幕あい Part L-6 何の為に生きているんだ
【西暦2126年11月12日】
どうやってラボの人間を食うか。
食うには、バーチャルでなくリアルで直接会う必要がある。
揺り籠のセキュリティは堅い。
特にラボの揺り籠なら尚更だ。
本人以外が開けることは出来ない。
だからと言って、揺り籠の外で生身のまま会うのも難しい。
……1人いるか。
ヘレナ。
俺にはノット・クローバーの人格と外見がデータとして保存されている。
奴として振る舞うのは造作もない。
「どうしたの?
こんな時間に急に会いたいなんて」
「悪いな。何だか眠れなくて。
もう寝てたか?」
「ううん。
実は私も、眠れなくて。
会いたいって思ってたの」
こんなに簡単とはな。
まず、1人。
「あれから、ノットのこと考えてた。
そして、自分のことも」
…………。
「あの日はああ言ったけど、本当の自分の気持ちはどうなんだろう、って」
…………。
「私ね、ノット。
あなたのことが好き」
何だ、これは?
俺は何をしている?
食えるぞ。こんなにも無防備だ。
何故、できない?
何をしている?
何故、俺はヘレナと肌を重ねている?
使命を忘れているわけではない。
使命以上に価値のあるものなんて無い。
なのに何故?
こんなにも愛しい。
彼女の身体を抱きしめながら、1つになって目を閉じる。
彼女の心臓の鼓動を感じる。
「ずっと喋んないね。どしたの?」
彼女の優しい視線を感じる。
「ふふっ。
結構恥ずかしがり屋なんだ」
「……できない」
「え?」
お前だけは。
「俺には、できない」
気が付くと、逃げるように部屋を飛び出していた。
俺は不良品なのか?
あの時壊れてしまったのか?
そんなことはない筈だ。
数日間ノット・クローバーとして過ごしたことが、俺の思考回路に影響を及ぼしているのか?
……証明しなければ。
8体のノアのうち、俺が最も優れていることを証明しなければ。
そうでなくては、主の元へ戻れない。
翌朝。
上司のパルスマンを呼び出した。
極秘の報告がある。リアルで情報を伝えたい。
そんな言葉でのこのこやってくる、あんたが一番馬鹿だよ。
「一体何かね?
よっぽど重要な報告という訳なんだろうね!?」
「ええ。
実は世界同時失踪の犯人が分かったんですよ。
犯行グループは8人です。
その1人は、ラボのパイオニアでした」
「何だと!?
一体誰かね!」
自然と口角が上がる。
「俺ですよ」
体を流体へと変化させる。
「……ヒイッ!!」
黒い液体は波打ちながらパルスマンを頭から飲み込み、瞬く間に全身を覆い包んだ。
男1人を消化し、データを抽出するのに1分とかからなかった。
ああ、なんて心地いいんだ。
これが使命に従う達成感。
パルスマンを食ったお陰で、ラボの組織構成がよく分かった。
全15の研究部門の他、本部直属の局が総務局、警備局、施設局、福祉局、会計局、人事局、法律局、監査局、対策局の計9つ。
「デミル・パルスマン」として接触できそうな人間は、対策局の局員17名に加え、スクール同期の福祉局局長ジェームズ・ゴードンのみ。
……交友関係の狭さが窺える。
まずは手始めに17人の局員を順に食っていくか。
ああ……知識が拡張されてゆく。
データバンクが少しずつ構築されるのが分かる。
まだ足りない。
次は福祉局局長だ。
他局の人間は、やはり異なる知識をたくさん持っているな。
こいつ……福祉局局長としての権限で、近くのホームタウンにあるノーマル達の揺り籠を全て開けられるぞ。
役に立つデータは少ないだろうが、ないよりはマシだろう。
ホームタウン1棟丸ごと、無人にするか。
食った食った。
50万は食ったかな。
そして、よくわかった。
こいつら、何も持っていないゴミのような存在の集まりだった。
そのくせ自意識だけが膨れあがり、新たな刺激と快楽への渇望、バーチャル世界での承認欲求という虚構にまみれている。
何を目的に生きているんだ? こいつらは。
エネルギーサイクルの担い手としての崇高な使命を帯びて、主に造られた者達じゃないのか?
