大神様は幸せな夢を見る
昔々、何も無かった筈の世界に、一つの意識が生まれた。何故生まれたのかは、その意識にも解らない。兎に角、芽生えたばかりの意識は、途方に暮れていた。常にもやもやと不可思議な感覚があり、どうしてもそれが治まらない。どうしたらいいのか考え続け、突然気付いた。己に判らないなら、他の意識に聞けばいいのではないか。だが、その相手が居ない。そこで、その意識は己の一部を削り、他の意識達を創り出した。
新たな意識達は、最初の意識と一緒に考えてくれた。すると、いつの間にかあの嫌な不可思議な感覚が薄らいでいることに最初の意識は気付いた。もっと意識を増やせば、もっともやもやが無くなるのではないか。そう考えた最初の意識は、新たな意識達と相談し、沢山の意識を創ることにした。
無限ともいえる空間に意識達は命の種を遍く蒔き続け、やがて、永い年月の果てに命の種が芽吹く大地がぽつぽつと現れ始めた。
命の種達には、必ず他の命が必要になるよう設計してあった。己に他の意識達が必要だったように、命達があのもやもやとした嫌な気持ち――寂しさを感じない様に、そう願いながら意識は命の種を蒔いていた。小さい種は大きい種の糧となり、大きい種もやがては小さい種の糧となる。循環しながら、時に支え合いながら、命を繋げていけるように、大地に命が増えて行くようにと、意識は欲望という名の希望を、大地にほんの少しだけ振りまいた。
いつしか最初の意識は「大神様」と呼ばれるようになり、他の意識達と共に、時にはその身を削り、大地を見守り続けた。
永い時を働き続けた大神様は、或る時ふと、己の力が随分と弱くなっているのを感じた。そこで、己から生まれた意識達、大神様の一族に後を託し、少し眠ることにした。次に目が覚めた時には、きっと沢山の意識が溢れているだろうと、わくわくしながら大神様は眠りについた。
大神様一族は、何時か目覚める大神様の為に大地を慈しみ続けた。だが、大地に順調に命が増えて行くにつれ、困ったことが起きるようになった。大地を管理する手が足りなくなってきたのだ。そこで、曾て大地に振りまかれた大神様の力に手伝ってもらう事にした。
大地には、大神様の力が濃く溜まっている場所が所々にあり、そこに大神様の力と大地の溶け合った新たな意識が生まれていた。それらの意識は精霊と呼ばれ、生まれた場所によって力の違いが顕著だった。火から生まれたものは熱を操ることに長け、土から生まれたものは大地を操るというように、大抵のものがそれぞれ特化した能力を持っていた。
同時に、精霊はその性質も様々だった。悪戯なもの、穏やかなもの、怠惰なもの、他者を愛するもの、全てを欲するもの――神に向かない性質のものや、精霊として生きていたいものも居た。そういったものに、大神様一族は決して神になることを強要しなかった。大神様達にとって、精霊達も愛すべき命の一つだったからだ。
神になることを決めた精霊には、一族の力を分け与えた。神の力を与えられた精霊は、より大きな力を揮うことが出来るようになる。時に危険なその力を制御する為に、契約という制度を設けた。
許可なく神の能力を使わない事。
全ての命を平等に扱う事。
大神様一族と契約を交わした精霊達は、新たな神の一員として大地を護ることになった。
次第に神界は組織として形が出来上がってゆき、現在に至っている
神界にある湖畔の柔らかな草の上に、美しい女神が座っていた。長い金髪を緩く束ね、緑色の瞳は水面の光を映して煌めいている。その隣には、大きな黒犬が一匹、金色の瞳を半分閉じ、気持ちよさそうに寝転んでいた。
