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第二十一話 被害者の目的


 私はどうしてこうなってしまったのだろう。どうしてこうなってしまうまで、何も出来なかったのだろう。


 灰岡先生に言われた言葉。『あなたは誰にも求められていない』という言葉。確かにそれは動かしようのない事実だった。

 クラスメイトも、先生たちも、そしてお母様も、誰も私を必要としていない。誰も私のことを見ていない。そのことはとっくにわかっていたはずなのに、言葉にして突きつけられると、こうも苦しいとは思わなかった。


 気がつくと自宅の前に着いていたが、トボトボと下を向きながら帰宅した私を、誰も出迎えることはない。お母様も、お兄様も、誰も私に気づいていない。

 リビングに入ると、お母様がパソコンに向かってお仕事の書類をまとめている様子が見えたけど、私に何か声をかけることは無かった。 どうしよう、このまま私は一人で孤独に死んでしまうのだろうか。灰岡先生の言う通り、『犯人』だけが私を必要としてくれるのだろうか。

 私はまだ希望を捨てたくはない。だから私はお母様に何か一言声をかけてもらいたかった。私は心からそう思っていた。


 椅子に座ってパソコンに文字を打ち込み続けているお母様に近づく。


「……」


 声が出ない。お母様は尚も私を見ようとはしない。お母様と話すには、私から声を発しなければならない。私からお母様に声をかけなければいけない。

 それがどんなに高いハードルか、他人にはわからないだろう。普通に考えれば、娘が母親に対して声をかける。なんてことない普通の光景だ。だけど私にとっては、お母様に軽蔑される恐怖との戦いだ。それを乗り越えないと、私は普通の日常には戻れない。


 覚悟は決めた。あとは行動に移すだけだ。


「あの……!」


 言った。やっと言えた。私からお母様に声をかけるなんて何時ぶりだろう。だけどこれでお母様は私を見てくれる。一言でいい。『何か用なの?』、そんな言葉でいいんだ。


「……深窓さん」


 そしてお母様は私の方を向いてくれた。ここからだ。ここから何か会話をするんだ。何でもいい。何か一言の会話でいい。私は日常に戻るんだ。



「あなた、そんなに私が嫌いなの?」



 だけどお母様から出た言葉は、私を容赦なく突き放した。


「さっきから黙ったまま、私を睨み付けて。嫌いなら嫌いでいいけど、そんなことも言葉に出来ないようなら、私の前に立たないでくれる? はっきり言って、不愉快だわ」

「……!!」


 そんな、私は、黙ってなんかいない。確かに声を発したはずなんだ。そう、私はお母様と何かお話をするために……


「……」


 だけど私の口からは、お母様に対する反論も弁解の言葉も出なかった。頭の中では何度も言葉にしているのに、声では発していなかった。

 そうだ、私は最初から、お母様に何も言っていなかったんだ。


「全く、あなたは本当にだんまりばっかりね。口がきけないなら、声帯切り取ってもらおうかしら」

「……」


 ……もし。

 もし、私がこの時、お母様に何か言えていたら、何か変わっていただろうか。誰かに必要とされていたという実感が得られていただろうか。


 そんな未来は、絶対にない。だっておそらく、お母様の言う通り、私はお母様のことが嫌いなのだ。私を必要としない、お母様を恨んでいるのだ。


 だから私には、『犯人』に身を捧げるしか道はなかった。



 その翌日。

 私はなんのために生きているのか、そもそも生きていると言えるのかわからないまま、学校に向かっていた。私が学校に向かうのは、ただ単に『そういうもの』だからだ。特に意味も感じず、特にこだわりもなく、『学校に行く』というプログラムをインプットされたロボットと変わりは無い気がした。

