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白い壁  作者: カモラス
2/53

2 まゆ


  2



 目覚まし時計が鳴っている。しかし、いつもなら、目覚まし時計にセッ

トした時間より一五分ほど早い数字を示しているのが常だ。浮かれていた

のかも知れないと殺風景な部屋を見回しながら思う。 よく眠れて、夢もみ

なかったが、一つだけ縁起が悪い。電子音のアラームを聞かずに起きると、

一日楽しく過ごせるというジンクスがあるのだ。

 というか、ありとあらゆる目覚まし時計の音というのは、呪いの産物で

あり、いわば、丑の刻詣り仕様といっても過言ではない。人を嫌な気分に

させるためだけのマイナスプラシーボ効果。凶悪な発明品を誕生させたの

は、誰か、それは世の中に復讐してやりたいと願ったテロリストだったに

違いない。だから目覚まし時計を壊すことは、平和的行為である。


 って何の話だ、と寝ぼけ頭で思いながら、もやもやする――。


 サイドボードの上に置かれたデジタル時計は七時の五分前を表示している。

 気を取り直しつつ、パカッと折り畳みの携帯電話を開きアラームを解除

すると、彼女からメールが入っていた。慌てて開封表示にすると、今日は

一緒に登校しようね、と書いてある。堅牢で簡素な感じのする壁・・。


 アンティークホワイトの壁を見ながら、本棚の文字を追う――。


 却下、と俺は思った。昨日の今日で、しかも朝からそんな目立ちたいこ

とがしたいわけもない。地震があっても影響されない太陽のようなたおや

かさ、図太さはわかるけれど、それは遠慮したい。考え方、その影響力、

能力や魅力、あるいは嫌悪感まですべてを含む、拒否――。

 というか、どうして家教えていないのに、一緒に登校することが出来るん

だ。断りのメールは後で入れるとして、パンでも食おうと、部屋の扉を開け

る。裸足のままそっと下におりていった。そうだ、まず起きなくてはなるま

い。母さんと言いつつ、どう考えても偽名としか思えない三枝グレムリーが

スーツ姿でいるはずである。彼女を三つの要点で言い表せと言うなら、まず

第一に菜食主義者、第二にスレンダー、第三に金髪でイギリス人。

 もう、日本国籍があるけど・・。

 ほとんど聞こえないほど音量を絞ったテレビがつけられているのが、気配

でわかる。母さんの朝の趣味だ。

 弟はもう、学校へと行ったのだろう。近頃ドッジボールが流行っているのだ。

 出勤時間は控えているが、パンぐらい焼いて食べさせてくれるだろう、と思

った。しかし思いのほか単純に、メールの謎はすぐに解けた。キッチンへ移動

すると、母さんと彼女――アホとか言いまくっていたが、こういう場合となっ

ては、クラスメートの深尾さんが、そこで紅茶を飲んで談笑していたのである。

全然関係ないけど、俺の椅子に座って。

 オー、俺ガ女ニナッチャッタヨー、と、思わず言いそうになった。

 嘘だけど――。



   *



 「三枝さん、おはようございます。」


 「おい、お前・・何で俺の家にいるんだ。」


 キラーボイス度満載。なのに、彼女には一切効かない不思議。

 これはもうちょっとした禅問答となること請け合いである。

 目を動かしたら頭にずきんと重い痛みが感じられる・・。

 そういや、付き合ってるんだっけ、と冷静に思ったりした。

 おっと、それは葬儀社が電話をかけてくる時刻・・。


 「友達が教えてくれた。」


 俺にそんな友達はいない。だとすると、彼女の交友関係からの情報なのだ

ろう。狭い町である。調べようと思えばすぐにでも調べられるに違いない。

調査能力を増強する必要がある、人は見ていないようで結構見ているものだ。

男は外へ出れば七人の敵・・。

 と、俺が考え込んでいるのを尻目に、明るい声が炸裂する。


 「三枝さん、絵を描くって本当ですか?」


 シドロモドロ・・。

 売名行為だ、あんた、息子を売ったのか、と思った。

 

 「母さん、そんなことまで喋ったのか?」


 ――昨日まで、不良で通っていたはずの男が、絵を描くドリーミーな男に

なる。確かに、世紀末ならそういう能天気でリズミカルなプーアル茶も許さ

れるかも知れない。

 でもそこは世間体というか、常識的に内緒にしていてほしかった。

 土日になると、絵を描きに行く趣味なんて、学校の誰にも知られたくない。

 なのに、平気な顔で、息子の心のオアシスを土足で蹂躙する、母親。

 世の母親よ、こういうことをすると、拗ねます、不良になります、暴れます、

ドメスティックバイオレエエエエンス!

