第十四話 被害者の決意
窓崎さんからの連絡を受けた私たちは、学校の正門から校庭に入り、窓崎さんたちを探した。彼女の口ぶりだと私たちを待ってくれてはいるのだろうけど、大月と加藤くんがどう動くかはわからない。急いで探す必要があった。
「白影サン、いたぞ! 窓崎だ!」
北里くんが私を呼ぶ。彼の視線の先には、私たち一年生の教室がある校舎があった。そう、一週間以上前に窓崎さんが転落した現場。そのすぐ前に、彼女はいた。
「……窓崎さん!」
「ようこそいらっしゃいました。白影さん」
窓崎さんは微笑みながら一礼し、私たちを迎える。彼女の横には大月と、大月に取り押さえられている加藤くんがいた。
「白影さん……! 来ちゃダメだ! 俺は……!」
「黙ってろよ、加藤」
「ぐっ……!」
大月は加藤くんの腕を捻り上げ、その口を塞ぐ。窓崎さんはそんな加藤くんを愛おしい様子で見た後、私たちに視線を戻した。
「呼び出しに応じてくださいまして、ありがとうございます。さて、どうやら私たち『被害者』は、無事に『犯人』にこの身を捧げることができそうですね」
「窓崎! どうしてお前が加藤たちといるんだ!?」
「ああ、そのことですか。先ほどのホテルの前で何か騒ぎがあったようなので、一度戻ったのですよ。そうしたら、こちらの加藤さんが桁枝さんを刺した現場を遠くから目撃したわけです。あなた方は気づかなかったようですけどね」
「……桁枝さんは、どうなったの?」
「あの方でしたら、通行人の方が倒れているのを見つけて、救急車で運ばれていきました。とても満足そうなお顔をしておりましたので、うらやましい限りです」
うらやましい、か。今ならその気持ちがわかる。桁枝さんが私の邪魔をした時、とてつもない羨望が生まれたのを今でも感じている。
だけど気に入らない。加藤くんが狙っているのは私なのに、どうした窓崎さんや、桁枝さんが彼の牙にかかってしまうのだ。私だって、私だって――!
「なるほどな。桁枝が加藤に刺されたってのは本当らしいな。目の前で倒れたのに、全くわからなかったぜ。これが『被害者の特性』ってやつなのか?」
「ええ、その通りですよ、大月さん。それが理解できたのでしたら、そろそろ加藤さんを解放していただきたいのですが……?」
「まあ待てよ、そんなに焦るな。俺は白影に用があるんだからよ」
「アンタ……これ以上、どうするつもりなのよ!?」
私が加藤くんに殺されるのはいいが、大月の思い通りになるのは気に入らない。この男が何を考えているかによって、状況が大きく変わる可能性もあるのだ。
「白影よぉ、俺が許せねえのはお前と窓崎、そして北里が俺に逆らったことだ。それはわかるよなぁ?」
「わからないわね。アンタみたいな男のことなんて、わかっても仕方がないし」
そう、今の私にとって大月なんてどうでもいい。どうせこの男に服従したところで何も面白くはないのだ。私にとって重要なのは、大月によって押さえられている加藤くんが、私と窓崎さんのどちらを先に殺すのかだ。
しかし大月は私の返答が面白くないのか、不機嫌そうにため息をついた。
「あーあ。お前が今すぐ『ごめんなさい』って言えば、許してやったかもしれないのによ」
「アンタがそんな殊勝なことを考えるはずがないじゃない」
「まあそうだな。ところでだ、さっき加藤に聞いたんだよ。『お前、窓崎に対して罪悪感とかないの?』ってな」
その言葉に、加藤くんがピクリと動く。そうだ、加藤くんは北里くんに窓崎さんを突き落としたことを告白したんだ。なら大月がそのことを知っていてもおかしくはない。
「なあ加藤、さっき俺がそう聞いた時、お前は黙っていたよなあ? お前、それで許されるとでも思ってるの?」
「お、俺は……?」
その様子を見て、隣にいる窓崎さんの顔も曇り出す。なんだ? 大月は何のつもりでこんなことを?
「俺だったら、いくら警察の手を逃れられたからって、お前みたいに平然とはしていられねえなあ。だって人を一人突き落としてるんだからな」
「違う! 俺は、俺は平然となんて……!」
「だったらなんで、お前はまだこうして平気な顔して生きてるの? 罪悪感があるなら、あれだけのことをしておいて自分だけ何のお咎めも無いなんて状況、耐えられないよなあ?」
「……!!」
加藤くんが顔を俯かせる。本当に苦しそうに俯いている。それを見た私は、大月への怒りが爆発しそうだった。
加藤くんのしたことは、確かに法律に反していることだ。だけど私たち『被害者』は、彼に叩きつぶされることを望んでいる。それを何もわかっていない部外者が、ただ自分の利益のためだけに一般的な価値観で彼を苦しめるのが我慢ならなかった。
窓崎さんも同じ気持ちなのか、先ほどから不快な面持ちで大月くんを見ている。どうやらこの状況は、彼女にとっても予定外のものらしい。
「……いい加減にしてくださいますか? 大月さん。白影さんを連れてきたのですから、加藤さんを解放して頂きたいのですが」
「あー、そうだったな。いいぜ、解放してやるよ。ただ……」
大月は再び加藤くんを見て、彼のポケットから血まみれになった包丁を取り出す。おそらくは先ほど桁枝さんを刺したものと同じ包丁だろう。
「なあ加藤。このままお前を解放したら、白影と窓崎を殺すんだよなあ? お前は恐ろしい『犯人』なんだもんなあ?」
「俺は……俺は……!」
「加藤、お前にまだ人の心があるなら、こいつらを殺す前にやることがあるよなあ?」
「……あ、あ」
加藤くんは顔を青ざめさせるが、少しした後に目を閉じて歯を食いしばった。そして彼が顔を上げると……
「窓崎さん、そして、白影さん。今まで本当にすまなかった」
何かを決意したような、晴れやかで、そして憂いを帯びた表情を浮かべていた。
その時、私は思い出した。北里くんが言っていたあの言葉。
『……加藤が言ったんだよ。もし俺が自分を止められないようなら、その場で自殺してでも白影サンの命を救うってな』
そんな……まさか!!
