第十七話 被害者の再会
あれから一週間が経った。
事件の中心にいた私、白影貴理緒本人は、今のところ普通の日常を取り戻しつつある。クラスの中では少し浮いた存在で、相変わらずキツい言葉を使い続けている。
だけどそんな私を、以前より優しくなったと評する人たちもいる。
「おはよう、白影さん」
「おはよう、加藤くん」
教室に入ってきた加藤くんは、足を少し引きずりながら私に挨拶をした。それを見て強い罪悪感を抱くけれども、加藤くんは気にしないでくれと言ってくれた。医者にはしばらくは痛むだろうけど、後遺症は残らないと言われたらしいが、私が彼を傷つけた事実は変わらない。そのことはしっかりと意識しなければならない。
そしてそれは、加藤くんも同じだった。
「加藤くん、今日も行くの?」
「ああ、あの子が退院するまでは毎日行くよ。北里と一緒にな。それくらいはしないと、俺は今度こそ最低の人間になるからな」
桁枝さんは、幸い刺された箇所が内臓を外れていたそうで、しばらく入院することにはなったが命に別状はないそうだ。
彼女は『被害者』であるため、加藤くんが傷害犯として警察に捕まることはなかったし、そもそも『事件』として扱われることすらなかった。だけど加藤くん本人がそれで善しとはしなかったのだ。だから彼は彼女が退院するまで、毎日病院にお見舞いに行っている。アルバイトもして、彼女の入院費も必ず返すと言っていた。
ただ、当の桁枝さん本人は加藤くんを見て嬉しそうに微笑んで迎え入れているらしい。『今度は終わりまでお願いします』などと言った言葉もかけられたそうだ。私としてはそれが少し気に入らないので、本当は加藤くんにはあまり彼女のところに行ってほしくはなかった。
そして大月は、私たちが学校を出ようとしたときには既にいなかった。私に木刀で殴られたことを警察や学校に通報するかもしれないとは思ったが、一週間経った今でも、警察が私の元を訪ねてくる様子はなかった。大月としても、今回の件を明るみにすることで、桁枝さんの怪我についての追及が自分にも行く可能性を恐れているのかもしれない。
一抹の不安はあったものの、私は日常に戻ってきた。『被害者』としての欲望はまだ残ってはいるものの、この学校にはもう『犯人』となる人物はいない。だから私も、当分は『被害者』にはなれないだろう。
そう、あれから加藤くんの『犯人』としての欲望は弱まったらしいのだ。理由はよくわからないけれども、彼はこう言っていた。
「白影さんがいるから、俺は『犯人』にならずに済んでいるのかもしれない。大切な人を失いたくないと思えるから、俺は欲望を抑えられているんだと思う」
それを聞いて、私は顔を真っ赤にしながら彼をペチペチ叩いてしまったが、その時感じた喜びは『被害者』としての喜びとは全く違うものだった。こういうのも悪くはない。
「おう、加藤。今日も放課後行くんだよな?」
そう思っていると、北里くんが教室に入ってきた。相変わらずヘラヘラとした笑いを浮かべているが、今の私は、その顔も案外悪くないんじゃないかと思っている。
「ん? 何ジロジロ見てんだよ白影サン。今日の俺はアンタに注意されることは何もしてないぜ? まあ、今のところはだけど」
そう言って、ケラケラ笑う姿を見ると、先ほど思ったことを撤回したくなる。
「なあ北里。窓崎さんは……どうしたんだ?」
「あ? 知らねえよ、あんなヤツ……って言いたいところだけど、どうも最近学校に来てねえらしいな……」
「そうか……」
加藤くんは当然、窓崎さんにもちゃんと謝りたいと考えていたが、彼女はあれから学校に来ていなかった。北里くんも行方を捜すために何度も連絡をしているらしいが、一度も繋がらないらしい。
確かに彼女とは決別のような形で別れてしまったが、何かあったのかもしれないと考えると、やはり心配になる。それに彼女は『被害者』だ。もしかすると、最悪の事態が起こっている可能性もある。
「ねえ北里くん。窓崎さんって、どうしてあそこまで『犯人』を求めていたの?」
「そんなの知らねえよ。俺があいつを『被害者』だと知ったのは、あいつと別れた後だったからな。だけど……あいつの自己評価の低さは確かに気にはなっていたよ」
「確か、付き合う前からそんな感じだったんだっけ?」
「ああ。何があったかはわからねえけどな。先輩に聞いたら、窓崎は高校に入学した時からあんな感じだったってよ。だから中学の頃に何かあったんじゃねえか?」
「中学の頃、ね……」
「ああ、そういえば、ひとつ気になることがあったな」
「え?」
北里くんは何かを思い出したかのように、アゴに手を当てながら言った。
「窓崎って、中等部から上がってきたんじゃなくて、公立の中学から外部進学してきたらしいな。あいつが公立中学に通っていたなんて、すげえ意外だなって思ったんだよな」
「そ、そうなの?」
確か北里さんが窓崎さんの家に行った時、彼女の家はすごいお金持ちのようだと言っていた。それに窓崎さん本人も、見るからにお嬢様みたいな雰囲気がある。そう考えると、確かに公立中学に通っていたのは意外だ。
「どこの中学とかは聞かなかったの?」
「ん……それは聞いてねえな。まあ、わかってもそれで窓崎の過去はわからねえだろ?」
「確かに……そうね」
「とにかくだ。白影サンが気になっていた事件は一応の解決を迎えたわけじゃねえか。とりあえずはそれでいいだろう?」
「うん……」
確かに窓崎さんを突き落とした『犯人』はもういない。いるのは私の隣にいる加藤くんだけだ。それは確かにそう。
だけど私の心にはまだモヤモヤしたものが残っていた。そしてそれはおそらく加藤くんも、そして私を納得させようとした北里くんもそうだと思う。
『被害者』とは、何なのだろう。どうして窓崎さんは、『被害者』となって、『犯人』を追い求めるようになったのだろう。それは私には関係のないことなのかもしれない。だけど本当にそうだろうか?
今も私は『被害者』のままだ。『搾取』されることを待ち望む『被害者』のままだ。今はその欲求が弱まっているけども、また私はそれを強く望むかもしれない。
――そう思っていた私の知らないところで、事態は確かに動き出していた。
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私の目の前に、一人の男性がいる。忘れかけていた、あの人がいる。
私はあの人に全てを否定された。私はあの人に全てを与えられた。
私は『犯人』に『搾取』されたい。私は『犯人』に叩きのめされたい。どうしてそう思い始めたのだろう?
おそらくそれは……
「おーう、窓崎。久しぶりだなあー。先生は嬉しいぞー?」
「鈴木……先生」
目の前で快活に笑う、この人がきっかけなのだろう。
第一部 完