 

 「――ほら、これ、近所の公園のスケッチしたやつなの。上手でしょ。」


 ・・・ああ、もう。

 別に部屋に隠してたわけじゃないけど、そんなの見られると本当に恥ずかし

い。芸大に入って本気になって絵を描いてみようとか、あるいは、趣味は趣味

として割り切って、一生を終えるつもりみたいな隠された夢が表舞台で導火線

してる。もうここで性格フルモデルチェンジしちゃう? 厄介な、朝・・。

 それはたとえるのなら、演歌歌手がロック歌手になるぐらいのもの――。


 「・・・・・・こんな特技あったんだ。ウーン、でも――。」


 「何だよ、いきなり駄目だしかよ。」


 アンタ、ズルいよ、と思た。

 いきなり訛ってすみません、でも、アンタズルいよ、と思た。

 ・・・こっちだって、心の準備に一億年かけたいのに。


 「こういう特技があるなら、学校の美術部に入ったりした方がいいのに。コ

ンクールに出してみるとか――。」


 ハイハイ、シロウト意見ね、と気障に言ってみる。


 「出してみたこともあるよ。普通に落ちたけど。」


 というか、朝から何でそんな身の程知らずな中学生時代の痛い記憶を話さね

ばならないのだ。でも実は痛くも何ともないのかも知れない。頭の中では、ス

タッフがアイデアを出しあってストーリーをこしらえ、それを絵描きが簡単な

線画にし、アシスタントが細かい部分を描き足して彩色をする。


 たとえば、恋の記憶とかも――。

 目の前にいる、彼女は、遮断され続けてきた残酷そのもの・・。


 「・・・でも、絵を見たら、三枝さんの心が綺麗なのがよくわかるります。」


 こいついつか殺す、と思うほど、俺は顔が真っ赤になった。

 ブハアァ、と喀血して、その日一日はもう、家で安静にしていたかった。

 一番知られたくない奴に、とんでもない弱みを握られた瞬間。


 ウィークポイントを狙え・・・!


 

   *



  ここから大人の事情で、彼女、お前、アホと散々めちゃくちゃな呼ばれ

  方をされてきた、とある女は、深尾さんになります。



   *



 「そういえば、私の名前知ってる?」


 と、通学路を歩く俺のかたわらで自転車を押しながら、深尾さんが言う。

 ナイススマッシュ・・!


 「――まゆ。」


 本当はまゆみ、という名前だと知っている。深尾まゆみ。いい名前だと思

う。俺なんか三枝学である。何だか塾の名前みたいだと勝手に思ってる。


 「あ、やっぱり、勘違いしてる・・。

 まゆじゃなくて、まゆみ。まゆみって呼んでね。」


 ピラミッド登頂!


 「―――わかったよ、まゆ。」


 「ま・ゆ・み。」と、一音ずつ区切って言ってくる。


 正直なところ、後ろめたさを感じるほど、気楽な朝の登校・・。

 ガラスは蜘蛛の巣状に砕け、すっかり、仲良くなってしまっている。

 これじゃいけない・・!


 「――わかったよ、まゆ。」


 仏の顔も三度までって知っていますか?

 うちの母さんイギリス人なんだ、フランス人じゃなくて・・。

 ――ボケ・・。

 ――ボケ、だよ・・。

 ですよね。

 にゃはっ、と笑う。


 「――絵の話、みんなにしよっかなー。しちゃおっかなー。

 人間凶器に、実はこんなに優しい一面、高尚な趣味が。」


 やめろ、想像するだけで不登校になりたくなる。

 一瞬、本気で蕁麻疹が出た。

 蕁麻疹症候群、拒絶一歩手前、吐き気たつまきせんぷうきゃく!

