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第十八話 被害者の過去


 それは、私が小学生の頃のことだった。


「深窓さん、こっちへいらっしゃい」

「はい、お母様」


 お母様からの呼び出しに応じて、私は居間に入る。おそらく一般的な一軒家と比べれば遙かに大きい上に不必要なまでに価値の高い家具が置かれているこの家は、私とお母様の距離を遠ざけるには十分な空間だった。


「ご用件はなんでしょうか?」


よその家族はもっとくだけた話し方をするということは、幼稚園の頃から知っている。だけど私は、今更お母様との話し方を変える気にはならなかった。それほどまでに、私とお母様の関係は既に固着してしまっている。


「お父さんから聞きました。あなた、近くの公立の中学に入りたいそうですね?」

「……はい」


 お母様は座っているのにも関わらず、私を見下げるような威圧感を放っている。だけどこれは決して私を咎めたいためではなく、お母様の癖みたいなものであることは、私はもうわかっていた。


「……どういうつもりなの? あなたも法条大学の付属中学に進むために勉強していたはずです。それなのに、今になってどうしてこんなことを言い出したのですか?」

「……」


 お母様の怒りの理由は、私がお母様が指定した進学先である、法条大学付属中学に進学することをためらい、家の近くにある公立の中学に進学することを希望したからだ。お母様が不機嫌になるのも当然のことだと思うし、今になってこんなことを言い出した私にも問題があることはわかっている。

 だけど……


「わ、私には……あの学校に行けるほどの学力はないと思うのです……」


 お母様に言ったこの言葉は、半分は本心だった。私にあの学校に受かる自信はなかったし、もし受かったとしても、授業に着いていけるとは思えなかった。


「深窓さん。あなたはどうしてそう、引っ込み思案なの? もっと積極的になりなさい!」

「……は、はい」


 お母様の言葉にビクビクする私を見て、彼女はさらに苛立った様子を見せる。だけど私がこうなったのは、元はと言えばお母様に原因があるのではないかと思っていた。


 私は幼い頃から、兄である窓崎まどざき 窓辺まどべより低い扱いをされていた。お兄様は私から見ても、特に優秀な人間というわけではなかったけれども、窓崎家の長男ということで、お母様から甘やかされて育っていた。

 そして一方の私は、お母様にとっても、単なる『窓崎窓辺の妹』に過ぎなかった。テストで良い点数を取っても、お母様はお兄様しか見ていない。窓崎家の跡継ぎとなる、窓崎窓辺しか見ていない。どんなに努力しても評価されない自分に自信を失っていくのは当然とも言えた。

 だから私は子供ながらにお母様への当てつけを考え、公立の中学に進学することで、自分はお母様の言いなりにはならないと主張したかったのかもしれない。


「……まあ、いいでしょう」

「え?」


 しかし、さっきまで私に怒りを向けていたお母様は、いとも簡単にその怒りを引っ込めた。


「あなたが公立の中学に行きたいなら、止めはしません。あなたの好きなようにすればいいでしょう」

「あ、あの……」


 言葉だけを聞けば、娘のやりたいことをやらせてくれるというふうにも取れる。だけど私は感じ取ってしまった。


 ああ、たった今、お母様は私への興味を完全に失ったのだと。


 そして私は自分の発言を撤回することもできないまま、公立の中学に進学することとなった。



 それから二年半ほど経った。

 私は中学三年生となり、高校受験を控える身となったけれども、その苦労を共にする友達はいなかった。そう、中学に入学した頃から、私は周りの同級生との溝を感じていたのだ。

 私の家はいわゆる『資産家』と呼ばれるものらしく、私の価値観はクラスメイトの価値観と随分と違うらしかった。自由に使えるお金の額や、幼いころに受けた習い事の数や、家族に連れられて行ったお店の種類など、それらが全てみんなと違ったのだ。

 それをわかっていなかった私は、クラス内でズレた発言を繰り返し、次第に浮いた存在となっていた。特に嫌悪されているということではなかったが、積極的に関わりたくない存在であると思われているのは確かだった。


 そしてその環境は、私の性格をさらに内向きにさせた。


 クラス内で言葉を発することもなくなり、自分の発言が全て間違っているかのように思えてしまい、誰かと話すことが怖かった。話すことで、私の間違いを指摘されるのが怖かった。だから私は自然と、下を向いていることが多くなった。


 そんなある日のこと。三年生になって、初めての社会科の授業のことだった。


「よーし、みんな起立。これから授業を始めるぞー」


 教室に入ってきたのは、白いワイシャツの上に紺色のジャージを羽織った、爽やかな印象を受ける男の先生だった。比較的若く見えるけども、新しいクラスで授業をすることに対する緊張などは微塵も感じさせない。それなりにベテランの先生なのだろう。


「えーとな、まずは自己紹介。先生の名前は、鈴木すずき みどり。今日からこのクラスで社会の授業を担当するぞー。よろしくなー」


 黒板に大きく、「鈴木みどり」と書いて自己紹介する。見かけによらず、女の子のような名前をしているのがおかしいのか、クラスメイトたちも少し笑っている。


「おいおい、先生の名前を見て笑うなよー? これでも先生の両親が必死で考えたんだからなー? ま、ちょっとだけ不満はあるけどな」


 鈴木先生のちょっとした言葉で、今度はクラスメイトたちが大きく笑い出す。どうやら本当に生徒たちの心を掴むのに慣れている先生のようだ。私とは違って、自分を出すことに恐怖を抱かない人なのだろう。そのことがうらやましかった。


