第七話 被害者の質問
その日の夜。
私は自分の部屋で教科書を広げて明日の予習をしていた。最近は色々とおかしなことがあったから勉強がおろそかになっている。こういう時こそ、気を引き締めないといけない。
だけど今一つ勉強に集中できないのは、やはり加藤くんのことが気にかかっているからだ。
もう一度確認したい誘惑に負けて、鞄から二つのメモを取り出す。一つは窓崎さんを呼び出したという手紙。もう一つは加藤くんが書いてくれた、彼の連絡先だ。
何度見ても、二つの紙に書いてある文字は、同じ人間が書いたもののように思える。よく見ると、紙に印刷されている罫線なども同じだ。
もし窓崎さんを呼び出したこの手紙が、加藤くんが書いたものだったとしたら、あの時彼女を外階段に呼び出したのは加藤くんということになる。そうなれば自ずと一つの可能性にたどり着く。
加藤岳人こそが、窓崎深窓を突き落とし、その命を奪おうとした『犯人』。
確かに彼は、窓崎さんの名前も知っていた。あれだけ彼女の転落が大騒ぎになれば、部外者でも名前くらいは聞くかもしれないけど、加藤くんが窓崎さんと無関係だとは証明できない。
しかしなぜ? 私は加藤くんと窓崎さんの間に何があったかなんて知らないけども、あの二人が話しているところなんて見たこともない。普通に考えれば、殺そうとする動機なんて生まれようもない。
――『普通に』考えれば。
だけどここで、窓崎深窓が『被害者』であることと、加藤岳人が『犯人』である可能性が入ってくると話は別だ。窓崎さんの言ったことが全て真実だとすれば、『犯人』は相手が『被害者』であるというだけで、殺人に踏み切ってもおかしくない。殺してもその事件が明るみにならない『被害者』は、まさに『犯人』にとっては恰好の獲物なのだ。
事実、窓崎さんの転落が事故として扱われてから既に一週間。警察も来なくなり、学校内では既にこの話は終わったこととして扱われている。教師や生徒も、この話題を出すことはほぼ無くなった。要するに、記憶から消えつつあるということだ。
そのことで、窓崎さんが本当に死んだとしても『事件』として皆の記憶に残ることはないと、『犯人』も確信できたはずだ。つまり『犯人』はまたいつでも『被害者』を殺すことが出来る。
もし、このタイミングで加藤くんが再び動き出したとしたら……本当に彼が……?
いや、そもそも『再び動き出したとしたら』なんて仮定の話では既にないのかもしれない。事実、彼は私に窓崎さんとの関係について質問を投げかけてきた。もしかしたらそれも、窓崎さんを再び狙うための行動なのかもしれない。
だけどここで私は、もう一つの可能性に気づいてしまった。
彼はどうして私に接触して来たのだろう? 同じクラスではあるけど、入学してから今に至るまで、そんなに接点は無かったはずだ。なのにどうして今頃?
だけど私が窓崎さんと同じ『被害者』であることを考えると、その疑問に簡単に答えが出る。
……新しい獲物を見つけたという答えが。
いや、考えすぎかもしれない。もしかしたら本当に加藤くんは私を心配してくれているのかもしれないし、窓崎さんの手紙だって、本当に彼が書いたかどうかわからない。
それに彼が『犯人』なら、私が『被害者』であることも既に見抜いているはず。それなのに私はまだ無事なのだから、彼は無実のはずだ。そのはずなんだ。
いろいろ考えてしまって、結局勉強は手につかなかった。今日はもう寝ようと考え、ベッドに横になる。
こうなったら、明日本人に窓崎さんと関係があるか直接聞いてみようか? いや、そんなことをしたら、彼が本当に『犯人』だったとしたらアウトだ。その場で殺されてもおかしくない。
横になりながら考えを巡らせているうちに、私の意識は夢の中へと入っていった……
私は学校の中庭にいた。いつかの夢のように、ところどころ目の前の景色がぼやけている。あの時のように、また窓崎さんが襲われるのではないかと警戒した。だけどそんな私の予想は、後ろから体を掴んできた誰かの手によって裏切られた。
驚いてとっさに体を回し、触れてきた何者かの顔を見る。そこには……
「……!!」
普段の優しい彼からは想像できないほどに無表情な加藤くんの顔があった。
「ひっ……!」
その顔から危険なものを感じた私はすぐに逃げようとしたが、なぜか上手く走ることが出来ない。そんな私に、加藤くんは無表情のままどんどん迫ってくる。
「誰か! 誰か助けて!」
気づけば私は泣きながら周りに助けを求めていた。このままじゃ殺される。なぜかはわからないけど、それほどに加藤くんは怖かった。
しかし周りにいる生徒や教師は、私の叫びに気づかない。いや、気づいているのかもしれないけど、全く反応をしない。そして加藤くんは私に追いつき、懐からナイフを取り出す。
「や、やめて……お願い、助けて!」
私は泣きながら加藤くんに懇願した。両目から涙を大量に溢れさせ、鼻から鼻水も垂らしていた。だけどそんなことを気にする余裕もなく、必死に命乞いをしていた。
「お願い……なんでもするから! なんでもするから助けて!」
そう言うと私は加藤くんの足下に這いつくばり、彼の靴を舐めた。そうすることに全く抵抗はなく、むしろ当然のことのように思えた。
しかしそれでも加藤くんは表情を動かさない。怯えながら彼の顔を見上げる私を、無表情で見下ろしている。
「え……?」
突然、私の背中に違和感が生じた。そして背中に何かの液体が広がっていく。
「あ……!」
そして加藤くんの手を見ると、そこには血にまみれたナイフが握られていた。そしてその直後……
