこの男子大学生の趣味によるものではない。
「遅くない。お前、腹減らないんだからいいだろ?」
「減ーるーのー!」
彼女は立ち上がり、座って手を合わせた男の前に立つ。窓の光は部屋を包み、彼女の体を通り抜けた。部屋の反対側の景色がうっすらと見える。
「分かった分かった。分かったから、座って食えよ。あと、こぼすなよ」
少女の足元を叩く。足元、と言っても彼女の足がそこにあるかはわからない。さらに言えば叩けてもいない。半透明な体は、膝から先が見えなくなっていた。
「……うん」
「おっ、素直じゃん」
少女はスプーンを持ち、カレーライスをすくって口に運ぶ。
「ん。おいしい」
にっと笑って二口目を取る。
「そうか? ならよかった」
これは、一人の大学生と一人の幽霊の何気ない日常の物語である。