「さてさて、世間話はここまでにしてだ。授業を始めるぞー。先生も君たちも、やることはちゃんとやらないとな」


 生徒たちの緊張がほぐれたところで、鈴木先生は授業を始めた。



 それから数週間が経った、ある日のことだった。


「おい窓崎、鈴木先生が呼んでるぞ」

「え? わ、わかりました。すぐに行きます……」


 クラスメイトに突然声をかけられて驚いた私だったが、鈴木先生が私を呼んでいるということにはさらに驚いた。私と鈴木先生に教師と生徒以上のつながりはなかったし、授業以外で話したこともなかった。それなのに何故呼び出されたのか、全く見当がつかなかった。

 不思議に思いながらも、私は鈴木先生が待っているという、生徒指導室に入った。


「失礼いたします……」

「おう窓崎。突然呼び出してごめんなー?」


 鈴木先生は椅子に座って、手に持った携帯電話を操作しながら私に話しかける。いつもの通り、子供に話しかけるように語尾を少し伸ばした口調だったが、私を見ずに携帯電話を見続けるその姿が、どこか異様だった。

 しかし部屋を出るわけにもいかず、私は大人しく椅子に座る。


「あの、ご用件はなんでしょうか?」

「んー? まあね、ちょっと聞きたいことがあってなあ」

「はあ……」


 先生の意図が全く見えないので、私は少し恐怖を感じ始めていた。元々、会話が上手い方ではない私は、慣れていない人と話すことだけでも、かなりのストレスになるのだ。


「あのさ、お前ってこの先どうするの?」


 先生は尚も、携帯電話から目を離さずに問いかけてきたが、その質問は私の心を抉るのに十分な言葉だった。


「……どう、と言いますと?」


 聞き返してはみたものの、先生は私の言葉に答えない。私の中でも、先生の質問の意味がわかりかねていたけれども、おそらく先生は進路や将来の夢について聞いているのではないことはわかっていた。


「んー? お前だってわかってるんだろ? 自分が普通には生きられないってことがさ」

「……!!」

「気づいてないと思ってたのかー? 先生はそういうのに敏感なんだぞー?」


 そう言いながら鈴木先生は携帯電話を机に置いて、立ち上がる。


 そしてその右手を、私の顔におもいきり叩きつけた。


「あぐっ!」


 大人の男性に叩かれて、私は椅子から転げ落ちてしまう。そして床に倒れて先生を見上げた。


「ふー、久しぶりに人を殴ったなあ。いやあ、たまにはこういうこともしないと、先生もストレスたまっちゃうからなあ」


 鈴木先生はにこやかな笑みを崩さずに、私を見下ろしている。その姿は、先ほどまでとは比べものにならないほど怖かった。


「それで? 窓崎はどうするの? 先生に殴られたってみんなに言うか? 別に先生はそれでもいいぞー? 教師を辞めて実家に戻ってニート生活を満喫するのも悪くないからなー」


 この状況においても、尚も先生はいつもの口調で私に語りかけてくる。だけど先生はわかっているのだろう。


 私が、誰に何をされても、助けを求められない人間であることを。


 私は昔から、誰かに叩かれたりしてもそれを他人に信じてもらえなかった。どんなに周りに訴えても、誰もそれを信じなかった。そのことが私の内向的な性格を形成させたのは言うまでも無い。

 だけどどうして? どうして鈴木先生がこのことを知っているのだろう? どうして私は叩かれたのだろう?


「おーい、なんとか言えよ窓崎ー? 先生もなー、別にお前を殴ってもそんなに楽しくないんだよなー」


 先生は私の頭を掴みながら、視線を合わせる。


「そういえばさ、お前、テレビゲームって好きか?」

「え……?」


 テレビゲームは私も好きでよくやっているけども、どうしてここでその話題になるのか全くわからなかった。


「テレビゲームってなー、あんまり簡単だと張り合いがないだろ? ある程度難易度がないとつまらないんだ。お前もそう思うだろー?」

「は、はい……」

「うんうん、だからさ」


 先生は微笑みながら、もう一度私を殴る。


「ぐうっ!」

「もうちょっと抵抗してくれないと、先生もつまらないんだよなー」

「そ、そんな……」


 私はいつのまにか涙目になっていたが、先生は尚も私の頭を放さなかった。どうしてだろう。どうしてこんな目に遭っているのだろう。だけどどうして私は……


 こんな目に遭っているのが、少しだけ嬉しいのだろう。


「んー? やっぱりお前、こんなことされて嬉しいのかー? 顔が少し笑っているぞー?」

「え……?」

「うんうん、灰岡先生の言うとおりだったな。よしよし、これでようやく面白くなってきたじゃないか」


 何かを納得したかのように鈴木先生はうなずき、私の頭を放す。


「窓崎さあ、先生にされたことを誰かに相談したいなら、英語の灰岡先生に相談するといいぞー? まあ、そうなったら先生が得をするんだけどなー。それじゃ、また授業で会おうな」


 そう言って鈴木先生は、生徒指導室から出て行った。私は床の冷たさを感じながら、事態を飲み込めずにしばらく呆然としていた。

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