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第三話 被害者の特性


「私が、『被害者』……?」


 窓崎さんは尚も微笑みを崩さない。だけどこの人は、「あなた『も』、被害者だ」と言った。その発言の不可解さが、私を困惑させる。


「……意味がわからない。今回の事件で突き落とされたのはあなた一人だし、私は何一つ被害は受けてない。わけのわからない同情をしないでほしいんだけど」

「そういう意味ではありません。まだ私の想像に過ぎませんが、おそらくはあなたも持っているのです」


 窓崎さんは顔を近づけて、私の目をのぞき込む。


「『被害者の特性』……あなたもそれを持っているのです。この私と同じように」


 聞き慣れない言葉で意味の分からないことを言われたけれど、私はそう決めつけられたことがなぜか不愉快だった。


「……なんのことかわからない。『被害者の特性』? なにそれ、私が被害者体質だって言うの?」

「ある意味では、それに近いかもしれません」

「……言っておくけど! 私はやられっぱなしで泣き寝入りするような弱い人間じゃない。そんなウジウジした人たちと一緒にしないでくれる?」

「そうですね……口でご説明するより、実際に体感していただいた方が早いかもしれません」


 そう言うと、窓崎さんは私の手を掴む。


「な、なに?」

「ここでは実証できません。一度教室に戻りましょう」

「……?」


 言われるがままに手を引っ張られて、窓崎さんの教室に戻ることになった。先ほどまではオドオドしていた彼女だったが、急に強引になった気がする。


 まだ昼休みの途中であることもあって、教室では上級生たちが思い思いに喋っていた。一部の人は教室を離れているようだけれど、それでも半分くらいは残っているようだ。


「さて、これだけ人がいればわかりやすいですね」

「……一体、何をしようっていうの?」


「簡単ですよ。白影さん、私の顔を思いっきり叩いてください」


「……は?」


 いきなりわけのわからない頼みをされて、『はいそうですか』と言って人を叩けるほど、私は非常識ではない。だけど目の前の相手は、口をギュッと閉じて、私の行動を待っている。


「どうしました? 遠慮はいりません。思い切り叩いてください」

「何がしたいのかわからない。あなた、頭おかしいんじゃないの?」

「そう思われるのであれば、あなたの疑問にはお答えできません。……申し訳ありませんが、お引き取り願います」

「……!!」


 窓崎さんが再び自信なさげに目を逸らす。その申し訳なさそうな顔が、どうしても私を苛立たせた。


 だから私は――


「……っ!!!」


 衝動的に、窓崎さんの頬を思い切り叩いていた。


 頬を叩かれた窓崎さんは赤くなった部分を押さえて目尻に涙を浮かべていた。

 何が悪い。この女は自分から『叩いてくれ』と言ったのだ。それで叩いて何が悪い。それに出会ったときから、そのオドオドした態度が気にくわなかった。だったら叩かれても仕方がない。

 

 だけど、私に思いきり頬を叩かれたはずの窓崎深窓は、息を荒くしながら喜悦の笑みを浮かべていた。


「……叩かれました。痛い、痛い……だけど……誰も私を助けてはくれない……搾取されるしかない……それが、それが私……」


 嬉しそうな顔をしながらブツブツと何かを呟くその姿が、私をさらに苛立たせる。その顔はなんだ。どうしてそんなに嬉しそうなんだ。どうしてあなただけそんなに楽しそうなんだ。


 私だって、私だって――!


