5 美術部
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放課後、いざや美術部に寄った。埃っぽい黴びた照明シケてんじゃな
いかっていう排泄化したような三階通路の心理のあやを歩く。アクティ
ヴ。形而上学的。先進的知識。天井が違和感を覚えるほど高く見えるの
は、エドヴァルト・ムンク的な油彩絵画の心境だからだろう。芸術と言
うと、アウトサイダーアートとか世紀末的趣味じゃないけど、いや単純
にアートというものを包み込むアトリエという理想的空間、つまり油絵
の臭い、いわば体温計を脇にはさむイスラエルの声、あるいは、芸術で
表現できるように用意された様々なプラスチックとか、銀紙とか、木材
とか、看板とか、そういうのが、器の多様さ、いまにもあふれそうな水の
ように雑多として、ごちゃごちゃしてるんだけど不思議なバランスがある
のを猛烈に爆発的に連想していて、視覚聴覚嗅覚味覚触覚――節度の変転、
美術の時間なんかはむしろ興醒めの原始的とまではいかないけど、ああ、
キレイだな、でも、自分はもっと混沌としてる乾く川床みたいな、スコラ
的なヤクザな教科書みたいなのがいいな、とか思っていて、そういう気
持ちみたいなのを完全にあるあるで肯定するみたいに、頭上では吹奏楽部が
パッパラやってる。ミステリーサークル的。土星の輪。テストの答案用紙
の裏に絵を描いている夢みたいに、飛べよ、おお、いますぐパリの街角、
みたいな。テンション高い。そうだ、頼もう、とかいう道場破りじゃない
けど、気分はモロにそうで、露出、妖艶、あだぶかだぶら、心臓バクバク
しながらやって来た。渺茫。腐敗した資本主義機構。商業広告の踊る日本
の片田舎のアートの道。これで人生が決まるじゃないけど、杵つく底の餅
の死に物狂いの息遣いである。抵抗は過酷な形でくわえられる弾圧。不自
然な状況。考えてみたら、何で、美術部という正攻法な道を、当たり前の
道を選ばなかったのだろう。屈折。ネクタイで個性を殺して、幸福ってナ
ンナノダ。煤けたようなドアのドアノブを握りながらパチパチ静電気を感
じたみたいに数秒逡巡した。それとも、怠け者だったか。恐がりだったか。
芸術を求めるならギリシャだろうか、そこには担任の先生がいた――今西
先生という、おしとやかで、ナイーブな感じのする女性教師で、印象は地
味、でも芯はしっかりしてる、食傷気味なところもあるけど、その人が顧
問だということも、昼休みに深尾さんから教えられて初めて知ったけど、
そう言われてみれば、アート出身って感じがする。胸につけてるブローチ、
趣味がいいなっていつか思った。御都合主義的だ。コラージュやパロディ
みたいだ。ともあれ、深尾さんと一緒に部活風景を見学。喪われる若さ。
みんな真面目に絵を描きまくっていて、イーゼルに向かってる姿に気魄を
感じたりして、いいなあ、と思う。個人的には、チョコレート食べながら
とか、ジュース飲みながらとかいうリアリティー、いや、俺は集中すると、
そうだからだけど、そういうのが欲しかったんだけど、俺は眼を細めなが
ら、本当によくわからないよね、いやよくわからないと思うんだ、でも感
動していて、何度も溜息をついてしまった。触覚の素晴らしさ、草むらに
指つっこんで土にあたる指のすばらしさ。アートっていいね、絵を描くっ
ていいね、と三千回ぐらい言いたい気持ちがした。というか、もう、唱え
たい気さえした。迷悟一如。煩悩即菩提。暗い世界の向こう側には埃っぽ
くて、油絵の具の匂いがして、芸術に対する前向きな若者たちがいた。い
や、俺も若いんだけど、そうさ、若いのだ、でも、すっかりしみじみして
しまう。直接的な声。スキルアップする薔薇色の想像図。世界の中心の
中心。長い旅路の果てにようやく辿り着いた、みたいなそういう物語の設
定みたいな場所。天竺。金剛界曼荼羅。そして、その間に―――、深尾さ