女神は先程まで音読していた本を閉じ膝に置くと、黒犬に話しかけた。
「ちゃんと話を聞いているの、フウガ?」
「聞いてるぞ」
フウガと呼ばれた黒犬は、耳をピクリと動かし、顔を上げて答えた。
成り行きで神のマイアと契約を交わし、神候補となったばかりのフウガに、女神は神界が出来上がるまでを語って聞かせていたのだが、フウガはそれを子守歌代わりに微睡んでいるとしか思えなかった。
〈大丈夫です、マイア様。俺がきちんと聞いてますから〉
黒犬の胸の辺りから、はきはきとした少年の声が女神に答えた。
少年の名はクウガ。生前は普通の人間だったが、死後、黒犬のフウガと魂が混ざり合い、一人と一匹で一柱の神候補となったフウガの相棒だ。
「クウガ、余りフウガを甘やかしてはいけないわ」
「俺だって、ちゃんと勉強してるぞ。マイアこそ、クウガにばかり甘いんじゃないか? ニンゲン、嫌いなんだろう?」
「確かに人間は嫌いよ。どこまでも欲深くて、果てしなくずうずうしい者ばかりだと思っているわ。私の住んでいた森には、そんな子一匹もいなかったもの。でも、クウガのお陰で、そういった者ばかりではないと学べました。感謝しています。勿論、フウガにもね。
それに、貴方が頑張ってないとは言ってないわ。でも、座学はクウガ任せなんでしょう?」
マイアはあっさり受け流し、フウガも、小さく「まあな」と肯定した。
〈でもマイア様、本当にフウガも頑張っているんですよ。フウガのお蔭で、俺達、自力で入れ代われるようになったんです〉
クウガの声が聞こえたと思うと黒犬の姿が揺らぎ、代わりに十二、三歳位の、浅黒い肌をした精悍そうな顔立ちの少年がマイアの目の前に現れた。
日頃、年齢の割に利発で落ち着いているクウガは、余程親友を自慢したいのか、珍しく青い瞳を輝かせながら得意そうに胸を張った。
「俺は全然感覚が解らないんですけど、フウガが言うには、しっぽの辺りに力を籠めると変身出来るらしいです。旅をしてた時の姿もとれます。それに、とうとう『待て』を覚えました!」
〈生きてた時は『待て』なんて必要なかったからな〉
少年の胸元辺りから、フウガの声が聞こえた。
マイアはため息をついた。
フウガとクウガに神格を与えたことに、マイアは少なからず責任を感じていた。本来なら死者の国へと旅立つ筈だった一匹と一人を、神候補にしてしまった原因は自分にある。いや、自分にもある。いやいや、もっと正確に言えば、自分も巻き込まれたも同然ではあるのだが。
フウガもクウガも、現状をまるで気にしている素振りを見せないが、それがまた、マイアを悩ませている。
神界にやって来たばかりの一匹と一人に神界の様々を教える為、自身の勉強や仕事の合間を縫い足繁く訪れているのだが、どこまで彼等が真剣なのか、マイアは計り兼ねていた。
「貴方達、もうすぐ最初の試験があるのでしょう? 基礎中の基礎を見る為の簡単な試験とはいえ、ちゃんと勉強しないといけないわ。先程の本の内容は、最初の試験に必ず出るのよ。
フウガ、しっかりと頭に入れておいてね」
〈あれ? 何で俺を名指し?〉
「……逆に、何で名指しされたのか解らないのかが、解らないわ。言っておくけど、試験は受かるまで何度でも続くわよ。尤も、落ち続けた神候補の話は聞いたことが無いけれど」
〈じゃあ、何度落ちても平気だな〉
「落ちない様に勉強しろと言っているのよ? 優しく言っている内に勉強しなさいね?
