第二十四話 被害者の説教
鈴木みどりと名乗る中学校教師と出会った翌日。私たちはいつも通り学校に登校し、表向きはいつも通りの日常を過ごしているように見えた。
「おはよう……」
「おはよう、白影さん」
「……」
互いに挨拶を交わす私たちだったけれども、その顔はどこか気分が沈んでいる人間のそれだった。北里くんに至っては、教室に着いた直後から一言も言葉を発していない。無理もないだろう。窓崎さんの危機的状況を考えれば、彼が一番、落ち着いていられないだろうから。
そう、私たちは既にこれまで通りの日常を送るのが不可能なほど、知りすぎてしまっている。窓崎さんの命が危ないこと。そして私たちの前に現れた、「鈴木みどり」という明確な悪人のこと。
私たちが学校に来たのも、ただ単に「集まりやすい場所」というだけの話で、窓崎さんと鈴木みどりについて話し合うためにここに集まっていると言っても過言ではない。
窓崎さんが『被害者』である以上、警察にも相談できない。それはこれまでの事件で体感している。窓崎さんを救うには、私たちが動かなければならないのだ。
そこまで考えて、私は加藤くんと北里くんを見る。二人も互いに顔を合わせて何かを話そうとしていた。
「白影さん」
そしてついに、加藤くんが口を開いた。言いたいことはわかっている。
「窓崎さんのこと、助けるんだろ?」
「……当たり前。このままでいいはずがないし、私たちしか彼女を助けられない」
だけど下手には動けない。窓崎さんが鈴木みどりの手中にある以上、彼女の命はいつ奪われてもおかしくはないのだ。私たちが下手に動いて、鈴木みどりが窓崎さんを殺す可能性は充分にある。
「加藤くん、何かいい手はあるかな?」
漠然としすぎた質問ではあったけど、加藤くんはそれに答えた。
「そのことなんだけどさ、俺はまず、あの鈴木みどりという男について知る必要があると思う」
「知る必要?」
「昨日、あの男と話してみて感じたことがあるんだけどさ」
そう言いながら、加藤くんは気まずそうに目を逸らし、小声で話し始めた。
「俺は……この前、窓崎さんと白影さん、それに桁枝さんを殺そうとした。それは本当に許されないことだと思う」
「うん……だけどそれが、鈴木みどりとどう関係が?」
「俺はさ、その……人を殺そうとした時、その相手に対して執着心みたいなものがあったんだ。誰でもいいわけじゃなくて、『その相手だから殺したい』みたいな……気持ち悪いだろうけどさ」
「……」
それはわかるような気がする。私もあの時、他ならぬ加藤くんに『搾取されたい』と感じていたのだから。
「だけど鈴木みどりは違う。一見、あいつは自分の欲望のままに生きているように見えるけど、そうじゃないと思う。言ってしまえば、あいつは俺とは『真逆』の存在なのかもしれない」
「真逆?」
「そう。鈴木みどりには、執着というか、こだわりみたいなものが少ないんだと思う。窓崎さんを攫ったのも、本当に『思いついたから』やったに過ぎないのかもしれない。だから俺たちには、あいつの目的がわからない。だからあいつの行動も読めない」
「そんな……そんな気まぐれで窓崎さんを危ない目に遭わせているっていうの?」
だけど確かに加藤くんの言う通り、鈴木みどりの目的がどこにあるのか全くわからない。昨日の会話でも、あいつは本当に窓崎さんのことも、自分のこともどうでもよさそうだった。そんな相手から、どうやって窓崎さんを取り戻せばいいのだろう。
「ちょっといいか?」
その時、今まで黙っていた北里くんが口を開いた。よく見ると、目の下に微かにクマが浮かんでいる。あまり眠れなかったのだろうか。
「俺は……窓崎が通っていた中学に行って、鈴木みどりについて調べようと思う。運が良ければ、あいつの自宅もわかるかもしれない」
「確かに……手がかりはそこくらいしかないか。でも、自宅なんて教えてくれないだろ?」
「関係ねえよ。職員室に忍び込んででも、俺はあいつの自宅を突き止める」
「おい北里、お前何を……!?」
「加藤、それに白影サン。この際だから言っておくぞ」
そう前置きした北里くんは、これまでにないほどに鋭い目つきで私たちを見た。
「俺は……鈴木みどりを殺してでも、窓崎を取り戻すつもりでいる」
「……!?」
私はその言葉に衝撃を受けるしかなかったが、横にいた加藤くんは即座に動いていた。
「北里!」
怒りの表情で北里くんに掴みかかる加藤くんだったが、北里くんはそれも意に介していなかった。
「お前……! お前がそれを言うな! お前が俺を止めたんだろう! お前が俺を殺人犯にしないように動いていたんだろう!」
「ああ、そうだ」
「なら何で、そのお前がそんなことを言う!? どうして俺を助けてくれたお前が……!」
「窓崎を助けるためだ。鈴木みどりが遊び半分で窓崎を殺そうとするのなら、俺も相応の報いを受けさせる」
「……!!」
そうだ、北里くんはやはり窓崎さんのことを大切に思っている。それこそ、人を殺すことを決断するほどに。
「俺は、鈴木みどりが許せねえ。あいつは窓崎を遊び半分で苦しめて、今度は自分の楽しみのために利用しようとしている。それなのに、自分自身は何のリスクも負ってねえ。言い換えれば、あいつは戦いの場に上がってねえ」
