第十三話 被害者の欲望
「そんな……本当に加藤くんが……?」
北里くんは加藤くんから、自分が窓崎さんを突き落としたこと、そして私や窓崎さんを殺したいという欲求を今も抑えきれないということを告白されたらしい。そして彼は北里くんに、私たちを自分の手から守るように頼んだのだというのだ。
「……俺も加藤がそんなことをするなんて全く信じられなかった。だけど窓崎の転落が『事故』として扱われていることや、俺たちがそれをあっさり受け入れていること、そして窓崎が『被害者』であることを考えれば、信じられなくて当たり前なんだ。加藤はこんな冗談を言うヤツじゃない。つまりあいつは本当に窓崎を突き落としたんだ」
確かに、窓崎さんが『被害者』である以上、加藤くんの告白を信じられなくて当然だ。だけど『被害者』や『犯人』の存在を知ってさえいれば、その『信じられない』という感覚が逆に、窓崎さんの転落を『事件』だと感じ取るきっかけになる。
「大月くんから聞いたが、『被害者』と対になる『犯人の特性』ってのが存在するらしいな?」
「……ええ、窓崎さんは『犯人の特性』を持った人間を探していた。そしてさっきの加藤くんの様子や、彼本人の言葉から考えると……」
「加藤は正真正銘、『犯人』ってことか……」
加藤くんは窓崎さんを突き落とした。そして私も殺そうとした。そう、おそらく彼にはわかるのだ。私たちが殺しても構わない『被害者』であることが。
「加藤くんは……窓崎さんを殺すために手紙を出して、外階段に呼び出したのね?」
やっぱり加藤くんは窓崎さんを狙っていたんだ。彼女のことを、魅力的な『被害者』だと思っていたんだ。
「いや、それは違う」
「え?」
しかしなぜか北里くんは、その事実を否定した。
「加藤は窓崎を呼び出したわけじゃない。窓崎は本来、あそこに来る予定じゃなかったんだ」
「な、なんでそんなことがわかるの?」
「……」
私の質問に、北里くんは顔を俯かせながら答えた。
「俺は……加藤が白影サンの机に手紙を入れるのを見たんだ」
「……!?」
「加藤は……本当は白影サンを呼び出すつもりだったんだ」
加藤くんは、私を呼び出すつもりだった? それってつまり……
本当は私を殺すつもりだった?
そのことを理解した瞬間、私の心に強烈な喜びが襲ってきた。なんだろう、この気持ちは。喜びが大きすぎて、むしろ胸が痛くなってくる。私の精神が、この喜びを処理しきれていない。
ああ、そうだ。加藤くんは本当は私を殺すつもりだったんだ。私から全てを奪い取るつもりだったんだ。私を蹂躙するつもりだったんだ。窓崎さんでも、他の『被害者』でもない、この私を。
すごい、すごい。心が温かくなってくる。体が熱くなってくる。息が荒くなるし、目の前がぼうっとする。加藤くんは私を選んでくれたんだ。私を魅力的だと思ってくれたんだ。それが嬉しくなくてなんだろう。私を叩きつぶしてくれる人がいることが、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。
ああ、ダメだ。こんな喜びに逆らうことなんてできない。こんな快感に抗うことなんてできない。私はやっぱり心の芯から『被害者』だったのだ。窓崎さんの言う通りだった。私は自分の欲望に素直になれていなかった。
だって、今の私は、今すぐにでも加藤くんにこの身を捧げたい。
「白影サン、白影サン? 大丈夫か?」
「……え? ああ、ごめんなさい」
「……ごめんな。本当は自分が殺されていたかもしれないなんて聞いたら、ショックだよな」
「え、ええ……」
おそらく北里くんの考える『ショック』とは別の衝撃を感じていたであろうことは黙っておく。
「でも、それならどうしてあの手紙は窓崎さんのところに?」
「それは……俺がアンタの机から手紙を抜き取って、窓崎の机に移したからだ」
「え!?」
北里くんが、手紙を窓崎さんの机に移した?
「な、なんでそんなことを?」
「……加藤が白影サンに好意を持っていたのは気づいていた。だけど俺は加藤と窓崎がくっついて欲しかったんだ。だから俺は手紙を抜き取った。もちろんあんなことになるなんて思っていなかったが、今回の事件は俺にも原因があるってことだ」
「北里くん。窓崎さんと何があったの?」
「……」
「さっきも窓崎さんは、北里くんが自分を恨んでいるんじゃないかって言ってた。そのことと、今回の行動には関係があるの?」
北里くんの行動の真意がわからない。加藤くんが私に手紙を送ったところで、北里くんに何の不都合もないはずだ。それなのにどうして……?
「……アンタも感じているかもしれないが、窓崎はおそろしく自己評価が低い。普段からオドオドしているし、自分のことを嫌いだと言い切っている」
「それは私も出会ったときから感じていた。でもそれが?」
「俺と付き合っていたときもアイツはそんな感じだった。だけどそれに拍車をかけたのは、おそらく俺が原因なんだ」
「どういうこと?」
「今日の朝、俺たちが別れたのは俺が窓崎をフッたからだって言ったよな? だけどそれはウソなんだ。本当は……俺が窓崎にフラれたんだ」
「それが北里くんが窓崎さんを恨んでいると思われている理由なの?」
「……そうじゃない。窓崎は俺が嫌いだから別れようと言ったんじゃない。自分が俺と釣り合わないと感じたから別れを切り出したんだ」
「え!?」
窓崎さんと、北里くんが釣り合わない?