 校門の前では、制服を着た生徒たちが先生に向かって挨拶をしていた。そしてこの日、校門にいたのは……


「鈴木先生、おはようございます」

「おーう、みんなおはよう」


 私にこの道を暗示させた張本人。鈴木みどりだった。


「ん。おう窓崎、おはよう」

「おはようございます……」


 この日は学校に来るまで、全く感情を動かすことのなかった私だったが、この人を見るとやはり恐怖を隠しきれない。それほどまでに、この人は私にとって異質な存在なのだ。


「んー? 窓崎ぃ、ちょっといいかー?」

「は、はい……」


 鈴木先生は私を呼び止め、手招きをする。特に校則に違反している心当たりはないし、この人がそんなことで私を呼び止めるとは思えない。内心の恐怖を隠しながら、私は鈴木先生のそばに寄った。


「どうされました?」

「あー、先生なー、窓崎が模範的な生徒でちょっと嬉しくてなー。思わず声をかけたんだよ」

「模範的……ですか?」

「ああ、そうだよ」


 そして鈴木先生は、私に顔を寄せ、小さな声で言う。


「模範的な、『負け犬』の顔だ」

「……!!」


 その言葉に、怯えを隠しきれない。この人の前では、何でも見透かされているような気さえする。


「うんうん、その顔だよ。自分が危険な目に遭っているのに、抵抗することも誰かが助けてくれることも諦めて、ただただ怖がることしか出来ない。自分からは何もしない、『負け犬』としか言えないよなお前は。そんな窓崎が、先生は大好きだぞー?」

「……」


 ここまで言われているのに、私は何も言い返せなかった。全て事実だということもあるし、鈴木先生が私を容赦なく責め立てることそのものが、あまり悪い気がしなかったのだ。

 だけど、私はそれでも鈴木先生が怖かった。優しい口調で私を詰るその行動も怖かったし、先生の真意がどこにあるのかも全くわからなかった。この人は何がしたいのだろう。私を混乱させて、楽しみたいだけなのだろうか。


「鈴木先生、どうされたのですか?」


 その時、私と鈴木先生の間に割って入った人物がいた。いつも通りのスーツ姿で少し不機嫌な顔で私を睨み付けているのは、私を追い詰めたもう一人の人物、灰岡純麗だった。


「ああ、灰岡先生。窓崎が礼儀正しく挨拶してくれたんでね。褒めていたんですよ。なあ窓崎?」

「は、はい……」

「……それならいいのですが、他にも生徒はいるのですから、彼らに対する指導もちゃんとしてくださらないと困りますよ」

「はは、灰岡先生は手厳しいなあ。それとも……」


 鈴木先生は灰岡先生に向き直り、歪んだ笑顔を浮かべる。


「窓崎に嫉妬しちゃいましたか?」

「……」


 小声でささやいた質問に、灰岡先生は答えない。


「灰岡さーん、確かに私は窓崎に接触しろとは言ったんですけどねー、窓崎を追い詰めろとは言ってないんだよなー」

「それは……」


 灰岡先生は気まずそうに目を逸らす。それに対し鈴木先生は身長差もあって、彼女を見下ろしていたが、それがこの二人の関係をそのまま表していた。


「私としてもねー、勝手な行動をされると困るんですよー。私も長く楽しみたいのでねー、別にあなたとの関係をここで打ち切っても、今は窓崎がいるから私は困らないんですよ」

「そ、そんな! 私は、私はあなたに……!」

「まあまあ、ご心配なさらずとも、あなたの望みはもうすぐ叶いますよ。さて、あなたの言う通り、私も仕事に戻りましょうか。始業時間まで、まだ時間がありますからねー」


 そこまで言うと、鈴木先生は私に向き直った。


「さて窓崎、お前ももう教室に行けよー? お前は先生を困らせないようになー?」


 鈴木先生に追い払われるような形になった私は、大人しく教室に向かうことにした。


 

 その日の放課後。私は教室に一人で残り、これからのことを考えていた。

 これから私はどうすればいいのだろう。もう私を必要としている人は誰もいない。鈴木先生はもしかしたら私を必要としてくれるのかもしれないけども、あの人の思惑はどこか別のところにあるような気がする。

 どちらにしろ、誰も私を助ける人間はいない。だけど私を殺そうとする人はどこかにいるのかもしれない。もし私を『被害者』として必要としてくれる人がいるのなら、それでも構わないのかもしれない。


