第二話 被害者の追及
「う、ええええん!!」
またみんながわたしの悪口を言った。みんなが『お前が悪い』って言ってきた。
それが悲しくて、悔しくて、怖くて、わたしは泣きながら家に帰ってきた。
「おやおや、どうしたの貴理緒ちゃん」
そんなわたしを、おばあちゃんはやさしく出迎えてくれた。最近は病気とかで布団で寝ていることが多いおばあちゃんだったけど、それでもわたしのことを心配してくれた。
「おばあちゃん……みんながわたしの悪口を言うの……わたしはそんなつもりはなかったのに、よその子を泣かせちゃったの……」
わたしはその日、同じクラスの子たちと鬼ごっこをして遊んでいたけど、鬼であるわたしが逃げている子を勢いよくタッチしたら、その子を転ばせてしまったのだ。
「うっ、だから、みんなが『お前は最低だ』って……謝ったのに、誰も許してくれないの……」
おばあちゃんの前で泣きながら説明すると、おばあちゃんはそんなわたしの頭をやさしくなでてくれた。
「貴理緒ちゃん。わざとやったわけじゃないんでしょう? それにあなたはちゃんと謝ることができた。それを許すかどうかはその子が決めることだけど、あなたがそんなに気にする事じゃないよ」
「で、でも、わたし……もしかしたら本当に悪い子なのかもしれない……みんなもそう言ってるから……わたし……」
その時のわたしは、みんなに『悪いやつだ』と言われて、自分のことが信じられなくなっていた。
「貴理緒ちゃん……」
おばあちゃんはわたしを抱きしめて、やさしい声で言った。
「覚えておいて。おばあちゃんは……」
だけど今の私は、おばあちゃんが言った大事な言葉をどうしても思い出すことができなくなっていた。
窓崎さんが階段から転落した事件から一週間後。
一時は警察が毎日のように現場である外階段を調べ、教師や生徒たちにも聞き込みを行なっていたが、他ならぬ窓崎さん本人が『自分から落ちた』と証言していること、私以外にあの人影を見た人間が一人もいないこと、そして現場から逃げ出せる状況でもなかったということから、表向きには『事故』として扱われることとなった(窓崎さん本人の証言は、当然のことながら他の生徒たちには伏せられているようだった)。
しかし私は未だ納得はしていない。この学校に人を突き落とすような危険人物がいるかもしれないという可能性がある以上、安心なんてできるはずがない。他人がアテにならないのであれば、自分で身を守る必要があるのは当然のことだ。
確かに私の見間違いなのかもしれない。あの人影を見たのは一瞬のことだったし、他にそれを見た人がいない上に、当事者である窓崎さん自身がそれを否定しているのであれば、警察が私のことを信じないのは妥当だとは思う。
だけど私は引っかかっていた。事故にせよ、自殺にせよ、今回の件には不自然な点が多すぎる。階段の手すりはある程度の高さがあったし、自分で死を選んだにしても、わざわざプレハブの小屋の上に落ちる必要なんてない。
だから私は……窓崎深窓本人に話を聞く必要があった。そう、彼女が何を隠しているのか。何のつもりで、ウソをついているのか。
彼女は幸いにも軽傷で済んだらしく、事件の翌日には退院し、自宅療養していたらしい。そして一週間が経った今日。学校に復帰したと教師から聞き出した(窓崎さんのことを心配していたと言ったら、簡単に話してくれた)。
昼休み。私は昼食を食べた後、すぐに二年生の教室がある校舎に向かった。上級生たちが私を見て不思議そうな顔をしているが、そんなのに構ってはいられなかった。
窓崎さんのクラスは生徒手帳に書いてあった。教室の前にたどり着くと、迷いなく扉を開ける。
見慣れない顔が入ってきたことで教室内にいた人たちがざわめいていたが、私は構わず目的の人物を捜す。
――いた。窓際の席で誰とも話さずに、一人でスマートフォンを操作している女子。茶色く長い髪と、大きな垂れ目が特徴的な大人しそうな印象の先輩。
