第十一話 被害者の邪魔
「な、なんで白影さんがここに!?」
ホテルから出てすぐに、私たちの目の前に現れた加藤くんは、私を見てなぜか目を丸くしている。まるで出会ってはいけない人物に出会ってしまったかのように。
「お、大月くん! どういうことだよ!? 白影さんは学校にいるんじゃなかったのか!?」
そして加藤くんは隣にいる大月に詰め寄った。どういうことだろう。そもそもこの二人は知り合いなのか?
いや、よく考えてみれば、加藤くんの友達である北里くんが大月と知り合いなのだ。そうなると、共通の友人がいるということでこの二人が知り合ってもおかしくはない。だとしてもどうして、このタイミングで大月が加藤くんと一緒にいるのだろう。
「あー、そういえばそんなことも言ったかな。悪い悪い、あれウソなんだわ」
「ウソ……? なんでそんなことを!?」
「おいおい、俺は加藤くんと白影さんを仲直りさせたいなあ、と思って君をここに連れてきたんだよ。善意だよ善意」
「ふざけるな!! こんなことをしたらどうなるかは話しただろう!」
「おいおい、そんなのお前が我慢すればいい話だろ? 俺はお前をここに連れてきただけだ。人のせいにするなよ」
「くっ……!」
何だ? この二人は何を話している? 話の内容が全く見えてこない。だけど一つだけわかるのは、少なくとも加藤くんにとっては、この状況は非常にまずいということだ。
とりあえず加藤くんに話を聞こうと、私は彼に近づく。
「加藤くん……なんであなたが大月と……」
「近づかないでくれ!!」
「えっ……?」
近づこうとした私を、加藤くんは大げさなくらいに拒絶する。だけどそれは私を嫌っているというより、純粋に私を遠ざけることに必死なように見える。
「白影さん、あの人は……?」
「え? ああ、私と同じ学校の加藤くんだけど?」
「……あの人、私たちを見てますね」
「見てる?」
「はい。私たち『被害者』を見ています」
そう言いながら、桁枝さんは加藤くんを見ながらなぜか微笑みを浮かべる。この表情は見覚えがある。そう、私が嫌いな窓崎さんの微笑みと同じものだ。
どういうことだろう。加藤くんが『被害者』を見ている? それで桁枝さんが微笑みを浮かべる。喜悦の表情を浮かべる。
「なあ加藤くん、お前はどうしたいんだ? 俺はここにお前を連れてきたけど、お前はどうしたいのかなあ?」
「う、ぐうう……」
大月は相変わらず嫌な笑いを浮かべながら楽しそうに加藤くんを見ている。対する加藤くんはなぜか苦しそうだ。まるで何かを抑え込んでいるかのように。
「白影さん、ここを今すぐ離れてくれ……」
「え?」
「頼む! 俺は、俺は……!」
どうしよう。加藤くんはここを離れろと言っているけど、苦しんでいる彼を放っておくのは気が引ける。いや、それは言い訳なのかもしれない。今の私は単純に、ここを離れたくない。
なぜ? それは私も、ある可能性に気づいているから?
「ねえ加藤くん、どうしたの? 病院に行った方が……」
「来るな! 来ないでくれ……!」
懇願するように叫ぶ加藤くんに対して、それに反抗するかのように足がゆっくりと彼に向かっていく。どうしたのだろう私は。いつもならこういう時は、すぐに行動に移るはずなのに。
「さてと、加藤くん。俺は思うんだよ。殺しても何の罪に問われない人間がいたとしたら、そいつを殺すのは悪いことなんだろうか?」
「う、ううう……」
「しかもそういうヤツが、目の前に二人もいるわけだ。そうなったら、お前はどうする?」
「あ、ああ……!」
脂汗を浮かべながら悶える加藤くんを後目に、大月は鞄からある物を取り出す。
「さっき、そこのホームセンターで買ってきたんだ。まだ封は開けていないから、お前が好きに使ってくれよ」
そこにあったのは、パッケージに包まれたままの包丁だった。そしてそれを加藤くんの足下に置く。
「なあ白影、お前、奴隷の癖にさんざん俺に舐めた口を利いてくれたよな?」
大月は下品に笑いながら私を見る。その顔はやっぱり、ただ単に嫌悪感しか抱けないものだった。
「お前は何をされても文句は言えない人間なんだ。そんなヤツが俺に舐めた口利くのは、許されることじゃないよなあ?」
「……何が言いたいの?」
「んん? 簡単なことだよ」
もうわかっている。大月がなんで加藤くんをここに連れてきたのか。どうして私は逃げないのか。加藤くんはこれから何をするつもりなのか。