そういう意味では、最初に食ったラボの職員達だって似たようなもんだ。
……まあいい。
今は考えるより行動が優先だ。
これからどうするか。
やはりデータベースに決定的に不足している文明の知識体系を充実させるには、ラボのパイオニアを食う必要がある。
組織構造を考えれば、S135ラボのトップ、「所長」を食うことができれば、後は芋づる式だ。
ラボの方も異変に気付き始めたな。
隣接するホームタウンの揺り籠が全て抜け殻なんだからな。
局長級と部門主任を招集した対策会議が開かれるようだ。
……いい機会じゃないか。
パルスマンとして参加してやろう。
バーチャル空間の第1会議室。
所長が話し始めた。
「今回集まって貰ったのは他でもない。
C135ホームタウンのノーマル失踪についてだ。
対策局長とも話したが、その原因は不明!
しかも、今朝から福祉局長とも連絡がつかん!
彼も既に失踪した可能性がある」
一同は沈黙している。
「これは最早対策局に一任するレベルの事件ではない!
我がラボの総力を挙げて対処する必要がある。
特に、我々パイオニアとその研究成果、精子・卵子バンクだけは何としても守らねばならん!」
…………。
何の成果も得られない退屈な会議は、所長の独り相撲で終わった。
終了とともに所長に声をかける。
「所長」
「何だねパルスマン?
自分の無能ぶりを謝罪しにでも来たのか?」
「いえ……。
あの席では他の出席者もあり、報告できなかったことがいくつかある訳ですよ」
「何だと!?
何故言わん?
……もしや、獅子身中の虫か」
「ええ、ご想像のとおりですよ。
つきましては、このあとリアルで報告に伺いたい訳です」
「いいだろう!
10分後に私の揺り籠に来たまえ」
どいつもこいつも、同じ手に引っ掛かりやがって。
ふう。
こいつは酷い。
ラボのトップの脳ミソが、今まで食った職員の中で最もノーマルのそれに近いとは。
つくづく救えない奴らだよ。
だが、これで所長権限が手に入った。
生産部門の主任を食うまでもなく、ファームへの立ち入りが可能だ。
所長の贅肉を構成する為に存在する、哀れな生き物達を食いに行くか。
ウシ、ブタ、トリ、ヒツジ……。
それに物言わぬ植物共。
これしか残っていないのか。
クロニクルの記録上では、第3期生命は200万以上の種に分化していたはずだが。
ヒトは生命全体のバランサーではなかったのか?
……戻ろう。
ラボの職員がまだ残っている。
あとは退屈な作業だった。
所長室に局長を呼び出して食い、そこから局員を食う。
本部が空になったら今度は各研究部門だ。
4分の3ほど研究部門を平らげたところで、声が聞こえた。
――我が忠実なるしもべ達よ
――サードのデータバンクが十分な情報量に達した
――これより新たな担い手 フォースの設計に取り掛かる
主の指示だ。
――8号
「……はい」
――お前はアクシデントに見舞われながらも 最も多様で意味のあるデータを提供した
「お褒めにあずかり光栄です」
――フォースを住まわせる場所を選定しなければならない
――良い案はあるか
「それならば、現在私が居ります辺りはどうでしょう?
気候も生命の繁殖に適しております。
座標データを送ります」
――ご苦労
――お前達は現在の作業が終了したならば ネストへと戻れ
さて、仕事も終わりか。
だが、やりかけの仕事は最後までやってから戻ろう。
現在の作業が終了したならば、だからな。
生き残っているラボの職員は、揺り籠を抜け出し一番大きなホールに籠城している。
この状況に至っても、誰も何が起きているのか理解していない。
愚かなものだな。
「俺だ!
本部対策局のノット・クローバーだ!
開けてくれ」
閉ざされたドアのインターホン越しに中にいる奴に話しかける。
「ノット・クローバー?
失踪扱いじゃなかったか……?」
「今まで隠れていたんだ!
大規模なテロ集団に攻撃を受けている!
本部は壊滅した」
「何だと……!?」
ほらな、俺を信用してすぐ開ける。
やっぱり馬鹿な訳だね。
ホールを見渡す。
いるいる。
人数は……ざっと50人。
そして、ヘレナとドナテロも。