確かにこの二人はタイプが全く違う。だけど私から見ても窓崎さんはおしとやかで男性受けのしやすい人だ。別に北里くんと釣り合わないなんてことはないはずだ。
「正直、なんでアイツが俺と釣り合わないと感じたのかはわからない。だけど俺のなんらかの行動が、アイツをそうさせてしまったんだ。だけど窓崎が俺と付き合うのを望んでいない以上、今更よりを戻すなんてことを言うつもりもない。だから俺は、加藤と窓崎なら上手くいくんじゃないかと思ったんだ」
「加藤くんが?」
「加藤は他人の良いところを見つけるのが上手いヤツだ。あいつは窓崎のことも知っていたし、窓崎に興味があるというのも本当だ。だから俺は加藤の手紙を窓崎の机に移し、二人が良い雰囲気になるきっかけになればと思ったんだ。今日の朝、白影サンに加藤のことを諦めさせようとしたのも、それに関係している。今思えば、馬鹿なことをしたよ」
「……」
確かに、北里くんの行動は結果的に窓崎さんを傷つけることになったし、加藤くんの意思を無視して窓崎さんとくっつけようとしたのも勝手すぎる行動だ。
だけど……そう、だけど。
この北里功海という人間は、私が思っていたよりも、ちょっとはマシな人間なのかもしれない。少なくとも、今の私はそう思っている。
「話を戻そう。加藤は白影サンと窓崎を殺したいと思っている。そして加藤自身もその欲望を危険視している。だからアイツは俺に協力を求めた。ここまではいいな?」
「う、うん」
「それを聞いた俺は、友達である大月くんにも協力を求めたんだが、あの様子だとどうやら裏切ったらしいな」
「あんなヤツに協力を求めたのが、そもそも間違いなのよ」
「ああ、そうだな……俺の行動は裏目に出てばかりだ」
……だけど大月が裏切ったのは私にとっては好都合だ。大月は加藤くんに私を殺させようとしている。あいつの思い通りに動くのは良い気分ではないけど、大月じゃなく加藤くんが私を殺すのであれば、過程なんてどうでもいい。私は加藤くんのあの表情をもう一度見たいのだ。
「それに、このまま大月くんが加藤に白影サンを殺させるように働きかけたら、加藤自身も危ない」
「え?」
「……加藤が言ったんだよ。もし俺が自分を止められないようなら、その場で自殺してでも白影サンの命を救うってな」
「そんな……!?」
加藤くんが自分の欲求を抑えられないなら、その場で自殺する?
そんなの嫌だ。私のせいで加藤くんが死ぬ? 私が加藤くんの命を奪ってしまう?
それは違う。私は加藤くんに奪われたいのであり、奪いたいわけじゃないんだ。私は加藤くんから全てを奪われたい。私自身はその欲求に逆らうことができない。それなのに加藤くんは自分の欲求から逃れようというのか。
そんなの、許さない。
「それで、これからどうするの?」
私としては北里くんとこのまま行動を共にする気にはなれない。彼がいては、私は加藤くんに殺されない。
「まずは窓崎を探す。大月くんはアンタを狙っているだろうが、俺からすれば窓崎も危ない状況だ。このまま一人にはしておけない」
「じゃあ、二手に分かれて窓崎さんを探す?」
「そういうわけにもいかないだろう。もし白影サンが一人の時に加藤と大月くんに出会ったらアウトだ。本当にアンタは死ぬぞ?」
それが目的な訳なんだけど、本当のことを言うわけにもいかない。
「とりあえずだ、アンタを安全な場所に送ってから窓崎を……」
その時、私の携帯電話に着信が入った。画面を見ると、『窓崎深窓』と表示されている。
このタイミングで、窓崎さんから電話? 不思議に思いながらも、電話に出た。
「……もしもし、窓崎さん?」
『白影さんですか? 今、どちらにいらっしゃいますか?』
「学校の、正門の前だけど……?」
『ああ、それなら好都合です。実はですね、私も学校の校庭にいるのですよ』
そして窓崎さんは、言葉を続ける。
『先ほどの大月さんと……加藤岳人さんと一緒に』
「……!?」
窓崎さんが大月と加藤くんと一緒にいる。この事実だけで、事態はかなり危険な展開になっていることがわかる。
加藤くんは窓崎さんを突き落とした。私を呼び出したはずが、北里くんによって呼び出された窓崎さんを、私の代わりに突き落とした。窓崎さんも、加藤くんにとっては魅力的な『被害者』なのだ。その事実が示すものは……
加藤岳人が、窓崎深窓を殺害するかもしれない。私を殺すのより早く。
……なんだろう。そのことにはすごい嫌悪感がある。加藤くんが窓崎さんを殺してしまう。それは確かに最悪の事態だ。けれど。
今の私は、窓崎さんが殺されるよりも、加藤くんが私より先に窓崎さんを殺すことにものすごい不愉快さを感じる。まるで私が窓崎さんより劣っていると言われたような、ものすごい不愉快さを。
――させない。彼の初めては、私のものだ。
窓崎さんからの通話は途絶え、私は北里くんに向き直る。
「……窓崎さん、加藤くんと大月と一緒に、この校庭にいるそうよ」
「なんだと!?」
「でも、電話があったってことは彼女はまだ無事だということ。迷っている暇はないんじゃない?」
「そうだな……手遅れになる前に止めるしかねえ!」
決意をして走り出す北里くんの背中を見ながら、私は別のことを考えていた。
渡さない。窓崎さんも、ずっと『犯人』を追い求めていたのだろうけど、そんなのは関係ない。
加藤くんは、私の『犯人』だ。