いつの間にか足下の包丁を拾い上げて、パッケージを開けている加藤くんを見ても、それは明らかだった。
「死ねよ、お前」
大月の言葉と共に、加藤くんの顔はいつか見た無表情になっていた。私が見た、幸福な悪夢で見たままの無表情で、加藤くんは包丁を握っていた。
「白影サン! 今すぐ逃げろ!」
だから大月の後ろにいつの間にか現れた北里くんが叫んでも、私は動けなかった。
「そいつが……加藤が『犯人』だ!!」
わかっているよ、そんなこと。だから私は逃げない。だって……
「…………!!」
無表情のままで包丁を握って迫ってくる加藤くんを、私は避けたくない。彼の行為を受け入れたい。そんな欲望に支配されている。
彼に全てを奪われたい。『搾取』されたい。そう、いざ目の前に『犯人』が現れたら、私は『被害者』としての欲望に抗うことが出来なかった。あんなに他人に頼らない強い人間を目指していたのに、私の本質は叩きのめされることを望み、自分の弱さを愛する人間だったのだ。
ああ、彼の欲望が私に突き入れられる。早く、早く私を貫いて欲しい。それで私から全てを奪い取って欲しい。
だけどそんな私の願いは……
「がっ……!!」
突如として私の前に立ちふさがった、邪魔者に阻止された。
「……あ、ああ」
私の前に、もう一人の『被害者』がいる。私の他にも、『犯人』から全てを奪い取られることを願う人間がいる。
そう、『被害者』である、桁枝湖乃絵としてはそれは当然のことだったのだ。
「けた、えだ、さん?」
「あ、ははは……」
桁枝さんの腹に、加藤くんの包丁が突き刺さっている。だから彼女はすごく嬉しそうで……『被害者』としての快感を思う存分、受け止めて……
どうして、どうして、こんな所で邪魔を……!
ダメだ。どんなに否定しても、私の頭には助かったという安堵が湧いてこない。
桁枝さんに対する、羨望しか湧き出てこない。
だけどそんな私の前で、彼女は満足そうに崩れ落ちた。
「う、あああああっ!」
腕を血で濡らしながら、加藤くんは叫ぶ。だけど道行く人々は誰もそれに気づかない。加藤くんが人を刺したということを、誰も認識しない。
「お、俺は……俺は……」
加藤くんは声を震わせながら、その場にしゃがみ込む。そのそばで、大月は何が起こったのかわからないように視線をさまよわせている。そうしているうちに、北里くんが私に声をかけた。
「白影サン! 何が起こっている!?」
「え?」
「その娘はどうしたんだ!? 何で倒れているんだよ!?」
そうか、北里くんは『被害者』でも『犯人』でもない。だから今、何が起こったのか、なぜ桁枝さんが倒れているのかを認識できない。
それなら今、私がウソをついたとしたら……
「……とにかく! この場を離れるぞ!」
「あ! ちょっと……!」
「話は後だ!」
北里くんに連れられて、私はその場を離れざるを得なかった。
「はあ、はあ……」
北里くんに連れてこられたのは、私たちが通う法条大学付属高校の前だった。彼がどうしてここに連れてきたのかはわからないが、おそらく近くにある見知った場所に逃げたかったのだろう。
「とりあえず……ひとつ確認するぞ、白影サン」
「なに?」
「さっきの……桁枝さんが倒れたのと、加藤は関係ないんだよな?」
「……」
北里くんはどうしてこの質問をしているのだろう。彼が加藤くんの行動を認識できていないとしたら、そもそも桁枝さんの怪我と加藤くんを結びつける発想が出ないはず。
いや、そういえば北里くんは窓崎さんの転落から彼女が『被害者』だということにたどり着いた。だとしたら隠しても無駄かもしれない。
「仮に、加藤くんが桁枝さんを刺したって言ったら、どう思うの?」
「全く信じられない。だけど、つまりそういうことだろ?」
「……ええ」
あの場で声を上げていたのは加藤くんだ。大月は何が起こったのかわかっていない様子だった。そして、桁枝さんが何故か倒れているということを考えれば、自ずと何が起こったかは北里くんでも予想できるというわけだ。
「俺はそれを全く信じられない。だけどそれは、少なくとも桁枝さんが誰かに刺されたことを意味している。そしてその『犯人』は加藤というわけだな?」
「……北里くんは、加藤くんが『犯人』だと知っていたの?」
「ああ、ここまで来たんだ。今日の出来事を話そう」
「今日の出来事?」
そして北里くんは顔をうつむかせながら言った。
「俺は……加藤から頼まれたんだ。白影サンたちを守ってくれって」




