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第二十五話 被害者の絶望


「おい白影、授業が始まるぞ」

「すみません、お手洗いに行ってきます!」


 急いで昇降口に向かう私たちを男性教師が注意した。けれど適当なウソをついて、教室とは逆の方向へ走る私たちを、彼はそれ以上は咎めなかった。こういう時に、優等生という立場は便利だ。

 だけど私に安心している暇なんてなかった。急いで池田自然公園に向かわないと、窓崎さんの命が危ない。鈴木みどりは特に時間の指定はしてこなかったが、だからと言って授業が終わるまで待っていられるような状況ではないことは確かだった。

 学校から出て、池田自然公園に向かうためにタクシーに乗り込む。運転手は不審な顔をしたけれども、私たちの焦った様子を見たからか、詮索はしてこなかった。


「白影サン! あの公園は割と広いぞ! 三人で手分けして窓崎を探した方がいいんじゃねえのか!?」

「それはダメ! もし鈴木みどりが北里くんか加藤くんの姿を見つけたら、その瞬間に窓崎さんが何かされるかもしれない!」

「なら俺たちは公園より手前で降りた方がいいな。白影さん、君の携帯電話を北里の携帯電話に繋げておいてくれ。それで状況を判断する」

「わかった!」


 私は携帯電話を北里くんの電話と通話状態にして、彼らには公園の近くのコンビニでタクシーを降りてもらった。


「すみません、行ってください!」


 再びタクシーを走らせてもらうと、今度は公園の正門前で止めてもらう。お金を払ってタクシーを降りると、私の前に森林に囲まれた大きな池があった。

 池田自然公園。今から数十年前に開業した市民公園で、春になるとサクラなどが咲き誇ることから花見の名所にもなっていたが、最近は公園の整備が整っていないことと、ゴミを捨てる市民が増えていったことで徐々に寂れていっていた。最大の特徴である大きな池の中心には屋根のある休憩所があり、池のほとりから橋で繋がっている。しかし休憩所に行くための橋は一本しかなく、その不便さも客足が遠のいた理由かもしれない。