 あのさ、と俺は優しい顔をして言った。


 「――まゆみ、いい名前だね。なんかさ、キレイだって思う。」


 ・・・ジト眼。

 ・・・うたがってるのかい。

 ・・・ジト、ジト、ジト眼。

 ・・・ご両親さまがつけてくれた、素敵な名前、神のようなキレイな名前!


 「・・・というか三枝さん、

 さっきから、すごい、うすっぺらい喋り方するね。」


 何言ってるんだい、君という人は、と言った。

 ああ、恋人よ、君という人は、と言った。

 

 「そうかい、まゆみ、俺はいつも心をこめて話すよ。

 その名前が美しすぎるということを、みんなに教えたい。

 まゆみー! まゆみー! まゆみいいいいい!」


 さあ、きょうからマジメするぞ!

 ああ、恋人よ、君こそ、頭がおかしいんじゃないかい。


 「その喋り方やめないと、この絵みんなに見せるよ。」


 通学かばんの中から、ピラッと俺の絵が出てくる。


 「あ、返せ! コノヤロ!」


 すると、いきなり自転車に乗って、猛烈に漕ぐ。数メートル向こうで、振り

返る。ペダルを一踏するごとに、一オンスずつのエネルギーが消耗するという

のに、何という、卑劣な手口、どこからどうみても、自転車暴走族!


 「・・・返せ、なんて、ひどいわ、おまえさん!」


 ひいっ、と蕁麻疹が出た。あまりに気色悪くて、蕁麻疹がタケノコする。


 「これ、私のものだわ・・・この人、アホなんじゃないのかしら。お母様が、ど

うせ、いくらでも家にあるんだから、と一枚いただいたのだわ。この人、本当に、

アホなんじゃないのかしら。」

 

 「いただかないでおくれやす!」


 「・・ハッ」と、彼女鼻で笑った。勝ち誇った勝利者の陰険な顔つき。

 

 顔見ただけでわかる、魔女・・魔性の女ァァァ!

 シェイヤァアー、いますぐ、鞭をくれてやろうか、この女、シャァシャァ。


 ・・・って、何の話だ。


 「――あたしの言うこと、聞きたいの?」


 というか、お前、昨日と全然性格違うじゃないか、と思った。明るい。

 まあ、俺もだけど――遊ばれているやら、遊んでいるやら・・。


 「・・・でも、お前、猫かぶりすぎだろ。みんなともそうやって話せばいいん

 だ。エロ本女! 欲求不満女! 都市伝説ベッドの下に隠しまくる女!」


 「アーッ! アーッ! アーッ!」


 ヒートしてしまう、まゆみ、あるいは、まゆっち・・・。

 ヒイヒャア、ヒイヒャア、フウフウ・・。

 こいつ、敵ながら天晴れ、といわんばかりの息遣い。本気の、息遣い。

 

 「・・コピーして配ってやるわ、こんな人でなしだけど、

 素晴らしい絵を描くわ、教室という教室に貼り出してやる。」


 うおおお、カユイカユイカユイ! 

 ・・・カユカユカユ、ウオオ、カッカソウヨウ!


 「貼り出さないで、まゆみさん!」


 と、アホなことをやりまくっていると、傍を通った主婦に思いっきり笑われ

た。自分で言うのもなんだけど、確かにおかしかった。あら、仲がいいのねえ、

とか、ほのぼのと言われたりもした。ぼのぼの、は好きだけどもさ。

 ちょっと恥ずかしい。攻撃し、嘲罵し、卑猥化する、僕等の関係――。


 「・・・別に言いふらしたきゃ言いふらせよ。」


 ぷいっと顔を背けると、自転車で、するーっと、彼女が戻ってくる。

 正直、絵を奪い返そうという気持ちもなかった。照れていたからである・・。

 何浮かれてんだよ、お前、と思っていた。反省した。

 シャツの袖を引っ張られた。立ち止まる。振り向く・・。

 申し訳なさそうに、眉をあげながら、深尾さんが言う。


 「冗談です。」


 長い冗談だったな、しかも、生きてる心地がしなかった。


 「でも・・・お願いごとをしたかったのは、本当なんです。」


 

 

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