「窓崎さん」


 そう考えていると、誰もいないはずの教室に声が響いた。そこにいたのは、今朝と同じ不機嫌そうな顔をした灰岡先生だった。


「……なんでしょうか?」

「あなたに話があって来たのよ」


 そう言いながら、先生は私の前に立つ。


「あなた、鈴木先生のこと、どう思っているの?」

「え?」

「いいから、答えなさい」


 灰岡先生はいつもの微笑みを浮かべることなく、苛立ちながら私をまくし立てる。『どう思っている』と聞かれても、答えはひとつしかない。


「正直……鈴木先生は、怖いです」


 これは私の本心だ。私は得体の知れない存在である鈴木先生が怖い。それに対し、灰岡先生はあきれたようにため息をついた。


「あなたまだ、自分の置かれている状況がわかっていないのね」

「え?」

「あなたは生きているべき人間じゃないの。誰からも必要とされていないあなたは、死んでも誰の心を動かさない。だけど彼は、鈴木先生だけは、あなたを救ってくれるのよ」

「……」


 灰岡先生の話を聞く限り、彼女が鈴木先生に対して好意を抱いているのは間違いないようだ。そしてそれ故に、私に対して嫌悪を抱いていることも。

 だけど私は、灰岡先生に対してはそこまで恐怖を感じていなかった。同じ『被害者』だからだろうか、彼女の心の内はある程度理解できるものだったからだ。

 だから私は、思ったことを言ってしまった。


「先生は……」

「ん?」

「先生は、私が嫌いなのですか?」

「……」

「先生は、私のことが気に入らないのですか? 私がいたら、鈴木先生が自分のことを見てくれない。だから……」


 そこまで言った時。


「……っ!!」


 灰岡先生の平手が私の頬を打ち抜いた。


「黙りなさい、小娘が」

「……」


 叩かれた痛みが数秒遅れて私に走る。どうしてだろう、どうして私はここまで必要とされないのだろう。


「あなたは必要の無い人間、この私にとってもね。あなたが現れてから、鈴木先生はあなたばかり見ている。だから私は彼に、あなたが『被害者』であることを話した。そうすれば彼はあなたを殺すと思った。それなのに、あなたはウジウジと彼を困らせるばかり」

「私は……」

「それとも、私があなたを殺してあげましょうか? あなたが死んでも誰も捜査なんてしない。ただ一人、生徒が死んだだけ。それで終わりなのよ」

「私は……!」


 私の両目に涙が浮かぶ。私は他人を困らせて、怒らせてばかりだ。確かにこんな人間が、生きていていいわけがない。ここで灰岡先生に殺された方が、幸せなのかもしれない。


「お願い、します……」


 だから私は、言ってしまった。


「私を、殺してください……ここであなたに殺されてしまえば、私はもう、誰も苦しめなくて済みます……」


 そうだ、そうだったんだ。私はいなければよかったんだ。私は殺されてしまえばいいと思われている。だったら殺されることこそが、私の存在理由だ。殺されることこそが、私の目的だ。


「そう。じゃあお望み通り、終わらせてあげる」


 ますます苛立ちを見せる灰岡先生が、私の首を両手で掴む。そしてその手に徐々に力がこもり、私の首を絞め始めた。

 目を閉じて、考える。これで良かったんだ。ああ、せめて私の死体を見て、灰岡先生が喜んでくれますように。私の死が、誰かを喜ばせてくれますように。そうなれば、少しでも私は……


「がっ……」


 だけど小さな悲鳴と共に、突然私の首を絞める力が弱まった。何が起こったのかわからず、思わず目を開けてしまう。そこには……


「よーう、窓崎。危ないところだったなー?」


 血のついた花瓶を持ち、にこやかな笑顔を浮かべる鈴木先生が立っていた。


「え……?」


 状況を把握できない。何が起こっているの? 灰岡先生は?

 周りを見渡してみても、灰岡先生はどこにもいない。


「んー? 灰岡先生ならお前の足下にいるぞー」


 鈴木先生に言われて、足下を見る。灰岡先生は頭から血を流し、痙攣しながらうつぶせに倒れていた。


「あ、あ……?」

「おいおい、先生は危ないところを助けてやったんだぞー? 感謝の言葉とかないのかー?」


 危ないところを、助けた?