「……」
「あいつは窓崎を殺そうとしているのに、どうして俺たちが遠慮しなければならない? 加藤、お前は鈴木みどりには執着心がないって言ったよな? それも合っているかもしれない。だけど俺の見解は違う」
北里くんは、右手を握りしめる。
「あいつは、鈴木みどりは、世の中を舐めてる」
そんな人間が、自分の大切な人を気まぐれで傷つけた。それで黙っていられるわけはないだろう。
「俺はどんな手を使ってでも、窓崎を取り戻す。そして俺は……今度こそ窓崎を救う。以前の俺は、あいつに生きる希望を与えられなかった。だけど俺は、今度こそ……!」
「北里くん」
彼が窓崎さんを助けたいという気持ちは充分に伝わった。だからこそ私は――
「ぐうっ!?」
頭に血が上った馬鹿野郎の腹を思い切りどついてやった。
「し、白影サン!? 何すんだよ!」
「『何すんだよ』じゃないよ。アンタそんなんで窓崎さんとヨリを戻せると思ってるの?」
「ヨ、ヨリって、俺は別に……」
北里くんは恥ずかしそうに目を逸らすけども、私はそれがすごく腹が立った。
「アンタは加藤くんと私を止めてくれた。だから今、私がアンタを止める。窓崎さんに希望を与えて、もう一度付き合いたいなら、鈴木みどりを殺すなんて二度と言わないことね」
「だ、だけどよ! あいつがいる以上、窓崎は……!」
「そこが勘違いなのよ。窓崎さんに必要なのは、鈴木みどりを排除することじゃない。鈴木みどりを乗り越えること。北里くんがアイツを殺したら、それは永遠に出来なくなる。当然、窓崎さんは過去に縛られて、自分の死を望むままでしょうね」
「……!!」
そう言いながら私は、後ろにいる加藤くんを一瞬だけ見る。彼も私の言葉に思うところがあるはずだ。もちろん、他ならぬ私自身も。
「もしかしたら、これはチャンスなのかもしれない。窓崎さんが鈴木みどりを乗り越えられれば、私たちは平和な日常を送れる。今度は窓崎さんとも一緒に。そうじゃない?」
「……確かにな」
北里くんはお腹をさすりながら、私に向き直る。その目がほんの少し、さっきより明るくなっている気がした。
「……悪かったな、白影サン。アンタに言われるまで気づかなかった」
「それはお互い様だよ。私は北里くんに救われているからね」
「だけど実際の話、鈴木みどりからどうやって窓崎を取り戻す? それこそ、ヤツの住所を割り出さない限り、何の手がかりもないぞ?」
「それは……」
そうだ、当面の問題はまだ何ひとつ解決していない。窓崎さんの居場所がわからないと、こちらからは手出ししようがないんだ。
だけどその時、電子音が響いた。
「ん、おい! 窓崎からまた着信だ!」
北里くんが携帯電話を取り出し、通話を始める。電話の向こうの声に少し顔をしかめたかと思うと、私に携帯電話を差し出してきた。
「……鈴木みどりだ」
無言で携帯電話を受け取る。向こうがどんなつもりか知らないが、これはチャンスだ。
「……もしもし、白影です」
『おー、白影かー。ちゃんと生きていてよかったよかった。先生は嬉しいぞー?』
「私はあなたの教え子になったつもりはありません。用件はなんですか?」
『冷たいなあ。まあいいや。お前さ、ピクニックは好きか?』
「は?」
わけのわからない質問に困惑するが、そもそもこの男の発言にまともに取り合うのが間違いな気もしてきた。
『いやな、先生は今、池田自然公園にいるんだけどな。よかったら白影も一緒にピクニックを楽しまないかなって思ってさ』
池田自然公園。
確かうちの高校から十五分くらい歩いたところにある大きな池が特徴の自然公園だ。今ではすっかり行く人もいない、さびれた公園らしいけど。
「……あなたのような危険人物と、そんな場所で会えって言うんですか?」
『んー? 別に来なくてもいいぞー? 来なかったら、先生の大事な教え子と池で遊んでるからなー?』
「……!!」
まさか、窓崎さんもそこにいると言うのだろうか。そうだとしたら、行かないわけにもいかない。
「わかりました。池田自然公園に行けば良いんですね?」
『そうそう。物わかりのいい生徒は好きだぞー? あー、あとなるべくお友達は連れてこないようになー? 先生、不良とはあまり関わりたくないから。それじゃあなー』
そこで電話は切れた。
「白影サン、あいつは何て?」
「……池田自然公園に、一人で来いって」
「……!! そんなの、危険すぎる!」
加藤くんが憤慨するが、もし皆で行ったら窓崎さんがどうなるかわからない。
「加藤くん、北里くん。どちらにしろ、私たちには行かないという選択肢はない。窓崎さんが死ぬ可能性がある以上、行かないわけにもいかない」
「それはわかってる。だけど俺たちも行くぞ?」
「うん、どちらにしろ頼むつもりだったよ。だけど見つからないように隠れてね」
「そうするしかないな。それと白影サンは学校をサボるのはいいのか?」
「この期に及んでそんなことは言ってられないでしょ!」
以前の私だったら、学校をサボるなんて考えられなかった。だけど今の私には、頼れる人がいるし、助けたい人がいる。それは加藤くんたちも同じのはず。
だから私たちは、窓崎深窓を助けに行く。そこに『被害者』も『犯人』も関係なかった。