 その先を考えようとした瞬間、やっと私は我に返った。


 ……何をしてるの、私? 初対面の相手を思いきり叩くなんてどうかしている。だけどやってしまったことは取り返しがつかない。

 いくら『叩いてくれ』と言われたからって、他人を叩いていいわけがない。しかもこんなに人がいる教室の中でやってしまったのだ。今更言い訳なんてできるはずもない。

 これから起こるであろう糾弾を覚悟して、私は周りを見た。


「……!?」


 だけどそこには、先ほどと何も変わらず、談笑を続ける上級生たちの姿があった。

 なんで? 私は窓崎さんを思いきり叩いた。無我夢中だったから覚えてはいないけど、かなりの音が響いたはずだ。なのにどうして誰も何も言ってこないの? 気づいていないはずがないのに。


「気づいていないのですよ」


 だけど窓崎さんは、私の心の中の疑問に答えるように言った。


「皆さんは、私が叩かれたことに気づいていません。いいえ、正確には私があなたに叩かれたという『事件』を認識できないのです」

「どういう、こと……?」

「体感していただいたところで、順を追ってご説明しましょう。そうですね、先ほどの場所に戻りましょうか」


 そして私たちは、さっきまで話していた階段の踊り場に戻った。


「さて、少し驚かれたかもしれませんね」

「……少し、ではないけどね」

「これが『被害者の特性』です。『被害者』である私が何かの事件に巻き込まれたとしても、当事者でない人間は、それを認識できないのです」


 先ほどの光景を思い出す。確かにあの教室にいた上級生たちは、誰一人として窓崎さんが叩かれたことに気づいていなかった。普通に考えれば、あり得ない。窓崎さんと彼らが結託して私を騙そうとしている可能性も考えたけれど、それをする理由が思いつかなかった。


「『被害者の特性』を持つ人間は、自分が『被害者』となった事件が周りには認知されません。窃盗、傷害、そして殺人……あらゆる事件で『被害者』となろうとも、それが起こったと認識されないのです」

「だったらどうして私は覚えているの?」

「『犯人』は事件を覚えていられるのです。この場合、私を叩いた張本人である白影さんは事件のことを覚えていられるということですね。尤も、あなたがこのことを他人に言ったところで誰も認識しませんが」

「そんな……都合のいい話があるとは思えない」

「思えなくとも、実際に『被害者』である私が叩かれても、誰も助けには来ませんでした。それは事実ではないですか?」

「……」


 確かにそうだ。だけどまだ納得はできない。


「だけどあなたは言った。『被害者』であるあなたが、あらゆる事件に巻き込まれても、周りの人間にはその事件が認知されないと」

「ええ、言いましたね」

「だけど私は、あなたが何者かに突き落とされた光景を覚えている。それにあなたが転落したという事実は他の人たちも覚えている。これはどう説明するつもりなの?」


 窓崎さんの言うことが事実だとは到底思えない。窓崎さんの転落は、確かに起こった『事件』のはずだ。


「私の転落が認知されているという件ですが、警察も先生方も、こう結論づけたはずです。『窓崎深窓は自分で階段から飛び降りた』と」

「そう。転落事件は確かに起こったことのはず……!」

「ですが、あなた以外の誰も、このことを『事件』とは認識していません。『事故』、もしくは『自殺未遂』として認識しています。私の転落は、私一人で完結しているものだと」

「あ……!」

「要は、『事件』として認識されないのです。『窓崎深窓を突き落とした人間』、すなわち『犯人』にあたる人物はこの件にはいなかった。それが、白影さん以外の全員が下した結論なのです。先ほどと同じように」

「だけど! 私は確かにあなたを突き落とした誰かを見た!」


 半ば駄々をこねる子供のように叫んでしまったが、自分の見たものを否定したくはなかった。


「そう、そこなのです。誰も『事件』を認識しないはずなのに、白影さんだけが『事件』だと認識しているのです」

「それが『被害者の特性』とやらを否定する最大の証拠じゃないの?」

「ですが、例外があります」


 そして窓崎さんは、先ほどの微笑みを浮かべる。


「同じ『被害者』であるならば、『被害者』の事件を認識できるのです」


 『同類』を見つけた時の微笑みを浮かべる。


「なに、それ……?」

「白影さん、おそらくはあなたも『被害者』なのです。思い返して頂きたいのですが、過去にご自分が『被害者』となった『事件』が、周りに全く認識されなかったことはありませんか?」

「そんなこと、あるわけが……!」


 『あるわけがない』と言おうとして、気づいた。気づいてしまった。

 私が『他人はアテにならない』『他人に頼らない』と決意したきっかけの『事件』。誰も私を助けてくれなかった『事件』。


 誰も私の言うことを信じず、誰も私のお守りが隠されたことに気づかず、『犯人』である男子たちに見下された思い出。

 そして勝ち誇った男子たちに見下された私は……


 ……違う! 私は、『被害者』なんかじゃない!