「あがあああああああっ!!」
何をされたのか悟った私に、猛烈な痛みが襲ってきた。
「ひ、ぎ、いいいいっ!」
泣き叫ぶどころか狂い悶える私を、加藤くんは両手で掴み、仰向けにする。そして馬乗りになると、再びナイフを振り上げた。
「や、やめて! お願い、許して!」
私の懇願を無視し、ナイフは至る所に振り下ろされる。胸に、腹に、手に、足に、その度に私の心に暗い欲望が生まれてくる。
私は決して助からない。どんなに泣き叫んでも、どんなに命乞いをしても、私の叫びが周りに届くことはない。
「ひ、ぐう……あ、はあああああ……」
苦痛とも恍惚とも取れるため息が私の口から吐き出された。殺人事件の『被害者』。人生で一度だけ手に入れられるその立場を、私は今、存分に堪能しているのだ。
みんなは私の死体を見てどう思うのだろう。せめて加藤くんには死体を綺麗に飾ってほしい。彼に蹂躙されたことがわかるように、皆に見えるようにしてほしい。
だけどもう私の意識は保たない。次の一撃でトドメのはずだ。そして私が最期に見たのは……
加藤くんの目に映る、恍惚に歪んだ私の顔だった。
「う……」
体を起こした私は、またも夢の内容を覚えていなかった。以前と同じく、体が寝汗でビッショリと濡れている。
だけどどうしてだろう。今日はなんだか晴れやかな気分だ。まるで欲しいものを苦労してやっと手に入れた後のような、そんな気分。部屋の窓のカーテンを開け、朝日を浴びる。気のせいか、そこから見える景色がいつもより綺麗で鮮やかに見える。昨日までと何も変わらないはずなのに。
理由を考えてみたけど、夢の内容を覚えていないのだからどうしようもない。だけど自分が何をすべきかはいつのまにか整理できていた。
寝汗を流すために、以前と同じようにシャワーを浴びる。体を洗いながら、今日はどうするかをもう一度確認する。
まず、手紙を書いた人物が加藤くんかどうかを本人に聞くのは流石に危険すぎる。『被害者』である私は、いつどこで死の危険が迫っても、誰にも助けを求められないのだ。
そうなると、加藤くんではなく彼と親しい人物に話を聞くのが無難だと考えた。そしてそれにふさわしい人物には、もう目星をつけている。
やることは決まった。そう思って身支度を済ませ、軽い足取りで学校に向かった。
「ちょっといい?」
学校に着いた私は、教室に入るのと同時に目的の人物に声をかけた。その相手は私を見て一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにあからさまな敵意を持った視線をぶつけてくる。
「なんだよ白影サン。今日の俺はアンタの気に障るようなことは何もしてないぜ?」
茶色く長い前髪をヘアピンで留め、両耳にはピアスを付けているその男子は、言うまでもなく私とは相容れないタイプの人間だ。おそらくは向こうも私のことをうっとうしく思っているだろう。
それでも私は彼――北里 功海と話をする必要があった。
「今日はただ単に聞きたいことがあるだけよ。ちょっと廊下に来てくれる?」
「ああ? なんで俺がアンタの言うこと聞かなきゃなんねえの?」
北里くんはいわゆる『素行の悪い生徒』だ。髪を伸ばして茶色く染め、校則違反だというのに両耳にピアスまで開けている。当然のことながら、教師に反抗することも多く、授業をサボることまであった。クラス委員である私とも、何度か衝突している。
それでも彼が『不良』と言われないのは、所詮は彼も進学校を退学にはなりたくないという恐怖心から大それた行動を出来ないからだ。いくら悪ぶっていても、この学校にいるくらいなのだから、そこまで大した悪事をする度胸はないのだろう。だからこのクラスでも、彼はそこまで恐れられてはいない。
しかしそんな彼は意外にも、加藤くんと親しかった。全くタイプは違うように見えるけど、不思議と気が合うのか、一緒にいるところを見ることが多い。
だから彼なら加藤くんの行動を何か知っているのではないかと、話をすることにしたのだ。
「北里くんが私を良く思ってないのは知ってる。だけど今日はどうしても聞きたいことがあるの。お願い」
「へえ、アンタもお願いとか出来るんだねえ。いつも偉そうにしてる白影サンが。わかったよ、行ってやる」
北里くんは面白いものを見たかのように笑いながら私についてくる。とりあえずはなんとかなりそうか……
「それで? 何を聞きてえの?」
壁によりかかりながらポケットに手を入れて私を見る。なんだろう、似合っているとでも思っているのだろうか。
「単刀直入に聞くわ。加藤くんと二年生の窓崎さんって人に何かあるか知らない?」
「はあ?」
何を言ってるのかわからないとでも言いたげに、彼は私を睨みつける。だけど全然怖くない。
「なんでアンタがそんなこと知りたがるの?」
「質問しているのは私。あの二人につながりはあるの?」
「知らねえよ。……ああ、そういえば委員会が一緒みたいなことは聞いたことあるな。そこで知り合ったりしたんじゃねえの? 少なくともお互い顔は知ってるかもな」
「……なるほど」
同じ委員会か。確かにそれなら顔や名前を知っていてもおかしくないか。そうなると、やっぱり加藤くんはあの事件とは無関係なんだろうか。いや、まだ手紙の文字のこともある。どうにかしてそれも聞き出せないだろうか。
「そういや、白影サンよぉ」
「なに?」
見下すように笑う北里くんは、意外なことを言い出した。
「その窓崎って女のことなら、俺は結構詳しかったりするよ?」