確かに、何度でも試験は受けられるけれど、余りに酷い成績を取り続ければ、前例がないだけで神候補から外されることになるかもしれないわ。試験は段々と難しくなっていくし、今の内からきちんと知識を身に着けておかないと大変よ。
それに、便宜上試験と呼んでいるけれど、本来は神候補から一神前の神になる契約を少しづつ強化していくという事なのよ。試験に落ち続ければ、貴方達は何時まで経っても死者でも神でもない、力を持つことも許されない半端な存在になってしまうわ」
それまで黙って彼等の掛け合いを聞いていたクウガが、疑問を口にした。
「もし、試験に落ち続けて神候補から外されたら、どうなるんですか?」
「以前話した通り、神との契約は解除となり、神格を消されて、本来の行き先であった死者の国に行くことになるでしょう。癒着した魂も剥がして、一人と一匹としてね」
〈それだけなのか?〉
「ええ。神界で過ごした記憶は消されてしまうかもしれないけれど」
マイアはそれ以上口に出さなかったが、もし彼等がマイアと交わした契約を解除することになれば、咎めは彼等ではなくマイアに向かう事になる。例え、彼等が落第し続けたことが理由だとしてもだ。
だが、彼等が死者の国に行くことを望むのなら、そうなっても構わないとマイアは思っている。自分を慕ってくれる彼等の足枷になりたくはなかった。
だが、クウガはマイアの表情で悟ったのだろう。
「フウガ、俺達は良くてもマイア様に迷惑をかける訳にはいかないだろ? 俺達が神様になれなかったら、屹度マイア様の立場が悪くなるよ。酷い罰があるのかもしれないし」
〈例えば?〉
「神籍剥奪のうえ何千年も禁固とか、永久に休暇無しとか、消滅するまでただ働きとか」
「そこまで酷いことにはならないわよ!」
だが、クウガの脅しが効いたのか、フウガは神妙な声で宣言した。
〈そうか。なら、マイアの為に、俺も勉強しよう。それに、今更クウガと離れるのは嫌だからな〉
「うん、俺もだよ、フウガ」
マイアは複雑だった。
互いの為、大切に想うものの為に、この子達はいつも頑張るのだ。互いを分かち難い存在だと思っている一匹と一人を、このまま一緒に居させてあげたかった。彼等が一神前の神と認められれば、その望みは叶えられる。彼等に神格を与えた事は、結果的に良かったのかもしれない、そう思えて来るのだ。
ならば、自分に出来ることは一つ。彼等が一神前の神と認められるまで、しっかりと監督しなければ。
マイアは、決意を新たにした。
「さあ、勉強に戻りましょう。クウガ、何か質問はある?」
「神様には、本来なら精霊だけしかなれないんですか?」
「そんなことないわよ。余り多くは無いけれど、生き物から神になった方達もいるわ。実際、貴方達だって私と契約を交わせたでしょう? 花から神になった方だっていらっしゃるわ。驚く程美しい方よ。
ただ、貴方達の様にまったく種族の違う二つの魂が同居している例は、私も聞いたことが無いけれど……」
〈言われてみれば、この間鷲の頭のカミサマを見かけたな。身体はニンゲンみたいだったけど〉
「伝令係のアドラ様ね。あの方に限らず、人間型を好む方は結構いらっしゃるわ」
〈なぜ?〉
「単純に、便利だからよ。読み書きするのだって、器用に動かせる手があれば楽でしょう」
〈そうか。今度は鳥の姿の時に会いたい。美味そうだろうな〉
「ご本神の前でそれを言ったら、神罰下すわよ」
「俺が責任もってフウガを止めます」
マイアは、何度目かのため息をついた。
「……くれぐれもフウガをお願いね、クウガ。他に質問はある?
無いなら、フウガ、今度は貴方の番よ。本当に私の話をちゃんと聞いていたか、証明してもらうわよ」
〈ああ、任せておけ〉
「最初の契約は、幾つあったでしょう?」
〈二つ。勝手に力を揮わないことと、依怙贔屓はしないこと〉
「正解よ。良かったわ、本当に聞いていたのね。
では、二人に聞くわ。大神様のお話の中で、重要だと思ったのは何処?」
「大神様は、全てを慈しんでくれているということです。だから、神様は依怙贔屓してはいけないんだということが解りました」
マイアは、微笑み頷いた。
「クウガは、良い神になるでしょう。次はフウガの番よ」
〈重要な事か。……多分、『休暇、大事』、これだな。大神様だって、やっぱり、働いたらちゃんと休まないと〉
黙りこくってしまったマイアに代わり、クウガは重々しく頷いた。
「正解」
〈だろ? 狩りだって同じだぞ〉
「流石だね、フウガ」
クウガが得意気なフウガを褒めた。
マイアの意識が遠のいた。
これが依怙贔屓でなくて、何だと言うのだろう。
ああ、大神様。どうか彼等と、それ以上に、私の心の安定をお守り下さい。早くも挫けそうです。
一匹と一人が一神前になる道程は、まだまだ遠そうだった。