間違いない。彼女があの時転落した、窓崎深窓だ。
それを確認すると、急激に怒りが湧いてきた。その理由はわかっている。もし彼女が誰かに突き落とされたにも関わらず、やられっぱなしでそのことを隠しているとしたら、それは私が最も嫌う生き方だからだ。
一直線に目的の人物へと向かう私を、誰も止めることはなかった。それほどまでに、私が怒りを表面に出していたのかもしれない。
目の前に立っても、窓崎さんはまだ私に気づかない。だから声をかけることにした。
「窓崎深窓さんですね?」
声をかけられて、ようやく窓崎さんは私を見た。綺麗な顔をしているけど、どこか自信がなさそうに怯えた表情をしている。そのことが妙に腹立たしかった。
「え? は、はい。ええと……」
「私は一年の白影と申します。あなたに聞きたいことがあってきました」
「聞きたいこと、ですか?」
まるで心当たりがないかのように首を傾げるその姿に、私はますます苛立った。何だろう、この気持ちは。とにかくここで問い詰めるのも面倒なことになりそうなので、私は窓崎さんに言った。
「ここでは話せません。とりあえず一緒に来てくれますか?」
「は、はい、わかりました……」
窓崎さんは怯えたように頷いて、私のあとに着いてきた。
私たちは教室から離れ、屋上に続く階段の踊り場に来ていた。ここなら話を聞かれる可能性も少ないだろう。
「ええと……どういったご用件なのでしょうか……?」
窓崎さんは尚も怯えたように目を泳がせる。良く言えば『奥ゆかしい』とか『いじらしい』といった表現になるのだろうけど、私からすれば『オドオドした情けない人』としか思えない。女である私から見ても、美人と言える顔立ちをしているのに、もったいないと思う。
「単刀直入に言います。窓崎さん、あなたはどういうつもりなんですか?」
「どういうつもり……とおっしゃいますと?」
「一週間前、あなたは階段から転落しました。私はそれを発見して、救急車を呼びました」
「ああ、あなたが呼んでくださったのですね? ありがとうございます……」
丁寧にお辞儀をしてきたけど、私の目的は感謝されることではない。
「本題はそこではありません。窓崎さん、あなたはウソをついてませんか?」
「ウソ、ですか?」
「私は見たんです。あなたが転落した外階段に、誰かがいたのを」
「……!!」
私の言葉に、窓崎さんは目を丸くして右手を口元に当てた。この反応……『心当たりがない』人間のものじゃない。
確信した。窓崎深窓は誰かに突き落とされ、しかもそのことを被害者である彼女自身が隠している。その理由はわからないけど、どうしてもそれが許せなかった。
「どういうつもりなの? あなたの転落には間違いなく、他の誰かが関わっている。あなたもそれに気づいているんでしょ?」
「……」
感情が高ぶって丁寧語も使わなくなってしまったが、この際構うものか。この事件にどういう背景があるかはわからないけど、突き落とされたのに黙っているなんて、私はどうしても許せない。
別に正義の味方を気取っているわけじゃない。自分が被害を受けたのに、何もせずに泣き寝入りをするその姿勢が許せないんだ。
「どうしてウソをついたの? あなたのそのウソで、犯人は野放しになっている。それで他の生徒が危険に晒されるかもしれない。そうじゃないの?」
「……」
窓崎さんは迷っているかのように目を逸らすが、私は逃がさない。
「黙ってないで、なんとか言ってよ!」
彼女の両肩を掴み、問い詰めた時、ようやく窓崎さんは口を開いた。
「……私が、突き落とされたのを、『認識』できたのですね?」
「あなた、やっぱり……!」
「どうやら……」
そして窓崎さんは――
「あなたも、『被害者』のようですね」
まるで同類を見るかのように、優しい微笑みを浮かべた。