9 病院
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出血はあったものの幸い傷があんまりにも深くなく、皮下組織までで腹膜ま
で達していなかったということで外来で縫合した。後は後日、抜糸するまで、
消毒薬したりガーゼを取り換えるだけだという。
抜糸まで十日ほどだというのが医者の判断であった。
人からの言葉を耳で聞いたことは、単なる情報である。でも、それがどうい
う種類のものであるかで価値や基準が生まれる。最低、捉え方というのは重要
なものだ。
刺される瞬間の風景や自分の心を思い出す、奇妙なほど鮮明に・・。
あの時のことは、それから何年後も、忘れることはなかった。
インポテンスにしてもハゲにしても、それ自体、生存を脅かす病的状態では
ないけれど、はたして、刺されるということもそれと同じではないのか、とそ
れから以後も考えた。重要なのは生きることなのではない、快適に生きるとい
うことなのだ。記憶にかかる抑圧を無理に排除しようとしなかった。最も大切
なものは既に戻りつつあり、その現場は、治療室ではなく、病室へと移り、い
まは俺の心の中に自然と戻っている。人にはアキレス腱というものがあり、処
方箋というのがある。生きるために必要な弱さもある、と思う――。
指圧や鍼やマッサージが触れる、生きるという行為。
定期的な解毒剤の投与だけが、その進行を妨げる唯一の方法・・。
ぼんやりと事件を振り返りながら、アメリカの新薬の承認が非常にきびしい
、という話を思い出していた。その一方で、ある病気に有効な治療薬がない場
合、「ないよりはましである」という現実主義的な考え方から、かなり強い副
作用があっても認可されることがある、と。それがもっとも端的に発揮されて
いるのが、エイズの治療薬だといわれる。
そして患者というのは、誰もこの時計が動くのを見た者がないのだ。
俺は暗い病室の中で、ここ数日のうちに起きたことや考えたことを思い出
す。生きる者にとっては、自分の生活はどこまでも自分のものである。
そう思った瞬間の電光の閃めき・・。
生きるということは、どういうことなのだろう――。
抗生物質などの薬を飲むこと以外は日常生活にまったく支障がない、という
ことは、ありがたい。咄嗟に腹部を固めたり、身を後ろに避けたためではない
か、と思う。そもそもナイフの刃渡りがそれほど長くなく、後で聞いたところ
によるとデザートナイフだったらしいけど、彼自身が怯えて、きちんとした刺
し方が出来なかったということもあるのではないだろうか。バタフライナイフ
や包丁だったら、場合によっては死亡ということだってありえた、いや、本当
に運が悪ければ、出血多量で、まさか、というデザートナイフで死んでいたの
かもしれないのだ。
生きるなら生きる、死ぬなら死ぬで仕方がない、と俺はそう思っていた。
水を求めて狂いまわる瀕死者、炎天下の中、それでも歩かねばならない人
々。戦争を記した絵画・・・。
生きるけれど、抜け殻で、生きる場所を探していた自分――。
これは、俺の中の一つのターニング・ポイントなのだろうな、と冷静に考
えていた。どうしてそんな風に思うのかはわからなかったけれど、これから、
少しずつ色んなことが上向きになっていくことを、刺される、傷という実感
によって知ることが出来た。医療というのは経験則の積み重ねによって導き
出されるもので充分な症例が無ければ、そもそも治療方針すら確立しない。
人生というのは、いくつもの積み重ねである、膨大な、積み重ねである。
本当は、その時の自分だってよくわかっていなかったと思うけど・・。
適切な処置、という言葉が印象に残る――。
なお、実際には、ナイフは刺したままの方がいいのだ、とその時に知った。
「やっぱり血がいっぱい出るからね。」と、医者は言った。
ちなみに傷口は紫外線に弱く色素沈着しやすいので、跡を残らないように
するためにはケアを忘れないようにすることらしいが、俺は女性ではないの
で特に気にもしなかった。そんなだから家に帰宅しても全然かまわないのだ
ろうが、救急車が出た場合の規則ということで一晩病院に泊まったが、これ
は雑菌が入り腹膜炎、敗血症などの危険性があるためではないか、と想像す
る。あるいは真っ当な医療機関なら、このような場合、一日でも様子を見る
のが常識なのだろう。
もちろん、勝手に帰ったら、事件が表立ったものになる。
違う病院で抜糸してしまうというわけにもいかないし、自分でというわけ
にもいかない。ブラックジャック先生に頼んだら法外な治療費を請求されて
しまうし。これどうしたのかと医者に聞かれたので、いやあ、友達とふざけ
てナイフで遊んでたら刺さりました、と言ったら、それで済んだ。今度から
そういうことをしないようにね、と優しく諌められた。気を付けます。
もしかしたら俺の顔が怖かったからなんじゃないか、とも思う。まあ、暴
走族なのかも知れないな、診療拒否もできないしな、マスコミこわいしね、
ということなのかもしれない。いや、嘘だけど・・。
それでも少しは緊張して、しゃべると口の端に唾がたまって、喋りにくか
った。もちろん、刑事事件ではないかというつもりで聞いたのだろうが、俺
は口を割らない。また、これぐらいの傷なら、ふざけて遊んでいたで通用す
るのだろう。病室で眼を閉じていたら、深尾さんのことを考えた。
俺と付き合っていたら、やっぱりこんな場面がまた来るんじゃないかな、
と思った。熱はないが、心拍と脳波に異状がある・・・。
今までのあらゆるものを突き放して、新しい世界へ思い切って飛び込む
のが人生だ。 目を開いて、あるがままに従う世界だ。
徹夜してでも描きたい絵があり、作りたい作品がある――。
人生を五十年、百年というなら、一年を、いや一日を、そんな風にして
人生を豊かにできないか、と考えていた。外面的な困難にぶつかったとき、
それを切り抜ける道を外に求めずに内に求めている自分。内省的な自分。
変われるのかな、本当に変わっていけるのかな、と考えていた・・。
埃のたまった窓の硝子に、底なしの海のような、悲しみを感じた――。
月の光が射し込んでいた、濃い灰青色の陰りを帯びた、夜のいのち・・。
泣いた後の白く冴えたような夜の町を見ながら、頑張れ、と言った。