「俺はもう戻れないんだ。窓崎さんを突き落とし、さらに初対面の女の子まで刺してしまった。俺は……生きていてはいけなかったんだ」
加藤くんの様子を見た大月は、彼の腕を放し、解放する。
「そうだよなあ、加藤。お前は罪深い『犯人』なんだもんなあ」
「大月! アンタ、どういうつもりなの!?」
「ああ? 決まってんだろ。白影も窓崎も『被害者』なら、お前らが加藤に殺されても、俺はそのことに気づくことができねえ。ただお前らが死んだという事実しかわからねえ。それじゃつまらないだろ? だから……」
大月はその顔を醜く歪ませる。
「お前らの最大の目的を邪魔してやる方が面白いと思ってさあ」
こいつは……加藤くんを自殺に追い込む気だ。
「大月さん……あなた、加藤さんを死に追いやるつもりなのですか?」
「おいおい、俺は加藤に自分のしたことを自覚させてやりたいだけだ。その結果、加藤がどうするかは自分で決めることだろ?」
「……どこまでも、くだらない方ですね。あなたを信用したのが間違いでした」
しかしその間にも、加藤くんは大月に渡された血まみれの包丁を握って、じっと見ている。
「ダメなんだ……俺は、白影さんを……窓崎さんを……壊したいという気持ちが抑えられない……俺は、弱い人間なんだ……」
苦しそうに呟く加藤くんの前に、窓崎さんが近づく。
「加藤さん、落ち着いてください。あなたが気に病むことなど何もないのです。あなたは自らの欲望に背くことなく、私たちを蹂躙してくださればいいのです。それが私たち、『被害者』の望みなのですから」
窓崎さんは微笑むが、加藤くんは尚も苦しんでいる。
「窓崎さん……そうじゃないんだ。俺は、俺自身を許せない……人を殺すなんて、薄汚れた欲望を持ってしまった自分が許せない……俺の理想をことごとく裏切る自分が嫌いなんだ……だから、だから俺は……!」
加藤くんが呟いたその言葉で、私は気づく。
彼も――私と同じだ。自分が理想とする生き方と、自分の隠された欲望に挟まれて苦しんでいる。だから自分が許せない。だから自分を殺そうとしている。
私も、窓崎さんも、加藤くんも死にたがっている。だけど『被害者』は欲望で死にたがり、『犯人』は理性で死にたがっている。『被害者』と『犯人』は、どこかで似通っているのかもしれない。
「加藤さん、大丈夫です。あなたがご自分を許せなくとも、私たちはあなたを許します。さあ、その刃で私たちを貫いてください。ご自分の欲望を存分に私たちに……!」
「いやだ、いやだ……! 俺は、そんなことをしたら俺は本当に……!」
しかし、その時だった。
「加藤ぉぉぉぉっ……!」
加藤くんの後ろから、彼を取り押さえるように抱きついた北里くんが現れたのは。
「北里くん!」
「功海さん……!?」
「窓崎、白影サン! 早く逃げろ! 加藤は俺が止める!」
北里くんは加藤くんの手から包丁を取り上げ、遠くに放り投げる。だけど加藤くんは抵抗するように暴れていた。
「放してくれ北里! 俺は生きていてはいけないんだ! 俺が生きていたら、白影さんも、窓崎さんも、みんな死んでしまう!」
「だからといって、お前が死んだら同じことだろう! 悲劇のヒーロー気取ってんじゃねえよ!」
「俺はもう戻れないんだ! この手は既に血に染まっている! 俺一人じゃもう止められない! だから俺は……!」
「窓崎はお前の死を望んでねえんだよ! お前と窓崎、それに白影サンの誰も死なない方がいいに決まっているだろ!」
北里くんと加藤くんがもみ合っているのを見て、私はどうすればいいのか考えてしまう。
このままでは加藤くんは自ら命を絶ってしまう。それは私や窓崎さんの本意ではない。だけど北里くんは私たち全員が生き残るために動いている。それも本意ではない。だったらどうする?
大月はもみ合っている二人を笑いながら見ている。まるで自分は何も関係ないかのように。私たちを苦しめている張本人でありながら、遠くから笑いながら見ている。
だったら、やることは一つしか無い。
私は北里くんたちに皆の目が行っている隙に、例のプレハブの小屋の中に入り、目的のものを探した。
そして見つけた。この状況を打開するために必要なものを。
このプレハブの小屋は、体育用具を入れるための倉庫として使われている。だから中にはボールやライン引きなどの道具が入っている。だけど私は知っていた。以前、この中庭で剣道部がふざけて遊んでいた時に、木刀を持っていたことを。そしてその木刀を、この小屋に隠していたことを。
以前、聞いたことがある。木刀は立派な凶器となり得ることを。頭を殴られれば、命に関わることさえあると。
なら、私はこの木刀をどう使うか?
まだ北里くんと加藤くんはもみ合っている。大月は私に背を向けて、それを笑いながら見ている。私の行動には全く気づいていない。
だから私は……
大月の頭をめがけて、木刀を思い切り振り抜いた。