 そしてその休憩所に、鈴木みどりと、窓崎深窓の姿を見た。


「窓崎さん!」


 その名前を、力一杯叫ぶ。ようやく会えたという喜びと、通話状態で繋がっている北里くんたちに彼女の無事を知らせるためだった。

 二人の姿を見た私は、休憩所まで急いで走って行った。池のほとりから橋を渡り、二人の元へ走って行く。


「おうおう、来たか白影。だけどそこで止まってくれるかー?」


 しかし、その子供をなだめるようで、どこか神経を逆なでするような声が、私の足を止めた。

 その男は、窓崎さんの背後に立つその男は――鈴木みどりはあくまで自分のスタンスを崩さなかった。


「鈴木……みどり!!」

「先生を呼び捨てにするのは感心しないなあ。まあいいや、とりあえず白影はそこに立っててくれなー?」


 そう言われたら、窓崎さんの身を案じている私には何もできない。とにかく相手の出方を見よう。

 窓崎さんは無表情で私の顔を見ている。いつもの弱々しい表情とは違う、全く感情が感じられない表情だ。もしかしたらもう、鈴木みどりに何かをされているのかもしれない。


「さてと白影、窓崎がお前に言いたいことがあるらしいんだよ。なあ窓崎?」

「言いたいこと……?」

「そう、そのために先生はわざわざお前に来て貰ったんだ。さて、始めようか窓崎?」


 鈴木みどりが笑いながら窓崎さんに言葉をかけると、彼女はスイッチが入ったかのようにゆっくりと口を開いた。


「白影さん……」

「は、はい」


 彼女は元々、声が小さい方ではあったけれども、ここまでか細いものだっただろうか。そう感じるほどに、今の彼女は普段の窓崎深窓よりも弱々しかった。


「私はもう、限界です」


 そしてその言葉も、彼女の精神状態を表していた。


「限界って……何が?」

「私の価値の無さを実感しながら生きることです。私は生きていていい人間ではなかった。誰にも必要とされてなかった。だから私は疲れたのです。だから……」


 窓崎さんは尚も感情を出さない。


「私はこの場で、自らの命を絶ちます」


 だけどその言葉は、彼女の絶望を表すには充分だった。


「そんな……! なんでそんなバカなことを言い出すの!?」

「バカなことですか? 私は『犯人』にも必要とされていなかったのに?」

「……!!」


 その言葉で思い出す、一週間以上前の出来事を。私が、私たちが加藤くんに『殺されなかった』、あの出来事を。


「白影さん、あなたは私から『犯人』に殺される機会を奪いました。私は『犯人』に殺されることすらできなかった。誰も、私のことなど必要としていないのです」

「何を言ってるの! 私は、あなたのことを助けるためにここに来ているの! あなたが誰にも必要とされていないなんてことはない!」

「ならお聞きしましょう。あなたは加藤さんに殺されなかったことで、『被害者』としての欲望が弱まっている。違いますか?」

「!! そ、それは……」


 なぜ窓崎さんがそのことを知っているのだろうか。いや、そもそも『被害者』についての知識は向こうの方が遙かに上なのだ。何かを知っていてもおかしくはない。


「あなたは加藤さんに好意をお持ちなのでしょう。そして加藤さんもあなたに好意を持っていた。あなたは加藤さんに必要とされたことで、自らに価値を見い出すことができた。だから『被害者』の欲望が弱まったのです」

「必要と、されたから……?」

「そうです。そして一方の私は、誰からも必要とされず、誰からも求められず、何の価値もない。それが私です。あなたはそんな状態の私に自分を好きになってくれと言いましたね? それがどんなに残酷なことかわかりますか?」

「……」


 窓崎さんの言っていることはわかる。彼女がどんな人生を歩んできたかはわからないけど、自ら他人と距離を取ってきた私よりもずっと辛い思いをしてきたのだろう。

 だけど、それでも私は――!!


「残酷……ね、確かにそうかもしれない」

「……」

「だけど、私は知っている。窓崎深窓、あなたを大切だと思っている人間が存在することを。そして今のあなたは、その人間の思いを踏みにじろうとしていることを。その人のためにも、あなたを死なせるわけにはいかない」

「私を大切だと思っている人なんていませんよ。家族でさえ、私を必要とはしていませんでした。そんな私を、誰が大切にすると?」

「それに気づかないのであれば、残酷なのはあなたの方よ」


「おいおい、そこまでにしてやれよ白影ー?」


 窓崎さんの後ろに立つ、鈴木みどりは私をなだめるように言う。


「先生はなー、生徒の思いは出来るだけ尊重したいんだよなー。死にたいって言ってるヤツを無理矢理生かすのはキツいよなあ?」

「……!! あなたが、窓崎さんを追い詰めたんでしょう!? 彼女が自分の死を望むように……!」

「先生は何もしていないよ。しようとも思わない」

「白影さん、鈴木先生は本当に私に何かをしたわけではありません。これは全て、私の意志です」

「違う! あなたは鈴木みどりにだまされている! そいつはあなたのことなんて何も知らない!」


 私は知っている。方法は間違っていたかもしれないけれど、窓崎さんは私の『欲望』を見抜き、自分に素直になるように言ってくれたこと。そうした他人への気遣いができる人だということ。誰にも頼れなかった私を結果的に救ってくれたこと。だから私はあなたを助けたい。それなのに……!


「私は自分のことを好きになれた! あなたはまだ、自分を好きになれていない! 諦めるのはまだ早すぎる! 私は私を助けてくれた、あなたのことを必要としている! だからここまで助けに来たの!」

「私が今更それを信じられると思いますか? 今まで誰にも必要とされなかった私が?」

「……鈴木みどり! あなたはどうしてこんなことをするの!? どうしてここまでして、窓崎さんを追い詰めるの!?」

「んー? 追い詰めているつもりはないんだけどな。ただ特に理由はないよ。先生はな、別に何も必要としていないんだよ。だから別にお前らがどうなろうと興味はないし、先生自身がどうなろうとも別にいいんだよね。ただ思いついちゃったからさ、とりあえずやってみたくなったんだよ。それでいいか?」

「……!!」


 本当に私たちに興味がなさそうな顔で、自分の動機を説明する鈴木みどりを見て思う。

 こいつは……この人は、まさか……


「……鈴木先生がどういうつもりであろうと、白影さん、あなたに私を止める権利はありません。私はもう、生きていることに疲れたのです」

「窓崎さん! 考え直して! 私は、私たちは……!」

「もうあなたの言葉は聞き飽きました!」

「っ!!」

「私が欲しいのは、私を殺してくださる『犯人』です。あなたの上辺だけの言葉ではありません」

「……」


 そして窓崎さんは、いつもの不安げな表情に戻った。そうだ、私は彼女のこの顔が大嫌いだった。人に頼れない私に似ていて、私が大嫌いな受け身の生き方に似ていて、そして……


 彼女を大切に思う人間の気持ちを踏みにじる、その顔が大嫌いだった。


「上辺だけの言葉、ね……だったらさ」

「はい?」

「行動で示す人間がいたら、信じてくれる?」

「は?」


 だけど窓崎さんが私の言葉を理解する前に……


「おお?」


 この場にいないはずの、一人の男が、鈴木みどりを取り押さえていた。

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