ん、「これがブツです。」と、今西先生にもHRに大法螺ふきまくった件
の絵を提出。この場においては厳しく批判されるべきだと思った。でも仮
に否定されても、そこはやっぱり才能の世界、エゴイズムとかナルシシズ
ムは必要ない。でも、何処までスケールを引き上げるんだと思われた一連
のきつく舌を噛みたくなるような会話も、あら、本当に上手、デッサン力
あるね、で救われた。模写とかやった? 模写っていう日常会話を聞く日
が来るとは思わなかった。はい、世界中の画家を一通り。漫画のシーンな
んかでもいいなと思ったら、夢中でやったりとか。それに、あの、その、
見よう見まねで。どもったりする柄じゃないのに、顔も、身体もない、
ユータイリダツ状態でうれしく喋る。教室での無表情で無骨な印象の俺
からすれば、さぞかし、不気味な光景だろうと冷静になれば思うけど、
栄養失調だった。本当はずっと、上の空だった。もたれかかる思想も
なくて。今西先生は言う、あら、ピカソ風ね。才能ガツガツ食べちゃう
クチね。貪欲、圧迫された官能。色情狂。最後のは違う気がするけど、
と言いたかったけど、今西先生トントン拍子に話を進める。今日から
君は三枝ピカソ君ね。美術部のみんな、天才が来ちゃったわよ、と紹介
され、俺はすっかり恐縮した。王国復古菊花のちぎりか。いやいや別に
天才でも何でもないけど、先生のリップサービスですけど、と注釈を入
れながら、ぺこぺこした。誰が好き好んで頭など下げるものかと少し前
は思っていたけど、いまは違った。飛び去った鳥のあとをとどめている
空のように、夜は、尻の割れ目に一億年。いつもだったら、恐そうだから
かかわらないでおこうぜ、というニュアンスしか感じられないのに不思
議だった。深尾さんや、今西先生が介入しているせいだろう。ともあれ、
そういう、やりとりも快く受け入れてくれる部員たちのようであった。
メガネをかけている、少し汚い髭を生やした、でも、あんまり学生には
見えない印象の同学年の鈴木という男が、今度一緒に絵を描こう、と言
ってきた。実はマヂで、プロ目指してんだけどさ、とか言ってきて、俺
はすっかり嬉しくなった。プロ、絵を描く人、それで生活する人、俺は、
そんな単語死ぬまでずっと聞かれないかもしれないと思っていた。他に
も部員はいたのだけど、他の奴は遠慮して、多分、鈴木というのがこの
美術部の心臓みたいな立場なのだろう。映像とか、興味あるのとか、そ
ういう話も出た。わからなくても、わかる限りの言葉で精一杯並べた。狂
死したくなるデモクラシイ。視線空白。痺れ病。志しが高いと、一歩距離
を置くみたいな彼らの心理もわかるぐらい饒舌で、けれど、俺は失った時
間を埋め合わせたかった。一つのドアが開いて、また違うドアが開く。暗
い夏の証文台みたいに。それで、今西先生が美術部入るの、それだったら、
学園祭に作品出展しようよとか、そういう話が出た。俺に異論はなく、いつ
もだったら、うるせえ、で片付けそうな相手にも、恐縮して、その何だ、
よろしくお願いします、みたいな。深尾さんに、デカい態度はどうしたの、
三枝さん、と随分からかわれた。けれど、ひたすら純化された俺はと言え
ば、感謝していて、というか、もう霊の状態から燃焼していて、そのひと
つひとつに、悪かったよとか、ありがとうとか、真面目に返した。で、下
校時刻ギリギリまで一緒に絵を描いたり駄弁ったりして、学校を出た。耳
を塞ぐのも、眼を閉じるのも惜しいぐらいに興奮していて、否定する前に
拒否するのだ、みたいな狂信的な自分は過去になったような気さえした。
そいつは、悪魔、漂着物のちぎれだった。うすれてゆく苔の色、夕映えの
空。最高だった。深尾さんに、よかったね、と何度も言われた。三枝さん、
全然顔違うもん、とまで言われた。希望に明るく輝いている。うん、生き
てる、って顔してる、と。