 灰岡先生は私の首を絞めていた。そして鈴木先生はそれを見ていた。そして灰岡先生は血を流して倒れている。鈴木先生は血の付いた花瓶を持っている。


「あ……!」


 鈴木先生は、私を助けるために、灰岡先生を殺してしまった?


「うんうん、状況はわかったか? 先生は窓崎の命の恩人なんだからなー。感謝しろよー」


 だけど爽やかに笑う鈴木先生は、どう見ても不可抗力で人を殺してしまった人間の様子ではなかった。どちらかというと、予定通りに事が進んだかのような嬉しそうな様子だった。

 鈴木先生は灰岡先生の首筋に手を当てて、脈を確認する。


「あーあ、灰岡先生死んじゃった。でもこれは正当防衛だよなー? でもなー、窓崎はひどいやつだよなー」

「え……?」

「灰岡先生に『自分を殺せ』って挑発して、灰岡先生を殺人犯にしようとするんだからなー。しかも結果的に、先生が人殺しになっちゃったしなー。お前がいなければ、先生は人殺しにならなかったのになー」

「私の、せい……?」


 私は考える。私がいなければ、灰岡先生は鈴木先生に憧れながら、生き続けていたかもしれない。私がいなければ、鈴木先生は灰岡先生を殺さなかったかもしれない。それなら……

 全ては、私に原因があるの?


「これでわかったか、窓崎ぃ?」


 鈴木先生は花瓶を置いて、私を見る。


「お前は生きている資格も必要も無い。お前はただ単に誰かを不幸にしただけ。そんなヤツが生きてて何になる?」

「私は、私は……」

「あー、それとな、先生に殺されようとか考えるなよー? 人殺しなんて良くないんだからなー? 別にな、先生にとっても、お前は一時の退屈しのぎでしかないんだからな。そんなヤツのためにわざわざ動きたくないんだぞ?」

「退屈、しのぎ……?」

「お前のおかげで灰岡先生が困るのが楽しかったからいろいろやってたけどなー、灰岡先生死んじゃったからなー。もうお前にもそんなに興味ないの。あとこのことを言いふらしてもいいぞ? 別に刑務所に入って、番号で呼ばれるのも、それはそれでいいかもしれないからなー? まあ、誰もお前のことは信じないと思うけど」


 そこまで聞いて、ようやくわかった。なぜ私が鈴木先生をここまで恐怖しているのかを。


 鈴木みどりにとって、すべての人間は『どうでもいい存在』なのだ。そしてその『どうでもいい存在』とは、鈴木みどり自身も例外ではない。

 

 鈴木みどりは誰も必要としていない。何も求めていない。誰が何をしようとどうでもいいし、どうなってもいいと思っている。他ならぬ自分自身さえも。

 

 私を殺さないのも、私が困る姿を見たいという楽しみもあるのだろうけど、おそらく鈴木みどりにとって、その目的さえもさほど重要ではないのだろう。


 だから私は、鈴木みどりを恐怖していた。最初から私を必要としていないから。誰かに必要とされたい私とは、対極の存在だから。


「うんうん、お前はそうやって呆然としれいればいいんじゃないかな。それじゃ、窓崎。先生は灰岡先生の死体を発見したって救急や警察に通報しておくから、お前は早めに殺されておけよー?」


 そう言って、鈴木先生は私の頭を撫でた後、教室を出て行った。



 ……私は、この時悟った。私は必要とされていないどころか、誰かに利用されて、間接的に人の命を奪ってしまうような罪深い存在だった。

 私は鈴木先生に、存在理由の全てを奪われた。私は鈴木先生に、人生の目的を強制的に与えられた。

 悠長なことは言っていられない。私はすぐに殺されなければならない。私はすぐにいなくならなければならない。それこそが、私の喜び。それこそが、私の幸せ。


 そうでなければ、私は何のためにこの世に生まれたかを説明できなくなってしまった。

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