最終章 Part 5 契約
【500.7】
「ドロシー!!」
メリールルがドロシーに駆け寄ろうとする。
「待て! 止まれメリールル!
吸収されたかもしれねえ!!」
ジャックがメリールルを制止した。
「見間違いかも!!
あれはドロシーだよ!」
「ダメだよドロシー、危険だ!」
当のドロシーは、襲われた場所で地面に座り込み、上半身だけを辛うじて起こした状態で止まっている。
メリールル達にも、一瞬ドロシーがガージュの黒い液体に飲まれたように見えた。
しかし、現在はガージュの姿どころか黒い液体すらどこにも見当たらない。
ドロシーが1人で座り込むのみである。
「…………」
ドロシーは微かに何か言葉を紡いでいる。
制止を振り切ってメリールルがドロシーに近づいた。
「ドロシー!! 大丈夫!?」
「……予知夢……どお……り……。
成……功……」
「え? ……何が?」
「殺……して……」
ドロシーの手に何か握られている。
アーサーがそれに気づき、意を決して近づいた。
「何を握っているんだ……?
これは……手紙?」
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最後まで一緒にいてくれたみんなへ
わがままを言ってごめんなさい。
実は、こうなることは予知夢で分かっていたの。
それでも、どうしてもガージュを止めなければならなかった。
だから、みんなには内緒でカイと会ったわ。
彼に手伝ってもらった。
ボイドが使えない狭間の領域では、私にはイニシャライズしか残されていない。
だから、ガージュの情報記憶装置の時間を巻き戻したの。
自己認識を失い、ノット・クローバーとしてラボにいた頃まで。
カイには、私に細工をして、1回限りのイニシャライズだけはどんな規模でも詠唱時間なしで撃てるようにしてもらった。
案の定、直後に私を吸収し、私の人格と記憶を固定した状態でガージュは機能を停止している。
この時点のガージュには、自己認識の元となる使命のデータが欠損しているから。
私の人格という「檻」に、ガージュを閉じ込めることに成功したの。
今回のイニシャライズも私の最大MPを超えちゃってて、その反動までは消すことができなかった。
もう私には体を動かすことすらできない。
この体もガージュを閉じ込める「檻」。
だから、今のうちに私ごとガージュを殺して。
最後まで頼りっきりで、ごめん。
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「殺……して……」
ドロシーは焦点の定まらない瞳で、呟き続けている。
もう目も見えていないのだろう。
「クソッ……!
こんなことってあるかよ!」
その時、消えていたはずのゲートが復活し、そこから光がこぼれた。
アーサー達はあまりの眩しさに、目を覆う。
「やっと見つけた。
ここにいたのね、魔女」
ゲートの前に、エイルが立っていた。
「エイル……あんた、何で?」
エイルはメリールルの言葉に応えず、独り言をつぶやいている。
「……アデュア兄さん、貴方の遺した道しるべを追って、エイルはここまで来ました。
天使様、見ていて下さい。
私が魔女を殺しますから……」
エイルの服装はあの時と変わらない。
裸足のままドロシーの元へと歩いていく。
「……!
ヘレ……ナ……」
ドロシーの口元が動いた。
光の届かなくなった瞳から一筋の涙が流れ、頬を伝う。
エイルは座したままのドロシーの正面に立った。
そして右手をギュッと握ると、純白の槍を出現させた。
「!? ……ダメだよ!」
メリールルが止めようとする。
「……うるさい」
エイルは見えない力で3人を、そしてバルチェをも吹き飛ばした。
静寂。
「……私は……魔女。
アデュア……ビヤルクを……殺した……。
エイル……私を……殺して……」
弱々しく、振り絞るようにドロシーが呟く。
「お望み通り、殺してあげる。
それが兄さんと天使様の願いだから」
エイルが槍を構え、切っ先をドロシーの胸元に向け狙いを定める。
ドロシーは、苦痛の中にうっすらと笑みを浮かべている。
「さようなら、魔女」
「やめて!! エイル!!」
遠くでメリールルが叫ぶ。
だが、エイルには届かない。
「あり……が……とう……」
音もなく、槍がドロシーの胸を貫いた。
「やったわ……!
兄さん! 天使様!
エイルは使命を果たし、罪を償いました!!
さあ、早く私を連れて行ってください。
天に! 兄さんの元に!!」
壊れたようなエイルの笑い声だけが響いている。
アーサーがようやく倒れ伏すドロシーの元へ辿り着いた。
「ドロシー!? ドロシー!!」
しかし、ドロシーの身体は既に冷たくなっていた。
4人がドロシーの名を呼び続ける。
ドロシーは応えない。
「ご苦労様、ドロシー。
これでキミの仕事は完了だ」
少年が現れドロシーに話しかけた。
カイだ。
「ここからはボクの仕事。
……そこにいるのでしょう?
世界意志」
――上位世界から派遣されし観察者
――こんな場所にまで顔を出すのが お前の仕事か?
「そうですよ。
ボクの仕事は、下位世界のエネルギーサイクルが正常に機能するよう、管理者……つまり貴方達世界意志へ助言することですから」
――…………。
「上位世界の代表として、貴方に助言しますよ。
貴方がデータ収集のための補助装置として製造した『ノア』は、既に貴方の手を離れ世界の安定に悪影響を及ぼす存在となった。
この事態は上位世界も許容しません。
残存する7体も、即刻処分しなさい」
――…………。
――仕方あるまい
――すべてのノアを 破棄しよう
その言葉とともに、白いタイルの上で固まっていた7体の影は、静かに塵となって消えた。
そして、ドロシーの肉体も。
ほどなく狭間の領域も、役目を終え崩壊を始めた。
エイルが入ってきたゲートも既に粉々になり、消えている。
「ありがとう。
聞き分けがよくて助かりますよ。
……さて、ボクは仕事を終わらせないとな」
カイが振り返り、メリールル達の方に向き直った。
「ドロシーからの要望だ。
キミたちを安全に物質世界へ送り届けるよ」
「ねえカイ!
あんた、ドロシーを助けてよ!
生き返らせて!!」
「残念だがそれはできない。
ガージュに吸収された時点で、ドロシーという生命は完全に消滅したんだ。
彼女が戻ってくることはないよ」
泣きながらうずくまるメリールル、アーサー、ジャック、バルチェの4人。
カイは横を向き、今度はエイルに話しかけた。
「エイル、キミはどうする?
元の世界に帰してあげてもいいよ」
「私はこの場所で天使様を待ちます」
「……そう。
じゃあ、好きにするといい」
カイはアーサー達を連れて消えた。
崩壊を続ける狭間の領域には、エイルだけが残された。
「天使様、なぜ来て下さらないの……?
天使様……。
もしかして、ここが天なのですか?
そうなのですね?」
エイルは瞳を閉じた。
「そうに違いないわ。
だって……地上と違ってこんなに静かで、美しい景色なんですもの……」
エイルは崩壊に飲まれ、消えた。