「やはり、心当たりがあるのですね? ご自分が『被害者』である心当たりが」


 だけどそれを否定する言葉が、私の口からは出てこなかった。


「……私が『被害者』であろうと、そうでなかろうと、まだあなたは私の疑問に答えてないじゃない」

「疑問?」

「最初に言ったでしょ? あなたはどうして『犯人』の存在を黙っているの? やられっぱなしでいいはずがないし、このままじゃ今度こそあなたは殺されるかもしれない」

「ああ、そのことですか」


 窓崎さんはまるで大したことではないかのような口振りで話す。


「『被害者』である私が『犯人』の存在を主張したところで、誰もそれを信じませんし、たどり着きません。それは同じ『被害者』であるあなたもご存じのはずです」

「そういう問題じゃないでしょ! このままじゃあなたは誰に何をされても、誰も守ってくれないし、誰も助けてくれない! そんな危ない状況だってことがわかって……」


「それがいいんじゃないですか」


 そして彼女は、私を苛立たせたあの喜悦の表情を浮かべた。


「考えてもみてください。『被害者』はあらゆる事件に巻き込まれても、それが認知されないのです。『犯人』にとって、これほど都合のいい存在はいません」

「だから! それが危ない状況だって……!」

「ですが『被害者』としても、それはメリットではないですか? 『被害者』は『犯人』に『搾取』されるためにいるのです。誰も救いの手を差し伸べず、誰にも守られることがない。『被害者』は大嫌いな自分を思う存分痛めつけられるのですよ」

「何を、言ってるの……?」


 理解できない。何を言っているのかわからない。そうだ、そのはずだ。


 決して、『理解したくない』と思っているわけではない。


 でも、それを理解してしまったら、私は……!


「ああ、どうやらまだ白影さんは自覚がないのですね」


 だけど窓崎さんは突きつける。


「『被害者』である自分が、『搾取』されることに喜びを覚える人間だということを」


 ずっと目を逸らしていた、私の大嫌いな可能性を言い当てる。


「これまで私が出会ってきた『被害者』は、『搾取』されることが大好きな方々でした。むろん、この私も例外ではありません。おそらくはそういう欲望を持つ人間が、この特性を持つのでしょう」

「違う! 私は……そんなのじゃない!」


 頭を振って否定するけど、私は思いだしてしまった。


 私を見下す男子たちの勝ち誇った顔を見て、気分の高揚を覚えたことを。

 

 だけど私はそうでありたくなかった。そう思ってしまった自分が気持ち悪かった。だから強くなりたかった。だから人に頼らず、一人で生きていく決心をした。


「私は強い人間なんだ! やられっぱなしの弱い人間じゃないんだ! 私は一人で生きていける! 人の上に立っていられる!」

「それがあなたの理想なのでしょう。ですが私は、あなたの目を見たとき、その理想とは違う欲望を感じたのです。そう、あなたは私と同じ……」

「うるさい! 私はアンタとは違う!」


 これ以上この女と話していると、頭がおかしくなりそうだった。昼休みの終了のチャイムが鳴ったのをきっかけに、私はもう教室に戻ることにした。


「とにかく、アンタが異常者だってのはわかったわ。もう関わりたくない」

「……本当にそうなのであれば、私もそれで構いません。ですが……」


 背を向ける私に対して、窓崎さんは言った。


「『被害者』仲間として聞きたいことがあれば、いつでも『被害者の会』へと歓迎しますよ」


 そう言った彼女の顔が、私の大嫌いな表情であることは見なくてもわかった。

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